江戸時代に商品作物を誰か奨励したか?ということを調べていた。
が、出て来ない・・・
ここから推測だが、1754年、公事方御定書が確定し、正式に殺人罪ができた。
庶民がこの定書を知ることは出来ないが、代官が裁かれることで殺人罪を知ることになると思う。
そこで農民が定免法から有毛検見法に変わって、年貢をかなり取られたら不満に思う。
だから農民は定書を盾に、代官に集団で詰め寄った。年貢は納めるから、副業として商品作物を作ることを許してくれと。
農民発で興った商品作物ではないかと。
もう一つ、幕末に奥羽越列藩同盟ができた理由は、天明の大飢饉がきっかけかもって。
米は温暖な地域で作るものだが、寒さ厳しい東北地方でも無理矢理作ってた。
だから、天明の大飢饉(1782-1788)で奥州は大打撃を被った。
このとき、幕府は西日本の米を奥州に施したのではないだろうか?
そして松平定信はこれを教訓に囲い米を備蓄することを命じた。
そしてすでにあった国役普請制度で西日本の大名ばかり普請に駆り出されたのでは?
それで戊辰戦争で西日本VS東日本の戦が起こった気がする。
まだしっかり調べてないけど・・・
西廻り海運は発達したけど、東廻り海運はそれほどだったみたいですし。