子どもが不登校になると、
どうしても
親としては不安になりますよね。
このままでいいの?
将来どうなるの?
実はそうした不安の奥には、
もっと深い「本音」が
隠れていることがあります。
今回は私自身の体験や、
これまでお話を伺ってきた中で気づいた
親の心の葛藤について
お話ししたいと思います。
親の不安の正体
子どもが不登校になると
親も不安になります。
理由はいろいろありますが、
なんでなんだろう?って見ていくと
このままずっと不登校が続いて
大人になっても社会に適応できず
本当の引きこもりになったら
どうしよう…
私が面倒見なくちゃいけないの?!
そんなのムリムリー!!



って思ってる人、
私が今まで
お話を聞かせていただいた方の中にも
多くいらっしゃいました。
そして…私もそう思っていました

『面倒見なきゃいけない』でも『ムリ!』の葛藤
でね、
面倒見なくちゃって思うと
ムリー!!
なんだけど…
何がどうムリ?って
具体的にしていくと
人それぞれの理由がでてきます。
●金銭的に苦しいとか
●自由を奪われるのが嫌とか
●縛られる感じがして嫌とか
●兄弟に迷惑をかけるんじゃないかとか
人によっていろいろです。
私は金銭的にムリ。
自由を奪われる感じも嫌でした。
で、じゃあどうしたいの??
と聞くと
そんなことになったら苦しいから
逃げ出したい!!
ってほとんどの場合なるんです。
この逃げ出したいほどの苦しさを
感じたくないんですよね。
だから子どもをどうにかして
学校に行かせて
自分の苦しさを軽くしようとするんです。
…と、ここまでは
自分と向き合えば
わりと早い段階で気付くことができます。
そうかそうか。
子どもをコントロールしたいのは
自分の不安からなんだな

じゃあ、
不安を感じて感情を出し切ったら
客観的に見ていきましょう

っていうのが流れです。
でも…
私、実はこれだけじゃなかったんです。
逃げ出したいのに逃げられない
だってね
逃げ出したいんですよ。
逃げ出したいなら
逃げたらいいじゃないですか。
子どもが大人になった未来を
心配しているんでしょう?
もう大人なんですよ。
面倒見なくてもいいじゃないですか。
なんで大人になった子どもを
いつまでも面倒見ないといけない
と思っているのか
ってことなんです。
ここに苦しみの元があるんです。
もう相手は大人。
手を放してもいいんですよ。
でも、それができないんです。
なぜなら…
無責任に感じるから。
無責任なことはしてはいけない
って思っているんです。
精神的にはもちろん、
社会的、経済的自立が
できていない子どもに対して
例え一時的だとしても
子どもが
困ることになるとわかっていながら
あなたの人生なんだから
あなたの責任で生きなさい
そう言うことを
無責任だと感じているんです。
責任が重くて手放したいのに
手放すことを無責任と感じる
どっちにもいけない!!
人は思いがどちらかに偏っていれば
悩まないです。
相反する気持ちが均衡しているから
思い悩むんです。
精神的自立とは?
私が苦しんた理由は
責任が重かったからです。
社会的、経済的自立をしていても
私は精神的に
全く自立できていませんでした。
※AIによる概要
精神的自立とは他者の意思や意見に依存せず、
自分の考えで物事を判断し、自分の責任で行動できる状態を指します。
これは、自己の価値観に基づいて「どう生きるか」の目標を設定し、その達成のために主体的に行動し、結果を受け止める能力のことです。
不登校界隈で分かりやすく言うと…
子どもに心配を向けて
自分の不安を埋めてもらおうとしている人は
精神的自立ができていないということ。
社会的・経済的にしっかり自立していても
精神的自立ができていない人は多くいます。
自分の人生の責任がとれないのに
自分以外の人生の責任まで
背負うことになる。
子どもなら仕方ない。
でも子どもが大人になったら
解放されると思っていたのに
もしかしたら、
自分が死ぬまでずっと
この重い重い責任を
感じ続けなければならないのか?
そう思うと苦しすぎるんです…

でも、大丈夫です。
その責任の重さにも、
少しずつ光を当てていくことで、
軽くしていける道があります。
子どもにイライラしたり
不安で押しつぶされそうになるのは
決してダメな親だからではありません。
むしろ
責任感が強く
子どもを大切に思っている証拠なんです。
でも
その責任感が時に自分を苦しめ
身動きが取れなくなる原因にもなります。
長くなるので続きます。