フリー読書『濹東綺譚』に続いては、突然、池辺 晋一郎『バッハの音符たち―池辺晋一郎の「新バッハ考」』。
…もう、脈絡も何もあったもんじゃない。
私にとってバッハとは、日々の生活において切っても切れない音楽なのだが、「なぜ琴線に触れるのか、言葉で説明せよ」と言われても、できない。
だから落ち着かないのが私の宿命(←大げさ)ナノデアル。
これほど心を打つんだもん。
理論的な理由があるに違いない。
それを、私なりに理解したい。
で、この『バッハの音符・・・』は、バッハ音楽を「楽譜から解説する」という、一見、小難しそうでいて、しかし漫談のような語り口。
章ごとに曲をとりあげ、部分部分の譜面を提示しながら解説するという形式なのだが、いかんせん、私は譜面を見ても、頭の中で旋律が明瞭にイメージできない。
結局、ピアノに向かって弾きながら読む、というのがベストの読み方。
だが、現実的にそのよな読み方はできないので、とりあえず字面だけ追うことにした。
それで、今のところ、なぁるほど・・・と感動したのがこの2点。
○バッハは膨大な数のカンタータをつくっているが、もう「つくることが快感になっていたのではないか」、という説。
・・・わかる、これ。
なにしろとりつかれて、教会カンタータCD50枚セットを購入した私。
27枚まで聴いたが、とにかく珠玉の曲の連続なのだ。
毎日、こんな曲想が頭に浮かんだら、書かざるを得なかったに違いない。
そして2つ目。
○音楽に対する知識など皆無だと思われる庶民が、バッハ音楽を第一級のものと認識してきたからこそ、今でも綿々と受け継がれている。
・・・この視点は、初めて知った。
わぁ、プチ・アナグノリシス(@ ̄□ ̄@;)!!
そう言われてみればその通りだ。
いくらいい音楽をつくったところで、聴き手が感動し、伝えなければ残りはしない。
なぜだかわからないけど、素敵。
どんな細工がなされているのか知らないけど、もう感動モノ。
…こう思う「私のような人々」がいたからこそ、バッハがある。
つまり私も、大きな一役をかっていることになるではないか。
・・・などと、『バッハの音符・・・』はまださわりの部分を読んだだけなのに、既に一喜一憂しているワタクシ(-_-;)
五線紙に音符は描く絵のごとく  鞠子