英雄たちの選択「水戸光圀」を見ました。
徳川家康の子・徳川頼房の水戸藩。
その子の徳川光圀、またの名を水戸光圀の話。
家康の末っ子に近い頼房の末っ子の光圀。
周りは家康のひ孫の時代だが、一人家康の孫がいる。
光圀は自由奔放に海外の作物を育てたり、巨大帆船を造ったりしても、幕府は見て見ぬふり。
そんな自由奔放に振る舞えた光圀の人生を賭けた一大事業、国史の編纂を行った。
一般的に年表形式の歴史書は編年体と言われるが、光圀は人の歴史を追った紀伝体。
その国の軸となる人物の歴史である紀とその人物の周りの人物の歴史である伝を書き記したものである。
この紀を誰にするか決めるとても畏れ多いおことをやっている。
基本、紀は天皇であることから、神君家康を神と祀る幕府とは一線を画す。
だから水戸藩だけで全国の優秀な学者を賃金1000万円くらいの扶持を与え、編纂に当たらせた。
当然資金難になり、農民一揆とかも起こったりしたけど、知が集結してる水戸藩。
そこは、産業を次々興し、資金調達していった。
完成は1906年明治時代後期だった。
皮肉なことに徳川の文治政治に必要と思われた歴史書の編纂は、天皇の歴史を深掘りすることで尊皇となり、水戸学が隆盛し、やがて幕末に尊皇攘夷という旋風を起こし、ついには倒幕という結果に至った。
後世の人物には創始者の理念が伝わっておらず、都合の良い解釈で歪められてしまうこともある恐ろしさ。
幕府の介入を良しとせず、水戸藩だけで編纂したのも、徳川家に都合の良い歴史になるのを恐れたため。
自分も歴史を扱うが、趣味なので、、、本やテレビなどから得た情報なので、たんなる風聞として、100%信じないでください。
自分の解釈も入り込んでいるので・・・(趣味だからやめられない)
自分の書いてる歴史は30%当たってれば良いもの。
でも、第三者的視点で見なければいけないなとは思ってる。
話戻して、水戸光圀は全国から知を集めていた。
それは海外にも向けられていた。
歴史のifだが、もし水戸光圀が幕末の頃まで生きていたら、、、イギリス産業革命も察知して、現実には禁書となっていた科学や国防や社会システムの本をオランダから全国流通させたら、どのような成り行きになっていたでしょう?って思った。
ロシアが南下政策してきても簡単に撃退できていたかもしれない世界線。
アメリカの黒船にもびびらず穏やかな文明開化が起こっていて、幕府健在ってことも!?
今もまだちょんまげだったかもしれないですね^^
強大国ニッポンの象徴・ちょんまげってね!
紀伝体の歴史本も読みたいなと思った。