NHK高校講座「世界史探究」の「古代中国」について聞いてた。
周は、王が諸侯に領地を与え、その土地を治めさせる代わりに諸侯は王に貢納や軍役の義務を果たした。(封建制)
深掘りして調べた。(河出書房新社:山本英史著:「中国の歴史」より)
父系血縁集団が国家を組織し、血縁は後々中国の基本となる。
成王と康王の時代に天下安寧したが、四代目昭王の頃衰え始める。
増え続ける諸侯だが、王はそれら諸侯に十分な領地を与えられなくなる。
日本でも聞いたような話ですね^^
前770年なんだかんだ13代まで続いたが、その13代平王の時、異民族に攻め込まれ、洛邑に遷都。春秋時代が始まる。
周の下にいた諸侯が独立性を強め、南方の楚に対し、中原の諸侯は同盟を結び対抗した。
周の次に斉が力を持ち、次に宋が力を持った。
だが、周を助けるための中原の同盟であり、斉や宋は王を名乗らなかった。
中原では晋が力を持つも、楚が挽回し、中原を支配し始める。
が、同時に呉と越が勃興し、楚を南に追いやる。
その呉と越も争いを繰り返す。
越が呉を滅ぼすも、楚がまたも挽回し、越を滅ぼす。
周王の下に弱小諸侯を束ねる有力諸侯が現れ、春秋の五覇と呼ばれるも、5人いたわけでは無いらしい・・・
この頃農業生産力が飛躍的に上がり、青銅器に替わり鉄器になり、貨幣経済にもなっていた。
春秋後期には孔子が現れ、出身や身分よりも仁を会得してるかが人間の価値だと説いた。
周は諸侯の集団で成り立っていたが、周が衰え、弱小諸侯が有力諸侯に接収され、結果7つの国となった。秦、魏、趙、韓、楚、燕、斉の戦国時代である。
戦争も騎兵・歩兵で編成され、弩(いしゆみ)と言う殺傷能力の高いボーガンみたいのが出てきて、大規模殺戮も行われるようになった。
また周の血縁貴族は力を失い、実力のある者が官僚となっていった。
孔子が育てた人材は戦国時代に評価された。
特に魏では孔子の弟子が宰相になったりした。
孔子は仁を以て統治する徳治主義こそ王道としたが、批判する思想家も現れる。
墨子は仁は差別的な愛だとし、無差別の愛や相互扶助を説いた。
老子は仁や礼を人為的なものとし、人為を否定し無為の世界に道を求めた。
荘子は老子を受け継ぎ、現世の道徳秩序から逃避する無為自然を理想とした。
ここは後に道教となっていく。
孟子は孔子の系統で、人間の本来の性は善である性善説を展開し、徳による政治を王道、力によって行う政治を覇道とした。
が、弱肉強食の世界に王道は受け入れられなかった。
代わりに、人間の本来の性は悪である性悪説を説いた荀子は、悪事を働くことを抑えるのは人為的な礼が必要とし、その礼を法とし、法家思想を体系化していった。
法治主義の始まりである。
一番西方の秦が法治主義を採り入れ、間違いなく秦を強国にしていった。
ここからは漫画「キングダム」で描かれてるかもしれない。
諸子百家にも現代に通じても、その時代には受け入れられなかったものもあるのだなあって思った。