英雄たちの選択「大隈重信と伊藤博文」を見ました。
明治14年の政変についてでした。
元々、五箇条の御誓文に「万機公論に決すべし」とあり、民衆が政治参加することを革命の理由に挙げていた。
国会開設には、基になる憲法が必要ですし、国民の成熟も必要であると伊藤博文は考えていた。
ところが、大隈重信がイギリス型の議院内閣制を敷き、早急に議会を開くべしと密奏した。
これが問題で、元々岩倉使節団で渡欧した大久保利通、木戸孝允らは、国民の成熟のために漸進的(ゆるやか)に議会開設を目指していた。
その意志を受け継いだ伊藤博文も漸進的にかつ憲法の必要性も感じていた。
薩長閥と肥前・土佐などその他出身の派閥が取り上げられていたが、薩摩は征韓論で西郷派とごくわずかな大久保派に二分され、西南戦争で勝ったごくわずかな大久保派の薩摩出身者しかいなかったと思う。(それでも高官だと思われるが・・・)
ま、薩長閥が幅を利かせて、板垣や大隈が下野したことの関連性は強いが。
伊藤博文は結果的にドイツのプロイセンから立憲君主制の憲法を模範とし、国民が成熟するまで国会は内閣の下に置かれ、内閣を運用するために優秀な官僚を組織し、優秀な官僚を育てるために帝国大学を整備した。
なぜ大隈重信が突然、早急に議会を開くことを奏上したのか?が疑問。
多分、板垣退助により自由民権運動が盛り上がっており、議会で議席を獲得し、自らも政党の党首となり政権運営を担いたかったとか・・・
大隈重信に関しては詳しく知らないです・・・
憲法も議会も9年の準備期間があったのは良かったと思います。
プロイセンの憲法がいいってわけではないけど、ポピュリズムでただ人気がある地元の名士が国の運営できるとは思えないからです。(当時は)
天皇主権だけど、国務各大臣が輔弼(ほひつ)する条文を入れたのはナイスプレーです。
天皇によるすべての指揮では無理だと思うから。
自分は派閥に関して興味ないから、放送内容とかけ離れたことも多いが、ちくま新書:坂野潤治著:「日本近代史」を読んで、留守政府から征韓論の対立あたりが読めて良かったです^^
江華島事件と日朝修好条規はちゃんと覚えておかないと、後々の日清戦争に関わりそう。
世界を知った岩倉使節団は外交も平和的で、留守を預かった留守政府は外交が好戦的なのも興味深い。
富国したい大久保利通が西南戦争で盟友を失い、多大な出費をして、自身も暗殺されてしまうと言う、富国無くして強兵はありえないと思える昨今、富国は漸進的に行われる政策だけど、その前に頓挫しちゃうんだなあと思った。
稼ぐ能力って重要で、自分もその能力を身につけないとなと思った。
原始的な方法で小銭を稼いでる気がしてきたから・・・