同じ病室だったIさん。
私と同じ膀胱がんで、4人の中では一番若いのに
一番しっかり者のお姉さんのような存在でした。
編み物がとっても得意で、病室に編み物セットを持ち込んで
起きていられる時間はずっと、毛糸の帽子を編んでいました。
性格は男勝りなのに
彼女の編む帽子はほんとに色がカラフルで
とってもステキ!

家庭科がずっと赤点だった私にとっては
そんなIさんは憧れの存在でした

鼠蹊部のリンパ節転移の影響なのか
片方の足だけがリンパ浮腫でパンパンに腫れていて、2〜3時間おきくらいに痛み止めを飲んでいたけれど、
Iさんは泣き言ひとつ言わずに頑張っていました。
同じく闘病仲間のSさん。
彼女は腎臓がんで、私たちよりうんと前から
入院していた先輩でした。
雰囲気も人柄も
まさにお花のような🌸人。
私より2つほど年上と知ったときには
「ホントに〜〜⁉️」と思わず大声で言ってしまったほどにビックリ

福山雅治が大好きで
ベットの横にはいつも微笑む福山のポスターが
貼ってありました。
骨転移でなかなか歩けなかったのに
一生懸命リハビリをして
廊下を歩けるようになったときには、
看護師さんや看護助手さん、同じ病棟の患者さんたちが、自分のことのように大喜びして

そんな中を嬉しそうに歩くSさんの姿は
私たちに勇気や希望を与えてくれました

そして、Nさん。
患者数の少ない腎盂尿管がんで
出会ったときには
がんセンターで余命3ヶ月、と宣告されてから
1ヶ月が過ぎていました。
自分のことで精一杯でも不思議でなかったのに
新入りの私のことをすごく気に掛けてくれて
自分が摂っている栄養補助食品を分けてくれたり
カーテンの中に引きこもっていた私を
IさんやSさんたちに引き合わせてくれました。
どんなに厳しい状況になっても
生きることを絶対に諦めず、いつも前を向いて
明るく強く生きていました。
そんなNさんに、抗がん剤治療が奏功し肺の転移巣が小さくなったという知らせがありました。
いつも気丈で明るいNさんが、声を出さずに泣いているのが聞こえてきて、カーテン越しに
「ほんとに良かった。おめでとう
」

と声を掛けたら、
Nさんは「ありがとう〜
」と号泣していました。

新米看護師さんだった🌼さん。
抗がん剤の点滴準備にまだまだ不慣れで
ひとつひとつの作業を
一生懸命確認しながら頑張っていました。
それでも、しなくてはいけない確認作業を
飛ばしてしまったり、点滴開始する前にもう一人の看護師さんへ確認の依頼をするのをうっかり忘れてしまったりして
先輩看護師さんに叱られることも度々

そんな🌼さんが担当になった日は
私たちの方からバカみたいな話をしては笑って
「大丈夫、大丈夫〜
」

「🌼さんは、きっと良い看護師さんになるよ」
と、落ち込む🌼さんに声を掛けていました。
夜中に、吐き気と痛みで
苦しくて辛くてなんともならなかったとき
ベテランの看護師さんが病室へ飛んできてくれては、主治医と連絡をとってくれて
吐き気どめの注射をしてくれたり
痛み止めのテープを背中に貼ってくれたり
ずっと背中をさすってくれたりしてくれました。
精神的に落ち込んでるとき
冗談をいったり、変顔🤪をして笑わせてくれる
看護師さんもいました

看護助手さんたちも、明るく優しい人ばかりで
「困ってることはない〜?」
「私が代わりにやってきてあげるよ
」


と声を掛けてくれたりと、
心温まるケアをしてくれていました。
食堂の栄養士さんたちは
遅くに来ていた私のことを覚えていてくれて
食べにくそうにしていると
「お粥に変えましょうか〜」といってくれたり
食器返却窓口で、半分くらい食べられました...
と報告すると
「良かったです!
」と自分のことのように

喜んでくれました。
改築前の、古い病棟だったけど
苦しくで辛いこともあったけど
温かくて優しい、
みんなで頑張っていた、素敵な病棟でした。