岐阜県美濃加茂市で開かれている『逍遙―思いを伝えた手紙と人―展』を観に行ってきた。
あわせて、記念ミュージアムイベント『坪内逍遙の書簡について』を聴いてきた。
『小説神髄』『当世書生気質』で有名な坪内逍遙。
書いた手紙の数は2500通とも3000通とも言われているらしいが、ナマ手紙を見たのは初めて。
めちゃめちゃ「達筆」である。
…読めやしない。
だが、手紙そのものが、まるで「絵画」みたい。
そのまま額に入れたらさぞ味わい深い絵になるほどステキなのだ。
でもご本人は、悪筆を気に病んでいたらしく、40歳を過ぎてから書道を習ったらしい。
それ以降の文字は、またまたカッコいい。
講演の時には、なんと、ファイルにはさんだ2通のナマ手紙が回ってきた。
逍遙が触れた便箋と封筒、ハガキを、じかに触らせてもらえたのである。
端が少しめくれた切手もそのままで、この裏側を逍遙がペロリとなめたのかと思い、大感激だった。
ただ、どうしても解せぬことが。
逍遙の妻・センは、大八幡楼の娼妓・花紫だった。
こういう人を妻にしたことで、逍遙の人生は大きく変わる。
ところが、
美濃加茂市が発刊している逍遙の冊子があり(800円で販売している)、会場で展示してあったのでざっと読んだのだが、そのことに全く触れてないのだ。
講演の中でもその話は全然なされなかった。
「書簡」がテーマなので、直接には関係ないことかもしれないが、とても不自然な気がした。
会場にあった年表にも「鵜飼常親の養女・センと婚姻」とあったが、東大出の文士様に嫁ぐために、つりあいを考えて士族である鵜飼の養女としたのだ。
美濃加茂市は逍遙の出身地として、逍遙がらみのイベントもいくつかあるし、銅像なんかもあるくらいだから、「妻が元・女郎」ということは、今でもタブーなんだろうか。
…なんて質問したかったんだけど、聴衆が地元のお歴々みたいな人ばっかりで、恐くて聞けなかった。
私の知識が浅薄なのかもしれないが。
も少し整理して、エクステンションカレッジのH教授にメールで聞いてみよう。