リヒャルト・ワ-グナー、生誕200年。
本人がユダヤ人批判の論文を発表したり、ヒトラーが、作品を党大会や宣伝用に使ったりしたため、作品そのもののよし悪し以外のところで論争がたびたび起こっている。
生誕200年を機に、その議論がまた熱くなっているらしい。
そういえば、
ずいぶん前、私の属している合唱団の演奏会に来てくれたオトコ後輩が、次の日、こんなことを行った。
「鞠子さん、もう、演奏会には行きません。Amen、Amenって、結局、宗教じゃないですか」
…ヤツは、無宗教者なのである。
だから、バッハであろうがなかろうが、キリストの受難曲など聴きたくない、というのだ。
でも実は、私も無宗教組。
キリストを信心しているわけではない。
でも、曲が好きだから仕方ない。
そんな気持ちで歌っていてはダメなのかもしれないが、私にとってAmenは「歌詞の1つ」でしかない。
だが、
いくら曲がすばらしいと力説しても、オトコ後輩の観念は「イコール・宗教」だからどうしようもない。
ワーグナーも、その作品が好きな人、「イコール・ナチス」だから許せない人、両方いるのだ。
だからといって、こちらは正しい、あちらは悪い、とは言えないのではないか。
つまり、「やむを得ない」ことであり、「結論は出ない」議論であり、自分の価値観を相手に強制するなかれ、ということなのではないか。
「君が代」についても、同じで、
特別、何とも思わない人、心酔している人、嫌悪感しか持てぬ人といろいろであり、それは「やむを得ない」ことで、「結論は出ない」ことで、考え方を矯正するとか歌うことを強制するところに問題が起こる、と思う。
ちなみに私は、
「君が代」に特別な感情を抱いていない人。
その歌詞や歴史にいろんな問題をはらんでいることも理解できるが、旋律は、雅楽のよさを生かした落ち着きのある印象的な流れだし、歌曲という点では、さぞ歌うのは難しいだろうと思う。
ただ、
正直な気持ちとしては、
ワーグナーもバッハも君が代も、「いい音楽としての価値」が政治的な、あるいは歴史的な諸問題に埋もれてしまうのは、とても残念だ、と思う。