久しぶりの文楽。


歌舞伎で見慣れてる演し物を文楽でみるとへ~ってことがいっぱいあって楽しいです。っていうか、そのへ~のために文楽見るのかもしれない。


金閣寺でびっくらしたのは、久吉が慶寿院を救出する件。金閣寺のてっぺんにある竟究頂からおろすわけだけれど、高く伸びた青竹に慶寿院をくくりつけて、いえや!ってしならせてバウンド、着陸させる。まるでワイヤーアクションやん。びっくりしました。


久吉が、大膳が井戸に投げ込んだ碁筒を拾いあげるところは、歌舞伎だと碁筒を扇で拾い上げて、碁盤に載せてキマリだったと思うのだけれど、普通に手で拾い上げてとことこ持っていく。へ~。


面白かったのは、久吉方に包囲された大膳は檻みたいなところに閉じ込められる。へ~の3連発。


歌舞伎だとせっぱつまった話のわりにのんび~りした一幕な感じがするのだけれど、こっちは大スペクタクル。人形だからできるんですかね。


「野崎村」は、歌舞伎だとお光っちゃんが大根抱えて出てくるところからなんだけれど、こっちは歌祭文売りがやってきて、「お夏清十郎」を久作さんが購入するところから始まって、油屋の姑息な下男・小助が登場。久松に盗みの嫌疑がかかってるんだいと脅しにやってくる場面がありました。


小助が出てくる場面は歌舞伎では見たことなかったんだけれど、まるで八右衛門。憎たらしいヤツなんだけど、なんか笑っちゃう。大好きな勘十郎さんがつかっていたこともあるだろうけど、かなり好きです。小助。


この場面が30分ぐらいあったのか。ちょいとしたことなんだけど、この場面があることで、久作とお光はなさぬ仲だってことや、お光っちゃんのお母さんが病床にあること。久松がなんで追い詰められてるのか。そしてなんで「新版歌祭文」っていう外題なのかがすっきりわかる。


なんで歌舞伎でやんないのかなあって思います。ここをやると2時間になっちゃうからかもしれないけれど、芝居としてはすご~く面白くなると思うんだけれど。


スターを立たせるには向かないっていうのがあるのかな。今回の文楽では野崎村の後に油屋、蔵場もついてました。ここまで通してみるとロミオとジュリエットで本当に泣けます。


見たことないけど、野崎村の前に、小助が久松をはめる件の座摩社という場面もあるらしいので、そこから蔵場まで通してみてみたいです。テンポあげた本を作ってもらって、花形でいかがざんしょ。コクーンでもいいけど。カンタ七でお染久松。久作に中村屋。小助を大奮発でニザさんに出てもらう。久作・小助は逆でもいい。


連獅子。所作事を文楽で見るのはお初。母獅子も出てくる楳茂都流版。一昨年の納涼で橋、扇雀、国ちゃんでやったのとほぼ同じかな、でした。




久しぶりの神奈川県民ホール。


「激情」っていやあ、ラブシーンがすごいことになっていたことくらいしか記憶になり初演ヴァージョンですが、柴田先生らしいよくラブストーリーだったんですなあ。


こういう当たり前によく出来たラブストーリーって最近あんまりお目にかからないです。魔性の女に魅入られて破滅していく愚直な男。タイミングよく恋敵が現れて、命のやりとりがあって、悲劇で終わる。カタルシスってこういうのをいうのねって思う。こういうがっしりした物語を書ける若い人がいるといいんだけどなあ。


しかし、よく出来た物語にもかかわらず、ところどころ頭の中が?でいっぱいになります。配役ちがわんか?


香板でいやあそうなんでしょう。でもさあ、歌える子にぜんぜん歌わせないで歌えない子にばりばり歌わせる。柄に合わない役をやらせる。それが宝塚なんだけど、芝居を充実させることはすごい後回しで、まずはスターを見せる。いや、スターをつくるための配役が最優先になる。


でも、それで96年つづいてきたんだから興行として間違ってないんでしょう。でも、どうなんだろう。それで本当にスターがつくれてるんだろうか。スターを輝かせるためには、脇の充実っていうのも必要じゃないんだろうか。


