喫茶店で週刊誌を読んでいたら、胸が痛くなる記事が載っていた。
認知症で徘徊がある親が、行方不明になってしまった家族たちの慟哭だ。
私の母は歩行困難だったので、徘徊はなかったが、これに苦しめられた介護家族にはいっぱい出会った。
鍵をかけても、センサーをつけても、塀を高くしても出ていってしまう。
服に縫いつけた連絡先を取ってしまう。
コンビニで商品をポケットに入れ、夜祭りの出店で物を取る。
どうやってそこまで行ったのか、隣県で発見されたり。
何度も何度も警察に引き取りに行ったり。
一晩中、ふとんをかぶせて押さえつけていたり。
…すべて、複数の介護トモから聞いた話だ。
実は、川べりで凍死していた人も知っている。
私は介護真っ最中の時、週刊誌に載ってるような「行方不明」を「ある意味、うらやましい」と思ってた。
生きてるなら、誰かが何とかしてくれてる。
苦しんでいるかもしれないが、それは想像でしかない。
死んでたら仕方ない。
とにかく、今の重圧から逃れられればそれでいい、と思っていた。
だが、介護から解放された今、それは大きな間違いだと心から思う。
どんなにしんどい状況でも、「行方不明」にさせた罪の意識は計り知れないほど重い。
それは、どんなに後悔しても、挽回しようがない。
ずっと苦しみを引きずる。
私は「行方不明がうらやましい」と心の中で思っただけだが、それだけでもこんなに罪悪感にさいなまれるのだから、現在、行方不明の親さんがいる家族はどんなに苦しいか、想像できる。
週刊誌に載ってた中で、最悪の結末になってた家族があった。
行方不明になってから3か月後、お父さんは変わり果てた姿で発見された。
警察、消防、近所、親戚、地元の子どもたち…多くの人々が、お父さんを探した。
でも、発見できなかった。
それなのに、遺体が見つかった場所は、一番に介護を担っていた娘さんが探した場所の目と鼻の先だったのだ。
死亡推定時刻は、娘さんがその付近を探してた時より後。
つまり、娘さんがその場を探していた時、お父さんは生きていた。
もう一歩、奥まで踏み込んでいたら。
お父さんが少しでも声を出してくれてたら。
…娘さんのそんな苦しみや後悔が延々続くのかと思うと、とても他人事とは思えず、私もたまらない。