昨日のブログで


友人のギリギリ話を聞いて
私もギリギリもを選択してみよう!

と思ったニコニコとお話をしました。



昨日のブログはこちら↓↓

コメントをいただいたので
もう少し考えてみました。





私はなんでもギリギリが嫌で


期限のあるものは
基本的に早めに終わらせます。



やりたくないことも
なるべく早めに終わらせます。





では私が
なぜ早めに終わらせる選択
をするようになったのか?

という部分を考えていきたいと思います。









私は子どもの頃から
だいたい何でも早い子でした。



宿題を終わらせるのも早い。



授業中、
「ここまでできたら提出してね」
と先生に言われた時も

だいたい1番か2番に提出。



準備、片付け、なんでも早い。



ただ自分のペースでやっていたら
人より早かった。


それだけのことで、
考えてやっていたわけではありません。








でも私はだんだん
考えるようになったのです。




早いと褒められるな凝視


先生も、お母さんも、お父さんも、
なんだかいつも褒めてくれるな凝視




早いって、
それだけで褒められることなんだな凝視




なーんだ。簡単じゃんよだれ


褒められるっていい気持ちラブラブ
もっと褒められたいよだれ












そう感じた幼い私は

早く終わらせることに
徐々に縛られていきました。





最初は無意識だったことが

褒められるためには?
と考えるようになり、



そのうち早いことが
当たり前のこととなり、



そうして
できていないなんてことは
決してあってはならない!となり、




最終的には
早くしなければならないんだよ!物申す

となっていったのです。










ここまでくると
先延ばしするという選択は

私の中になくなりました。




早く終わらせることが

自分の存在価値にまで
影響してしまっていたんですね。





私は自ら進んで、早めに、
嫌なことを終わらせていたわけではなく



嫌なことでも早めに終わらせる
という選択しか

できなくなっていたのです。





すごいことでも何でもないんです。

これが
私が何でも早めに進めていた理由です。




こういう自分縛りは非常に生き辛いです。




でも私は
その生き辛さに気がついていませんでした。




気付きを与えてくれたのは
ギリギリさんの長男です。












私は長男のギリギリに
いつもイライラもやもやして

苦しかったんです。




だって
自分の存在価値にまで影響を及ぼす
(と潜在意識で無意識に思い込んでいる)
ことを



大切な大切な長男が
平気な顔でいつもするのでぶー



私は心穏やかでいられるはずもなく…



そんなことしてたらダメだよ驚き
大変なことになるよ驚き驚き


と必死でした。





でも長男を見ていて、
徐々に
先延ばししても意外と大丈夫かも凝視

と気がつき始めました。




気がつくと
選ぶことができるようになります。




どちらも選べる状態での選択が
フラットで自分らしい自分の選択です。




今まで自分に禁止していたことを
するわけなので、初めは恐いです。





でもね、恐いはGOなんです。

一度やってみると慣れるものです。



私もようやく
友人や長男のレベルまでギリギリを試してみよう
と思えるところに辿り着きましたにっこり




そうすると生き辛さは解消され

世界はぐいーんと広がるのですニコニコ