ここのとこ、立て続けに仕事で厄介な問題が持ち上がってて。
それも解決不能で、長期化する問題ばかり。
…疲れるわ(-_-;)
そもそも仕事とは、いったいなんぞや。
食べるために働いているのである。
私の場合、アフターファイブを充実させたい、という理由もある。
病気になった時や介護が必要になった時の費用も必要だし。
…つまり、「お金」のためなのだ。
だけど、
1日のうちのほとんどを「仕事」で過ごすんだから、それが苦しかったら、つまらなさすぎるではないか。
こんなことしてたら、人生、限られた時間しかないのに、損をする気がしてきた。
そんな鬱々気分の時に限って、こういうものに出会うんだよな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間は何もしなければ死ぬ。死を避けるには食わねばならない。食うためには働かねばならない。
当時僕は、人間には「何もしない」ことを選びとることはできない、という万古不易の命題に、言い知れぬ不条理を感じていた。
「何もしない」ことで、なぜ人間は不幸へのみ向かわざるを得ないのか。
この世に、完全に無垢な存在として生まれ、いかなる利害関係からも無縁な赤子が、その誕生の瞬間からひとりでに、快ならぬ不快の方角へ堕ちてゆかねばならないという矛盾。
(中略)
僕らの生は、そもそもの始まりから、この避け様のない落下に定義づけられている。
(中略)
生きること自体が目的だと人は言う。
だが個人が生きたいと欲することは、「意志」という宇宙的な欲望の渦の、ほんの一端に過ぎないのだ。
(中略)
さらに、ここでもっとも重要なことは、この「意志」の欲求には最終的に何らの目的もないという一点だ。
『アサッテの人』諏訪哲史
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
…そうか、目的もないし、落下する一途でしかないのか。
飲み込んであきらめるしかないのか。
とりあえず、今週末、諏訪哲史さんの講演会に行く。