昨日は
換気口のフィルターを交換しました。
トイレの換気口は高い位置にあって
私は手が届きません。
いつも台を使って交換しています。
でも実は毎回、
「どうしてこんな高い位置に作ったかな?
不便で仕方ないじゃん
」

こんな風に感じて
嫌な気持ちになっていました。
台を持ってくるだけなのに、
それだけで
交換のハードルがだいぶ上がる…
面倒臭がりの私。
設計したときは
「高い所は夫にやってもらえばいいや
」

と思っていたので
高さなんて気にしていなかったのです。
それが…
家ができる直前に
夫は亡くなってしまい、
結局この高い位置にあるフィルターは
一度も
夫に交換してもらえませんでした。
フィルター交換の度に
毎回感じる「不便だな」と思う気持ち。
どうしてこんなに嫌なんだろう…と
今回、ふと考えました。
すると
本当はこんな予定じゃなかった。
本当は夫が「いいよ」と言って
交換してくれるはすだった。
こんな思いがでてきます。
私は、
フィルターを交換する度に、
夫を思い出して、
夫がいない寂しさや悲しさを感じ、
切ない気持ちになっていたのです。
だからフィルター交換をするのが
こんなに嫌だったのか…
と納得しました。
そして
なぜこんなに切ない気持ちになるのか?
というと、
そこには愛があるから。
私が夫を愛していたから。
だからこんな気持ちになるんだ
と気がつきました。
そこまで気がつくとスッキリします。
そっかそっか。
私が夫を愛していたから、
だから
フィルター交換がこんなに嫌なのか。
なるほど。
それはもう仕方ないな。
そんな風に思うと
次の考えがでてきました。
私が嫌なんだから
長男に頼めばいいじゃん!!
長男はとっくに私より背が高く
最近の子は手足が長いので、
長男なら簡単に
手が届きそうだなと気がつきました。
長男に頼んでみると
「いいよ
」と快諾してくれました。

なーんだ。
こんなに簡単なことだったのか。
交換してくれる長男を見て
長男の成長を感じ
とっても嬉しくなりました。
毎回面倒で、
切ない気持ちになっていた
フィルター交換が
長男の成長を感じられる
楽しみなことに変わりました。
無意識に感じている感情に
自分が気がついてあげられたら
自分がとっても喜ぶのです。
そして
本当の気持ちに寄り添う。
この方法は
物事の捉え方を
180度変えることができる
素敵な方法なのです。