三番目小5

夫の誕生日以来めっちゃ泣く…ぐすん

夫の誕生日の出来事はこちら↓↓

夫が亡くなった時三番目は7歳だった


夫は末っ子の三番目を
それはそれは可愛がり甘やかしていたウシシ



私の脳裏には

夫が子どもたちを可愛がる姿が

焼き付いている




だけど
人の記憶は時と共に薄れる…



三番目は父親の記憶が少ないらしい

それでも父親が
自分をとても可愛がってくれていた
という感覚はあって

何度も何度も写真を繰り返し見る




寝る前に布団のなかで泣く…ぐすん

父さん…ぐすんぐすんぐすん


母さんが泣いた方がいいって言ったぐすん


確かに言った…凝視

でも…母さんはもう眠い…ふとん1


父さん…ぐすんぐすんぐすん


うんうん

寂しいな…辛いな…ふとん1


だって…

絶対会えないもんぐすんぐすんぐすん


そうだねぇ…

0%っていうのは希望がないよなぁ…ふとん1


30秒でいいから話がしたい…ぐすん


全然覚えてないんだもん…ぐすん

まだ7歳だったんだもん…ぐすん


父さんの歳まで生きられるかな…

母さんは死なないで…

母さんまで死んだら○○も死ぬえーん




そっか…

そんな風に思ってたんだな…




もっともっと小さかったら


亡くなったってことが

わからないくらい小さかったら



こんなに寂しくなかったのかな…






だけど仕方ない

夫に死ぬ予定はなかったのだから…




三番目が泣くのはいいことだと思う



グリーフケアという言葉を知ったのは

夫が亡くなって2年たったころだった



本当は亡くなってすぐに

した方がいいらしいけど



当時はそんなこと知らなかったし

自分の心を保つこと、

生活をすること、

それだけで精一杯で



子どもたちの心のケアまで

頭がまわらなかった




当時

3人とも学校へ行っていたから

3人とも笑っていたから




なんとかしなくちゃいけないのは


自分の心だったから






結局みんな

悲しみや寂しさ、喪失感を

閉じ込めて岩盤で固めてしまった




この閉じ込めた蓋を敢えて

こちらから開けることは

怖くてできなかった




でも…

思いがけず夫の誕生日に

蓋を開けるきっかけをもらった




こんなにも苦しい思いを…

3年以上蓋をして過ごさせてしまった…



ここから

本当の気持ちを解放していこう




時間がかかると思う


その期間

学校は行けないことが多いかもしれない


でも

子どもたちの人生において

どこかで向き合わなければいけないこと




そのタイミングがきっと

今なのだ