高校サッカーを見た後、ずっと寝屋川市や守口市あたりの地図を見てました。
枚方市、寝屋川市の淀川から南に行くと生駒山系にぶつかり海抜が高くなる。
生駒山系から淀川まで下る傾斜があることになる。
つまり洪水を鎮めるために生駒山系から淀川に向かって運河を作れば、枚方から流れ出る水を淀川に戻す事が出来る。
淀川に戻すときは逆流を防ぐため霞堤の仕組みを取り入れる。
その横切る水路こそが恩智川ではないかと・・・
水源が生駒山系でなく、水源が無い川。
とは言っても、水が流れ出てるのにどう穴を掘るかが解決してない。
土のうでせき止めるには範囲が広すぎる。
毛利輝元は淀川に文禄堤を作った張本人。
そこには石垣があった。
でっかい巨石を並べれば、壁になった分ちょっとずつ土を掘り起こせるか?
あるいは長柄あたりに落ちていたちょっと大きな石を積み上げれば大工事にもならない。
ま、大坂の陣の後、松平忠明による大坂復興事業があったらしい。
そのときに地形を変えてしまったであろう。
昔の姿は遺っていない。
大坂城周辺の水を引かせないと和睦の決定打の大筒が撃てない。
冬の陣で持ちこたえたのは南の真田丸の活躍。
そこに誘導するため北と東の無効化が必要。
逆算すれば大洪水はあったと言える。
それとも大洪水はなく、元々湿地帯だったのだろうか?
久々楽しい調べ物をした^^(解決しなくても^^)