夜の部は「熊谷陣屋」に「浮かれ坊主」に「助六」。


花形の初役を見るのが大のご馳走なんですが、おいらたち、こういうのをやって家を継いでかなきゃならないんですぜって宣言するような演し物が続くと、すごい疲れます。緊張するからだと思う。演じ手の緊張が伝わってくるとかいうんじゃなくて、平気かな、大丈夫かな、ダメだったらどうしよう…っていらぬ心配するからだと思う。


熊谷が出来なければ高麗屋は継げないと思ってるらしい染ちゃんの言葉には、悲壮なほどの覚悟を感じるわけです。柄的には違うものね。素人目にもそれは分かる。


で、苦悩の顔で出てきた熊谷。昼の源蔵は線の細さが気になってなんだかなあと思ったのですが、熊谷はそれよりはずっと大きかった。


特に幕外の引っ込みは泣けました。染ちゃんって距離が近づくとぐわ~っと感じさせるものが増える。本舞台にいるときは薄いなあというときでも、近くで見るとわあと感動しちゃったりする。


ただ、やっぱり柄的には違うんだよなあと確認してしまったのは、「助六」の白酒売りのほうがずっと染ちゃんらしくて楽しかったから。それでも背負っていかなければならないのは熊谷。たいへんだなあ、御曹司はと思うのでありました。


七っちゃんの相模はさすがにまだ厳しいのかな。武家の奥方にはあんまり見えない。片はずしって難しいんだなと思わされました。ただ、小次郎の首を抱く件はすごい泣けた。ある意味、山城屋より。唐突にすごいことになるのが七っちゃんの七っちゃんらしいところだけれど、本当にすごいな。


しかし。陣屋でいちばんびっくりしたのは海老の義経でした。出てきた瞬間に舞台の空気が変わる。梅玉さんの義経が大歌舞伎のデフォなのだとすると、海老のそれはかなり違うんでしょう。でも、この人の命には子どもを犠牲にしてでも従わなきゃならなかっただろうことはよ~くわかる。そのぐらい特別な空気を漂わせて現れる。


芝居以前にそういう空気を持ってるのが海老蔵という人なんでしょう。自分が役者じゃなくてよかったとつくづく思います。こういう人を前にしたら絶望するしかないもの。


つづく。

「吉野山」。


それらしく見せる、それらしいと思わせるのがうまい役者ということだとすれば、カンタは本当にうまい人なんだと思います。千代もだけれど、忠信もとっても忠信らしい。ああ、忠信が出てきたと思わせる。


ただ、吉野山の忠信がどういう人間(狐)かってことを検証していったら、「いや、違うよ」っていうことがいっぱいあったりもする。なのに「らしく」見えるってどういうことなんだろう。


福ちゃんの静との並びはとても似合ってました。主従にしか見えない。それが実年齢差によるものなのか、腕なのかはわからないけれど。


播磨屋や團十郎さんとやるときの福ちゃんも好きだけれど、かなり年下と組むときの時の彼もすごく好き。むか~し、染ちゃんのやった「朝顔日記」とか、本当にえかった。今回の「吉野山」はそれに匹敵するくらい好きです。桜咲く吉野山すらその目には入らないくらい、ただただ義経さまに会いたい静が好き。


藤太は猿弥ちゃん。なんか便利に使われちゃってる気もするけれど、頼りにされてる証だと思おう。


松緑さんの魚宗。なぜか松緑さんのことは「くん」とは書けない。なぜだろう。


一昨年に国立の鑑賞教室でやった魚宗がとっても好きだったのだけれど、磯部が海老とか染とかだったらもっとよかったのにと思ったわけですが、その磯部が今回は海老。だからきっともっともっといいと思うのと期待してたらちょっと肩透かしでした。国立のときは、お蔦が磯辺に討たれる「更屋敷」な前半がついていたのだけれど、今回はそれがなかったことと、おはまが姉さん女房すぎたのがあるかも。もちろん、芝雀さんのおはまはいいんです。とってもいい。ただ、芝居がねれているからか、松緑さんのおかみさんにしちゃあと思ってしまう。年齢っていうだけじゃないバランスって大事だなあって思います。


