「鎌倉殿の13人」最終回を見ました。
承久の乱で賊軍でありながら、官軍に勝つ。
そして後鳥羽上皇を隠岐に島流しに処す。
いよいよ北条義時に敵がいなくなったと思ったら、妻ののえ、幼なじみの三浦義村に毒を盛られる。
鎌倉時代の毒は即効性がないので、じわりじわりと毎晩飲ませ、ついに倒れた。
一命は取り留めるも、北条政子にうっかり源頼家を討ったことを口にしてしまう。
源頼家は政子の実子。
そして義時にいよいよ毒が回り、苦しむも医者にもらった薬を政子は捨ててしまう。
「お互い長く生きすぎました」
政子の言葉。
頼家が安泰ならば、実朝や公暁、頼家の嫡男:一幡も死ぬことはなかったかもしれない。
政子も上皇様に刃向かったことを重く受け止めていたかもしれない。
北条泰時が御成敗式目を制定して、血が流れない日々もあったかもしれない。
でもその後、宝治合戦で三浦も滅んでる。
武士は権力を欲する生き物。
命のやりとりをしてると、人を支配したくなるのか?
これは武士にしか分からない命題ですが・・・
自分の身ひとつ守るのと、鎌倉という武家社会を守るのでは、重みが違うのでしょう。
守るものができると、守るもののために必死になるのでしょう。
鎌倉幕府は守るものを守りやすくするため中央集権化していった。
だが、江戸幕府は地方分権で統治した。
その違いはなんでしょう??
次作「どうする家康」はそんな考えに至るまでのストーリー。
鎌倉を本で読み、足利室町、織田信長、豊臣秀吉と時の権力者を見てきた徳川家康。
凄く興味津々。