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国宝臼杵石仏です。
岩壁に刻まれた石仏60体あまり。
中でも一番、好みのタイプだったのが、この石仏さまでした。(←そういう基準で判断するとこがいかにも鞠子f^_^;)
彫られたのは平安時代後期から鎌倉時代らしいんだけど、詳しいことはわかっていない。
しっかしこんなん、誰がどうやって彫ったんだろう。不思議だ…
…などとウロウロしていて1時間に1本しかないバスに乗り遅れた私は、大枚はたいてタクシーにのり、野上弥生子文学記念館へ。
何を隠そう、大分出張だって、この記念館に行きたいがために来たようなものだ(…あ、アフリカンサファリと、ね(^_^)v)
弥生子の生家は、酒造業を営む名家。
弥生子は、学校教育だけでなく、国文、漢文、古典、英語の家庭教師までついていた。
さらに、14歳で上京し、明治女学校に入学。
卒業後、同郷の野上豊一郎と結婚。この旦那さまが漱石門下で、弥生子も大きな影響を受け、次々とすばらしい作品を発表していく。
明治18年生まれ。女が勉強するなんて非常に難しい時代に、幼少から学ぶ環境に置かれている。
女学生時代に恋愛し、成就させている。
明や南蛮からの貿易船がやってきた異国情緒あふれる町で、何不自由なく育っただろう子ども時代。
絵に描いたような幸せな人生に見えるけど、
…そうじゃないんだろうな…
苦悩の種類が違うだけ、に違いない。
「…たまに百人か二百人に一人位上の学校を志して、彼女らから離れて都会へ出る娘がないこともなかった。けれどもこの例外の娘は大抵の場合、多くの母親から冷笑で見送られた。-こんな娘はきっと非常に醜いか、でなければ、あばずれであったから。…」(『或る女の話』より)
弥生子は明治18年生まれ。そのころ学問をめざす女は、例外・不細工・あばずれ…という烙印をおされる時代だった。
弥生子はどんな思いで、故郷を後にしたんだろう…
実は私、この日のために初めて野上弥生子の短編集を読みました。
どの作品からも、静かでかつ強い、女の情念が伝わってきます。
女なら誰でも根底に持っている普遍的な情念。
時代を経ても、古さを全く感じさせないみずみずしさがあります。
…また、好きな作家が一人増えました。

この記念館は、国指定 登録有形文化財に指定されています。