特にウメがいたらなあって何度もため息ついたカルメン。残念ながらねねには似合わなすぎる。あばずれや魔性の女とはいっても、カルメンに可愛げがないとこの物語は無理だと思う。ホセじゃなくたって前後不覚に溺れちまうよなあって思える女じゃないといかんのではないでしょうか。


「ボレロ」は普通にロケットの真ん中に真風がいてびっくりしました。まさか、彼女もここへきてロケットやらされるとは思ってなかったと思う。しかも、衣裳が特別仕様なわけでもなく。びっくり。


柚希は相変わらず痛々しいほどの孤軍奮闘。この人の技術点の上昇ぶりは本当にすごくて、ダンスは言うまでもなく、歌も芝居も。帰りしな、年配の男性が「柚希はすごい!」とツレの婦人に熱く語ってましたが、そう思う人がどれだけいてもびっくりしないです。


ただ、彼女ひとりが昇っていくものだから全体のバランスがすっごいことになってる。


星って前任者も前々任者も、周りを熱くすることにとても長けていて、トップだけが浮き上がるって感じることはあんまりなかったんです。わたるにしてもトウコにしても、組子を乗せるのはすごくうまかった。


柚希は自分を充実させることで必死なんだと思います。でも、公演を任される立場の人間はそれだけでは十分ではない。


ああ、誰かにそっくりだなあって思って、そうか、海老と同じなんだと思いました。


彼も、そうは見えないかもしれないけれど、すさまじい努力をしている。役のためなら10キロダイエットも厭わず、寝ずに台詞の研究をしつづけている。でも、それが周りに伝播しない。海老はすごい!って思っても、芝居全体の熱さには必ずしもつながらない。


まだ若いってことなんだと思います。でも、海老とちがって柚希の時間にはかぎりがあるのにって思うと、切なくなるのでした。

御名残の子どもたちがやる「助六」。


若いなあって思う以前に、舞台にむっちり感が薄いです。演じ手がどうの以前に、出てる人数からして御名残より少しずつ少ない。金棒振りはひとりずつだし、新造も数人ずつ少ない。並び傾城も今回は4人。 並び傾城が4人でもいいのなら、御名残の菊史朗君は本当に大抜擢だったんだな。


人数で芝居するわけじゃないんだけれど、数で攻めてこそ「助六」のむっちり感なんじゃないかと思ったりします。


しかし海老の助六は大好きです。こんなに役と柄が貼りつくようにぴったりなことって滅多にないと思う。努力や工夫の結果だい!と当人不満に思うだろうなというくらいぴったりくっついて離れない助六と海老。


十郎五郎のやりとり。御名残の團菊はこれぞ大歌舞伎という大きさと軽さがあってとても楽しかったんですが、それとはまったく違ういとこ同士の十郎五郎。二人のシルエットが似てるのもあるかもしれないけれど、リアルに兄弟やりとりな感じ。そうだねえって共感しやすいのはこっちかも。


福ちゃんの揚巻。満江さんが出てきてからのしおらしいほうの揚巻さんが好きです。水入りで、豪勢な帯を浸して助六に水を飲ませるくだりはもっと好き。全身で助六をかばうところはもっともっと好き。静もそうだったけれど、ラブ!をダイレクトに出せるときの福ちゃんは無敵だと思います。


水入りは22年ぶりらしいです。祝祭劇という暢気さから一転。白装束の助六が花道を駆け出してくる。水につかって立廻り。都合四役やった上に水かぶっちゃうなんて、32歳の今しかできないかも。もっと鬼気迫ってくれるとさらに好きなんだけど。


通人は猿弥ちゃん。御名残が中村屋のあれだったんでソンだよなあと思ってたんですが、とんでもない。自在にやって、品を落とさず、でもちゃんと客席をあっためるいい通人。海老や染から信用されてるんだと思う。先月は師直。翌月に通人。器用だけじゃない愛嬌がうれしかったです。


七っちゃんの白玉は当たり前のようにきれいです。芝居のまとまりとしては、彼が揚巻をやったほうがよかったんじゃないかなとも思う。罵詈雑言浴びようと、観てみたかった。


昼も夜も、面白かったけれど、まだそれぞれが自分の芝居に必死で、かたまりとして迫るものがないのがちょっと残念。みんなで「どうにかしよう」にならないのは、若いからなのか、彼らの性質なのか。ちょっと不満。