講座前に、宿題を提出した。
課題は、太宰治『津軽通信』に関するレポート。
『津軽通信』に収められた作品のどれについて書いてもよかった。
1ヶ月も猶予があったので、いくつかの作品を私なりに俯瞰して書いてみた。
…なのに…
今日、H教授の講義を聴いている間に、冷や汗が…
そのうち、血の気が引いてきた。
自分の読みの、なんたる浅さ…
私は女の「嘘」を「命がけの愛」だと読んだ。
しかし、そんな単純に表せることじゃない…という証拠が、作品中から丹念に拾い出され、提示された。
もちろん、
先生は、私のレポートを責めているわけでは決してない。(←提出しただけで、まだ、目は通されてない)
でも、提示の一つ一つがチクチク刺さった。
先生の言う通りだ。
どうして自分で読んだ時に気づかないのか。
…こんなに自分の力のなさを思い知ったのは久しぶりだった。
帰り、電車の中、くやしくて情けなくて腹ただしくてならなかった。
急いで職場に戻って3/4日休んだ分、取り返さなきゃならないのに、頭、真っ白だった。
私は仕事に於いて、大勢の客様の「人となりを見る目」に自信を持っていたが、こんな読みの程度では、全然たいしたことない。
単なる「おごり」ではないか。
すぐに追加修正レポートを書こうと思ったが、こんないらだちの中で書いても、また一面的な浅いものになりそうなので、一旦、頭を冷やして、よく考えることにした。
もちろん、来週の講座までには書く。
書かなきゃ自分が許せない。