荘園 | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

名古屋大学出版会:中西聡編:「日本経済の歴史」とWikipediaと自分の想像より・・・

 

奈良時代、公地公民で人も土地も天皇のものだったけど、743年墾田永年私財法で開墾したら自分の土地にできる法律が出来た。

ま、開墾しても朝廷に税は納めるのだけど。

 

一部、寺社や貴族は不輸租特権が得られ、朝廷に税を納めず、自分で税を回収してたらしい。

開墾するのは農民だが、大富豪農民が下級農民を使って耕し、大富豪農民は中央の皇族・貴族に寄進し、荘官として地位を得た。

 

その後、10世紀に荘園整理令で公地の荘園と私有地の荘園とを区分した。

実質私有地が認められた。

公地では、朝廷に納める租税額の基準を決めた。

しっかり租税を確保するためかな??田堵(たと)と言われる大富豪農民に徴税の管理をさせた。

田堵を管理するのが国司かな?国司に大きな権限を与えた。

なぜ田堵が出てきたのか考えると、農業は農民の方が分かるので、収量を上げるために田堵に管理させたのかなって。

有力貴族が近隣の田堵を囲い込んで大荘園ができ始めた。

それら貴族は立荘(私有地の荘園にすること)を行った。

大きな荘園を持つことで収量を効率よくアップし、水利も整備した。

 

11世紀には公田官物率法が成立し、租庸調が無くなり、国司の権限で米だけで無く、他に徴税を上乗せした。

国司はその土地に見合う代物を生産し、朝廷に租税額を納めれば、残りは自分のものにできた。

国司は守や介で表され、後に守護大名と呼ばれるようになる。

中央経済から離れた地方経済が自律する形となる。

 

 

間違ってるかもしれないが、天皇の土地から私有地が増え、やがてそこに送られる国司が力を持つようになるのかなと感じた。