でも、松緑さんの宗五郎はとっても真面目。そこが好きです。酒さえのまなければという感じがすごくわかる。


おなぎが七。


昼の最後は染のお祭。いつも何気ない一幕だよなって思うのだけれど、役者ぶりだけで持たせる一幕だよなあとも思う。がんばっても、踊りがうかうまくてもどうにもならない。


錦升くんが若いものに出ていました。かわええなあ。でも、この一幕を加えるなら、魚宗の前半を出してほしかったかも。っていうか、染の踊りなら他のものが観たかったです。操三番叟とは言わないけれど、なんかなかったのかね、ほかに。













櫓が、上がったというよりひさしにちょんとのっけた感じの新橋演舞場。絵看板も壁に張り付いてる感じ。しょうがいないです。ビルなんだもん。


朝いちで「寺子屋」見るのってずいぶん前の納涼以来な気がして筋書きひっくり返してみたら、平成13年。もう9年も経つのか。橋ちゃんと染ちゃんが松王と源蔵をダブルでやって、やっぱり難しい芝居なんだなあって思いながら見たことを思い出しました。


その染が二度目の源蔵で、戸浪が七。松王、千代夫婦が海老、カンタ。三人は初役。


初役が三人もいるのに、煮込んで煮込んで原型ないかもぐらいに練り上げられていた先月と比べてどうするよと思いはするものの、目に焼きついた狂気の源蔵夫婦は忘れられないんであります。なので、演舞場の源蔵さんの出は苦悩が薄いと思ってしまう。シワの数が違うんだもの。当然なんだけれど。


御名残の源蔵さんは、身替りの首を捜して狂気に駆られているように見えたわけですが、演舞場の源蔵さんは菅秀才の首をと言われたことにただただうろたえ、「身替りの首? まさか?」と迷いつづけているように見えました。小太郎に会ってもまだ迷っている。玄蕃にが来ても、松王が来ても、まだ迷っている。小太郎を切ってもまだ。これでよかったんろうかとずっと。


松王登場。おろしたてらしい雪持ちの松はさすがにきれい。演舞場の照明のせいもあるのかもしれないけれど、雪がパッと明るい。


前半の松王さんはなんだかとっても怖いんです。最初の出から悲劇を背負っているように見える松王が多いなか、海老の松王は村の子どもをとって食いそうなくらいの勢いで憮然とやってくる。敵方なんだし、源蔵夫婦に菅秀才の首を差し出せと脅しているわけだから、それでいいのかもしれない。でも、すごく怖い。


首実験は七段目からという成田屋のやり方らしいです。首桶を開けかねる松王に業を煮やして、玄蕃が桶をとりあげ、それを松王にぐいとつきつける。中にあるのは小太郎の首か。そうでなければならないけれど、であればそれを見たくはない。震える松王。團十郎さんの松王が思い出せないので、へ~と驚く。


「思い出すのは桜丸」の件が泣ける。すごい泣ける。「せまじきものは宮仕え」が源蔵ではなく松王のための言葉に聞こえました。


七はうろたえる夫に振り回されてさらにおろおろする奥さん。典侍の局もよかったけれど、石持着るような役が合ってるのかも。お父さんに教わったんだろうけど、柄が違うから似せようにも似ない。それが七っちゃんの得なところかも。


カンタは、なんなんでしょうね。本当に「らしく」見える。「らしく」見せるのがとてもうまい人な気がします。わが子を身替りに差し出そうっていうんだから、尋常ではない精神状態で当たり前なんだけれど、だからこそすごくハラが座ってしまっている母。御名残とは逆に、演舞場の寺子屋で狂っているのはこちらの夫婦なんだと千代に教えられた気がしました。


松也っちが園生の前。涎くりは猿弥ちゃん。


つづく。