さっきまで魏志倭人伝の現代語訳を読んでました。
NHKスペシャルで狗奴国は東日本って言ってたけど、やっぱり九州な気がする。
まず読むにあたって注意したことは、当時の距離・方角は、距離は間違っていても方角は正確に近いと考える。
なぜなら太陽の位置は今も昔も変わらないと思うから。
だから、昔の人の船の航続距離は人力だから、水行二十日でもたいして進んでないと思われる。
魏志倭人伝でだいたい邪馬台国と狗奴国は南九州にあるような気がする。
特に狗奴国は鹿児島あたりだと。
その北の邪馬台国は熊本か宮崎だが、陸行一月あったから宮崎ではないかと。
で、そのさらに東にも海を渡れば倭国があったとも記されてる。
狗奴国は後に熊襲になったのかなって。
邪馬台国は宮崎と大分で迷ってます。
ただ温暖な地域ということで宮崎かなと思いました。
で宮崎と鹿児島の争いで、北の佐賀・福岡~熊本・宮崎まで連合の邪馬台国は魏に属して、南の狗奴国は呉に属していたんじゃないかなって。
NHKスペシャルのように呉軍は倭を通じて魏の東を攻めようとしてたと思った。
260年代は魏が滅び西晋となり、呉も孫皓になってから暴政になったため、代理戦争は終わったと見られる。
壱与が平定したと見る。
愛媛の旧国名・伊予と同じ読みだからお隣の大分かもと。豊前・豊後の豊も間違った読み方の台与(とよ)と繋がるかなって。
で、箸墓古墳は全然別の文化で、消耗してないからヤマト王権として、西も平定する流れかなって。
つまり、自分は九州が魏と呉の代理戦争の地になったから、魏志倭人伝(魏志東夷伝)に載ったと思う。
もしかしたら東に海を渡って四千里もあると書かれたのも、ヤマト王権に火の粉がかからないためかもしれない。
邪馬台国もヤマト王権の属国に過ぎなかったかもしれない。
なぜなら邪馬壱国と書くから。
当て字も卑弥呼とか邪馬台国とか、卑しくて邪なので、中国人から見れば東夷であったかもしれない。
華々しいことでもなく利用されてただけという見方。
これも確証バイアスがかかってるかもしれないから、他の説の最もらしい意見を見つけたい願望ある。