冬休みになって
次男が学校の宿題をしています

102ページあるワークを
毎日何ページと計画的に決めて
進めているようです



私は
自分から宿題をするなんて
一体どうしたんだろう

と、次男が宿題をすることを
少々疑問に思っていました。
すると昨晩のこと。
急に次男が理由を話し始めたのです。
不登校次男が宿題をする理由
12月の中旬
次男が久しぶりに登校したときのこと。
次男は久しぶりすぎて
授業が全くわからなかったそうです

でも、
分からないことを
周りに知られるのは恥ずかしい…
ヤル気のないふりをして
過ごしたそうです。
次男は後から
そのことをお友達に話しました。
すると…
分からないことは
恥ずかしいことじゃない。
学ぶ姿勢のないことが
恥ずかしいことだよ。
と、言われたそうです。
このお友達。
小学校6年生で既に
超難関大学の入試問題がすらすら解ける
とてもとても優秀なお子さんです。
聞いた瞬間私は、
本当にそのとおり…的確過ぎる

そう思いました

私はこのお友達の言葉を
「◯◯◯◯名言集」としてまとめたい!
とこれまでも思っていて
実はひっそりとまとめているのですが、
今回もまた的確な発言で、
次男もハッとさせられたようでした
このお友達の言葉が
宿題をしてみよう!と思う
きっかけの1つとなったのだと思います。
そして
学校に行かない。
宿題もしない。
勉強もしない。
これでは
授業についていけなくなる
ということにも
次男はようやく気がつきました。
困ったこともないのに
人にどんなに言われてもわかりません。
困った経験をして初めて、
自分の行動を真剣に考えるのだと思います。
勉強をして
授業の内容がわかる自分と
勉強をせず
授業の内容がわからない自分
どちらを選択するのも自由です。
でも、
両方経験していないと
本当の意味で選んだとは言えません。
次男は今まで
勉強なんてしていなくても
授業を聞いたらすぐわかる

と余裕でいました。
だから学校に行っていなくても
勉強をする気なんてない。
宿題をする必要性も
全く感じていませんでした。
でも、やっと、やっと、
勉強しないとわからなくなるんだ!

ということを思い知ったのです。
言われるがままの選択
周りと同じ安心の選択
こういう選択は
自分の選択ではありません。
自分で自分の選択をする。
当たり前のようで難しいことです。
学校教育がそうではありませんからね。
日頃から
『自分がどう感じるのか』
を意識して過ごすと
徐々にできるようになってきます。
自分にはこれが必要
自分にはこれが大切
自分はこれが心地よい
こういう選択をできることが
本当の意味で自分の人生を生きる
ということなのだと思います。