音楽は確かに人間に作用する、それもおそろしく作用します。
音楽は精神を高めるのでも低めるのでもなく、ひたすら精神を興奮させる作用をするのです。
音楽は私にわれを忘れさせ、自分の本当の状態を忘れさせ、何か別の、異質な世界へと移し変えてしまうのです。
音楽の影響下にあるときには、自分が本来感じていないものを感じ、理解していないものを理解し、できもしないことができるという気になります。
たとえば勇壮な行進曲が演奏されて、兵士たちがそれに合わせて行進する場合には、音楽は役割を果たしたといえるでしょう。舞踏曲が演奏されて人が踊る場合も、音楽は役割を果たしたのですし、さらにはミサが歌われて聖餐式が行われる場合も同じといえるでしょう。ところが例のソナタの場合には、ただ刺激を受けるばかりで、その刺激に応じてとるべき行為がないのですよ。そしてそのせいで音楽は時として厄介な、恐るべき作用をもたらすのです。
ああした作品の演奏が許されるのは、ある種の荘厳で重々しい雰囲気の中、まさに曲にふさわしい荘重なる振る舞いが要求される場合に限るのです。つまり演奏と同時に、あの曲が喚起する行為をなすべきなのです。さもなければ、場所柄も時間もわきまえずにかきたてられたエネルギーや表出のすべを持たぬ感情が、破壊的な作用をもたらさずにはいないでしょう。
トルストイ『クロイツェル・ソナタ』(望月哲男訳)より
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「音楽」の表現が、あまりにステキで思わず抜き書きしました。
それに、
音楽を聴いて、ナミダが止まらなくなる謎が解けた。
こうなったら、もう聴くしかない、ベートーベン『クロイツェル・ソナタ』。
YouTubeで、さっそく聴きました。
「ああ……あのソナタは恐るべき作品ですよ。まさにあの部分がね」と名指しされた第1プレスト。それは妻を殺す引き金になった。
…第1プレスト…
う~ん、これかぃ(-.-;)…
わかる、確かにこれは琴線に触れる旋律だ。
トルストイが文中の登場人物を通して言おうとしたこと、強烈に響いてきました。