私には、
いわゆる「がん友さん」と呼べる人が
いません。
正確に言えば、
「今は」いません。
友達の中で、乳がんで治療していた人は何人かいますが
その友達と、がんの話を分かち合うかと言えば
そんなことはなく
やっぱり「がん友さん」という存在とは違います。(友達にとっての私もきっと同じと思います)
入院中に同室になり出会った
Iさん、Sさん、Nさんは
私にとって唯一の「がん友」で
彼女たちと病室や、退院後に会って
おしゃべりをした時間が
私にとっては病気のことを分かち合える「患者会」そのものでした。
私を含めてみんながステージ4の
ほぼ末期。
今している治療が奏功しなければ
もう後がなかったり、
余命宣告されていたりだったけど、
現実はちゃんと受け入れながら
それでも希望を失うことなく
治療は大変だったけど、笑顔を忘れずに明るく頑張っていました。
今でも、彼女たちのことを
思い出さない日はなくて
たまに心の中で話しかけていたりもします。
***
彼女たちのことを考えるたびに
自分はお医者様でも看護師さんでもなくて
自分には何の手立てもなかったのだと
頭では分かっているのに、
あの時もっとこうしていれば、ああしていれば、と
そんなことばかりを思って、
ぎゅっと握っていたはずの彼女たちの手が
自分の手からするりと抜けて離れていってしまったことを悔やんで、
なぜもっと強く握っていられなかったのか
と自分を責めては
助けられなかったことの後悔、
たったひとり生き残ってしまった罪悪感に
勝手に苦しんでいました。
膀胱がんの患者会は全国でも少なくて
看護師さんに
「マイコさんが立ち上げてみたら?」
と言われるけれど、
私には勇気がありません。
立ち上げるどころか、
患者会、がんサロンに足を運ぶことさえ
怖いと感じて躊躇してしまう自分がいます。
沢山の闘病されている人のブログを読むと
患者会を立ち上げて頑張っている人たちが
沢山いて、
皆さん、どんな思いで、どんなことを心に決めて会を立ち上げよう、とされたのかなぁ...
と思います。
私は弱くてダメダメだなぁ...

と、その度に思うのです。
...
今はまだ、こんな風ですが

でも、
告知を受けて恐怖心や絶望感でいっぱいになっていた自分が、
癌でも寛解したり、共存しながら元気に過ごされている人たちのブログを見つけては
心の底から安堵したのと同じように、
自分の今までの体験やこれからのことを書いていくことで、
こんなブログでも
あの時の自分と同じように、少しでも希望を持って頑張ろうと思ってもらえるなら、
そんな思いもあって
ブログに書いていこうと決めました。
ちょっと前までの私と同じように、
生き残ってしまった罪悪感に苦しんでいる人が
他にもいることを
他の人のブログを読んで知りました。
きっと、もっともっと
同じように苦しんでいる人は
沢山いるのだろうと思います。
や、
に、
自分たちがサバイバーとしてなぜ生きているのか、
生き残った私たちに出来ることはどんなことなのかを
教えていただいた気がします。



あと1週間したら
一人息子の引っ越しです。
寮で一人暮らしを始めるのですが
4週間に一度は帰ってくるので
寂しさよりも
「ご飯をちゃんと作れるのだろうか?」
「カップラーメンばかりになって、栄養失調とかにならないだろうか?」
「ゴミ出しの日を忘れ続けで、ゴミだらけになってしまうんじゃないだろうか?」
...
なんていう心配ばかりしています

さぁ、持っていくものの最終チェックだ

(昨日はこのことで息子と久し振りにケンカしました〜〜
)
