本稿を書こうとしたきっかけは、一競馬ファンとして側面から見てきた中央競馬に対する謝罪の意味と、今さらながら社会を動かす経済、特にマクロの動きは一面的に判断することができない、という現実を知ることになったことについて、ささやかな記憶をたどりながら歴史を再認識し、未来の競馬産業について言及できればと思い執筆することにした。

ここで言う中央競馬への謝罪とは、遅々として進まない国際化への批判を繰り返してきた立場から、それがごく一面的な考えであったことへの謝罪である。特に少し前の調教師の姿勢は、まず強い馬が出れば国内のレースを総なめし、その後海外へ、というのがパターンであった。ディープインパクトなどがその例である。ディープインパクトが凱旋門賞で敗れ果て失格処分となったことは仕方がないとしても、もっと早くに海外へ出すべきだった、というのは結果論とはいえ、当時歯がゆさを感じたものだった。昨年のダービー馬マカヒキの例やキズナのリスクテイクを思えば、それは単一的な感情論でしかなかったと反省している。

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ラニの例などは、馬主サイドとしてはよりリスキーな挑戦であるが、ディープインパクトの頃からすると隔世の念を抱かざるを得ない。