戦国大名と農民 | テキトーに何か言ってるブログ

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甘っちょろい戯言です^^

戦国大名はみんな兵農分離してたのでは?

という自分の仮説を基に、また自分の考えを深めたいと思います。

 

まず、なぜ皆兵農分離してると考えるか?

守護→戦国大名

地頭→家臣

になったとすると、地頭は田畑の警察の役割。

家臣は自前で常備軍を持っていなければならない。

家臣はその土地の警察と言うより、代官にまで発展してると思うので、年貢の徴収を行っていたと思う。

年貢がちゃんと上がってくるように、その土地を武力で守っていたとういう事です。

 

その常備軍はどこから集めた?

織田信長は農民の次男・三男など跡取りで無い男子を集め給料を出し、武芸の訓練をしてたらしい。

それが織田親衛隊と呼ばれてる。

 

青春新書:武田知弘著:「「桶狭間」は経済戦争だった」と言う著書では、織田信長は大きな港を持っていたため、莫大な財力を持っていた。

 

と要約できるため、織田軍は給金が出せて兵農分離が可能だったと推測される。

では、港も金山も無いならば、どうやって軍を集めたか?

 

やっぱり農民が突発的に借り出されて、行っていたのか?

武功を挙げた農民は褒美に米をもらっていたのか?

家臣も常駐軍がいず、農民が交代で田畑の警備をしていたのか?

家臣は人徳で戦争に動員出来ていたのか?

 

いろいろ興味はつきないが、もうちょっと調べてみようと思う。