テレビで宗像神社が映っていた。
ユネスコ世界文化遺産云々…と言っている。
大変恥ずかしい話だが、ここが世界文化遺産に認定されたこと、つまり沖ノ島関連だということを、全然知らなかった。
…という私の無知はさておき、そこで修行している若い男の人の言葉が気になった。
その男性、実家も「神社」なのである。
なのに、厳しい宗像神社にいる理由として「食べていけない」ことを挙げた。
現在、神社を守っている父親も既に「兼業」。
宗教の世界も厳しくなっている、と。
バチあたりだが、前からどうしてもフに落ちぬことがある。
神や仏に仕える人も、食べねば生きられぬ。
「人」だから。そう、人、だから。
でも、「何かをつくったり、売ったりしてお金を得ている一般人」とは違うでしょう。
お正月はお参りし、困ったときにはおすがりし、亡くなった身内を弔ってもらう。それらをしてくれる「ありがたい人」が、非常に俗っぽい理由で「兼業」というのは、なんか釈然としないのである。
この頃は、寺社仏閣も、大勢の人に来てもらうため、いろんな取り組みをしている。
境内にプリクラがあるとか、自販機のおみくじとか。
あらゆる手を打たないと、食べていけないから。
でも、なんだか、テーマパークみたいではないか。
…お寺や神社のありようが、全然違ってきた。
NHK朝ドラ『わろてんか』で、ヒロイン・てんの夫、藤吉はんが、今朝、病床で「新しいことにチャレンジせな。変わらな」としきりに言っていた。
…本当に、そうなんだろうか。
これが首を延して翹望(まちこが)れていた、新しい時代というものであろうか。
内部も同じように進んでいるんだろうか。
無論さ。
吾儕の時代だと思ってるうちに、何時の間にか新しい時代が来ているんだね。
(島崎藤村『並木』より)