ちょうど1年前。



2年間、五月雨登校の長男が
高校受験目前の年末。




長男は全日制普通科高校を受験する
と決めていました。




毎日、放課後登校していたので

欠席数は
そんなに多くはありませんでしたが、


それでも
他の受験生より欠席数は圧倒的に多く、

授業を受けていないので評定も低い。


我が家がある県の場合

県立高校 : 欠席数のみ
私立高校 : 欠席数 + 遅刻·早退数

が内申点に含まれるそうです。

ちなみに
長男の第一志望は県立高校でした。






こんな状態。




このままでは不合格に違いない!!

滑り止めだって安心はできないよ!!

この状況、当日の点数が大切だ!!

勉強しなくちゃっ!!



と、
なぜか本人でもないのに

私が猛烈に焦っていました驚き





でも、
自分で「この高校を受験する」
と決めたんだから!



険しい道とわかっていて
自分で選択したんだから!



流石に…長男も勉強するよね…
とも思っていました。







だけど




待てど暮らせど
長男に勉強する気配はなく、




いつまでたっても
楽しそうに遊んでいて



いつもと同じ楽しい年末。










受験生らしい雰囲気はありませんでした。





もしかして…長男は…

自分がどんなに危機的な状況なのか
気がついていないのか…?


これは
崖っぷちって言うんじゃないのか?


行く高校が無かったらどうするんだ驚き



そんな風に私は焦っていました。







結局、長男が受験勉強を始めたのは

受験の3日前。





こんな調子の長男のことを

当時の私は、

全然、理解できない…魂が抜ける



と思っていました。





でも、同時に

長男の高校受験なのに
自分の受験の時より焦っていること

に違和感を感じました。





この違和感は
私にとって重大な気付きとなりました。














今、この当時を振り返ってみると…





長男が

危機的状況に気がついていない!
崖っぷちだとわかっていない!

のではなく…




長男にとって

全然、危機的状況ではなく
全然、崖っぷちでもなかった


…のでした真顔










あらビックリ。






長男は第一志望の高校に進学したい気持ちがあるので

できるだけの努力はしていました。




それでも私は
長男の学習量では足りないと思い込み
(冬休みの宿題すら手をつけていなかったんでね…)


勝手に焦って追い詰められ、

イライラして、もやもやして、


長男の状況を危機的!!
と決めつけていました。






本人は納得しているのに。







基本的に長男は今が一番大切で

常識にとらわれることなく
今の自分の心地よさを優先します。



自分の人生に
ほとんど関係もない他人の目は
全く気にしません。



誰になんと言われようと
自分の感覚を信じ貫きます。




なんとなくこれで大丈夫な気がするから
それでいい。


もしダメならその時、別の道を考える。



大丈夫。後悔はしない。




今を後悔したくないから

今を大切に優先する。



そんな考えの持ち主です。



素敵な考え方だなと思います。








600年前に世阿弥が提唱した
大切な視点が3つあります。


①我見(自分が主体となる視点)

②離見(相手から自分を見る視点)

③離見の見(全体から見る視点)




特にこの「離見の見(りけんのけん)」という視点がとても大切だそうです。




自分の行動を俯瞰してみる


ドローンで
上から自分を見るようなイメージです。




この視点を持つと
自分に対して冷静に客観的になれます。





長男の受験期に私が焦っていたのは

本人が納得している行動に対して



私が勝手に、境界線を超えて

私が勝手に、振り回されていた。




ただ、それだけのことでした。




いわゆる自作自演です。






自分自身のありのままを観察する。

そして
これは誰の課題なのかを考える。




この視点を意識すると


焦らず落ち着いて
見守れるようになると思います。




受験生のいるご家庭は
どうしてもピリピリしがちですが、


是非、世阿弥の「離見の見」
意識してみてくださいね指差し