小学校を二年間不登校で
中学校入学をきっかけに登校を始めた
次男
との会話。

次男 :
「母さん。僕が今月一番おいしかったもの何だと思う??
」

私 : 「えーなにー??」
次男 : 「揚げ餃子
」

私 : 「あぁ!!給食だね」
次男 :
「何で今まで給食を食べなかったんだろう。あんなに美味しいのに
」

「揚げ餃子の美味しさを忘れてたよ」
ほほぅ

元々食いしん坊の次男は
小学生の頃から
給食を【学校に行く楽しみ】
としていました。
不登校期間にも
『どーしても食べたい
』と言って

給食目的で
なんとか登校できた日が
数日ありました。
それも
いよいよできなくなった時には
『この献立でも行けないなら
もう無理だろうなぁ
』

と私は思いました。
それが!!
この発言です。
↓↓
次男 :
「何で今まで給食を食べなかったんだろう。あんなに美味しいのに
」

給食は
栄養バランスを考えてあるし
色々な食材を使ってあって
私が作らないようなものも食べられるし
友達と一緒に食べられるし
そして美味しい!
いいこと尽くめの有りがたいことです。
また食べられるようになって
良かったなぁと思いました。
でも夜には…
次男 :
「あーもう
」

「疲れた!中学校宿題多い!」
「もう行けないよ……限界だ
」

「学校行かないよりは
宿題しない方がマシだろ…
」


そう怒りながら寝ました

宿題をしないといけないと
わかっていても
学校から帰ると
頭からは宿題の意識がなくなっています。
もう学校に行っただけで
やり遂げた達成感と
疲れでいっぱいな様子です。
昨日は懇談で
生徒は午前中授業だったので
午後から
たっぷり時間はあったはずです。
でも次男は学校から帰ると
ずっと遊んでいました。
2年ほど宿題もしない・登校もしない
何にも縛られず
自由に時間を使っていた次男は
決められたことを毎日繰り返しする
というリズムに
慣れていないんでしょうね。
不登校だった子に
●毎日登校して
さらに
●毎日宿題もきちんとして
というのは
なかなか難しいんだろうなぁ
と感じます。
長男も昨年
高校入学をきっかけに
登校頻度は上がりましたが
行くのが精一杯で
宿題は全くできませんでした

でも、これも次男の学び。
●給食の美味しさに感動したのも
●宿題を後回しにして遊んで、疲れて結局できなかったのも
●不登校の後の再登校は疲れるというのも
全部
次男に必要な経験で、大切な学びです。
この経験をどう捉え、
どう活かすかは
次男にしかわかりませんし
次男のものですね。
そして長男は

昨日もお弁当箱を出しませんでした。
これも大切な学び

先週末も出していなくて
(私も気づかず月曜の朝、お弁当を作ろうとして気づきました
)


残した中身が
大変なことになっていました

(金曜のお弁当なので3日放置されてました…)
そのお弁当箱を
長男は臭さで顔を歪めながら
自分で洗いました。
感覚過敏の長男にとっては
私が感じる以上に臭かったと思います。
にもかかわらず懲りない長男

また忘れてる…と、
今回私は夜に気づきましたが、
放っておきました。
お弁当箱を出さないと
私はお弁当を作りません。
長男の責任なので
お昼ごはん代も渡しません。
臭くなったお弁当箱を洗うのも長男です。
私が困ることは何もありません。
長男のことなので
私が予想しない捉え方をする可能性も
もちろんあります

でも、それも長男の学びです。
今、私は、
悩んだときには
子どもたちが困る方を選択することにしています。
ついつい先回りして
子どもが困らないように動きそうになります。
でもそうやって
子どもが学ぶ機会を奪ってきた自覚があります。
それももちろん愛情だったのですが
欠乏感を持った愛だったんですね。
同じ愛を贈るなら
心配より信頼の愛を贈りたい。
子どもは大丈夫。
どんなことからも
必ず立ち上がる力があります。
子どもが学ぶ機会を奪わない。
これが大切なことなのだと感じています。