古代ギリシャの都市国家アテナイとスパルタは食糧をめぐって争っていた。
ちくま学芸文庫:ウィリアム・バーンスタイン著:「交易の世界史」を読んで・・・
P81あたり。
ギリシャはほぼ島々の国。
それぞれ都市レベルで国家を形成していた。
土地は痩せてて収穫できる食糧はオリーブとワイン。
これを交換して生計を立てるしかない。
始めは乾燥に強く多少痩せてても育つ大麦を近くから手に入れていた。
しかし舌が肥えて、遠くの小麦を求めるようになった。
小麦は比較的寒冷地で大雨を嫌う難しい気候条件で育つ。
ギリシャからだと、ギリシャとトルコのアナトリア半島の間にあるダーダネルス海峡とボスポラス海峡の難所を通って、黒海の北側に広がる黒土地帯。
このダーダネルス海峡とボスポラス海峡を押さえれば、自由に航行できる。
が、それはアテナイもスパルタもこの拠点を押さえようとした。
そして起きたのがペロポネソス戦争。紀元前700年頃から始まった。
アテナイとスパルタは他の都市国家を巻き込んで争いを始めたのが紀元前700年頃。
途中、ペルシアの横やりが入り、アテナイがサラミスの海戦(紀元前480年頃)で勝利し、城壁を築くようになった。
紀元前431年、アテナイ対コリントス間で戦争が起こった。それが他の都市国家も連合して一大戦争へと発展した。(ペロポネソス戦争)
アテナイは帝国になり他国に侵略するようになるも、アテナイは遠征で大損害を出した。
紀元前405年、スパルタはその隙にアテナイの海の重要拠点を奪った。
アテナイは痩せたギリシャに閉じ込められ、飢餓によって音を上げる。
アテナイはスパルタの傘下に入る。
だが、再びアテナイは海峡を奪い返すも今度はマケドニアが現れる。
アレクサンドロス大王の降臨。
と言うわけで、痩せた土地のギリシャは交易が生命線だということが分かった。
(訂正はペロポネソス戦争の時期を間違えた。300年だと思ってたが30年だった。)