労働者の街・アードイン地区にあるホーリークロス男子小学校。
教師が殺害予告を受け、今もなおIRAが若者の勧誘をやめないこの街は、 ひとつ間違えれば『レ・ミゼラブル』の舞台となった、モンフェルメイユと同じになる。
武力抗争に身を投じた過去を持つ校長が、哲学の授業を通して、アンガーマネジメント、対話、不安のコントロールと癒しの大切さを教えるドキュメンタリー。
…ネタバレになりますが、アンガーマネジメントって、
相手の地雷完全に踏んじゃってるのに、視界に入り続けている人には逆効果
です。最高のアンガーマネジメントは『物理的距離』。
日曜の金髪なんか、そういうの守らない最たるモノだし、
責任放置している日曜のIRは、
火曜のIRに比べてボンクラ要素あるんじゃねーのか…と考えたりしています。
8月から上映してて、どの回も満席(唖然)
ロングラン公演になってやっと観に行けました。よかった~
培養肉製造や、服のリサイクルのドキュメンタリーを観た…んすが、
万人むけに、ほど遠いドキュメンタリーだったのでパスしました。
為にはなるんすよ、人生の糧には。
でも、万人向き+感想を書くのに適していますか+エンターテイメント性があって、 人の心を揺さぶる要素がありますか~つーたら、そういう要素ゼロ+自動車の免許更新の時に見る研修のスライドショーより退屈なシーン(具体的な例え)が半分ぐらいあったし。
客は5人しか居ない+半分以上寝落ちしてるのが上映中に判る(涙)ドキュメンタリーのネタバレあらすじを書くのは困難だったのでパスしました。
少しでも感想かける要素が見つかった今回の映画、予告編こちら、あらすじ行ってみる。
『他人に怒りをぶつけてもいい?』
ボールを持った男の子は、クラスメートの男の子にボールを投げてこう言った。
他の男の子は言う。
『やったらやりかえせってって言うだろ』
今まで生徒の男の子たちのやり取りを横でみていた、スキンヘッドの校長は、生徒たちを『Phliosophy Wall(思索の壁)』と呼ぶホワイトボードに連れて行った。
思索の壁は、自分が何故そんな行動をとったのか、書き出してみて、怒りが収まる方法を、自分なりに書き出してみる場所だ。
校長は哲学者セネカの『怒りをコントロールする10の方法』を教える所もある中、
生徒たちは、思索の壁に立ち向かい、自分の中にある怒りを俯瞰することで 自然にセネカのメゾットを体得していく。
『どうして、やったらやりかえせって思ったんだい』『パパがいつも言ってたんだ』
『じゃぁ、僕が君の役をやる、君はパパの役をやってみて。』
ケヴィン校長が生徒の男の子に自身の父親役を演じさせた所、男の子の父親は、子どもに『話をかぶせる(話をきかない)』人間だと判った。
普段はおちゃめでプレスリーが大好きな校長は、子どもたちの保護者の前では厳しい顔になる。
この国が生み出した不の連鎖をやめさせるために
ケヴィン校長は、生徒の保護者に厳しく戒める。
子どもの話が終わるまで、黙って子どもの話を聞き続け、意見は言わないでください
校長は、生徒に対し、親と話すときに、親から一般論や個人的見解を先に押し付けられても『なぜ?』を忘れないようにと教え続けている。
何故なら『ハイ、これ正解』を頭ごなしに言う指導者?とか親の存在は、子どもや生徒から『考える機会』を奪い、
自身の考えを押し付けることで、子どもや生徒の思考能力を低下・停止させてしまうからなんだそうな。
『そういう考えもあるよね~』な『その考え取り入れよう』な指導者や親に育てられた生徒や子どもの方が伸びるという話。
…大人になれば、なる程『人の話を黙って聞く』というのは、できなくなってしまう。
も~なんつーのか『話聞いて欲しい+話の主導権握りたいから、話聞いてくれそうな人を嗅ぎ分けて話しかける+会話に割って入る』という雰囲気が 体中から、もやぁ~と出ているオ〇サンを見ると、
ホントに気持ち悪くなります…。
…日曜の金髪なんか、その最たるモノなんすが…。
死んだオヤジも元彼も『黙って話を聞く型』の人間だったので、それが当たり前に思ってたブログ主としては、ベラベラボーな人を見ると、そんなに喋ると底が浅いのがバレるけど、大丈夫なの??と思うのです。
黙って話を聞く以上に、驚いたのが、『嫌な事を先に書き出すこと』
この役目を担っているのが、副校長のジャン・マリー・リール先生。
校長がメインの指導役なら、補佐であり、生徒たちの母親的存在でもあるマリー。
ホラ、アヤシイビジネス勧誘セミナーとかって、私生活暗くてもセミナーでは『日常生活にある素晴らしい事を1日1つは見つけましょう』だの、 『今日が辛くても1日1回笑いましょう』だの、〇にたくなっても感謝しろだの言われるじゃーないですか。
哀しい心に反して無理に笑うより、暗い思いは心許せる人の前でだけ吐露する。
暗闇は夜明けの一歩前という発想で。
ホントにオヤジや元彼は、こういうタイプだったよなぁ~うんうん。
黙って話を最後まで聞く+嫌なことを先に言えばいい(嫌な事から原因を見つけて解決していこう)型で。
嫌だったのは、母親で(涙)
話の最中に、どんどん被せてきて、酷いと話は取ってしまうわ、
嫌な事があっても文句いうな(←問題解決をする気がない)とか、
それで外面はいいのだから、そういう親を心から尊敬できますかと言われたら、
ムリですよqqqqqというワケで。
そういう面で、ほほーと感動したのが、副校長マリー先生が、糖尿病を患う男の子アルフィーと面談するシーン。
Life is hard(人生は辛いよ)というアルフィー。
アルフィーは、一見誰とでもソツなくやっていけるように見えるけど、そうじゃない。
(悩みを話せる)友達はいない、学校なんか行きたくない、父親は疎遠、糖尿病の治療をしていることは周りの同級生に言えない。
するとアルフィーとマリーが面談している部屋に他の教員が訪ねてくる。
独りぼっちじゃないと。
今まで曇っていたアルフィーの顔が、少しだけ明るくなり、自分には妹がいて、妹の存在が唯一の救いなことをマリーに教える。
よかったなぁ、アルフィー。 ブログ主には、アルフィーにおける妹はいないし、誤解ばかり受けるけど。
校長が、哲学の授業をはじめたきっかけは、子どもたちが勉強に気乗りしない姿を見てのことだったそうな。
クィーンズ大で歴史と政治を専攻し、その一環で哲学に興味をもった校長は、ロンドンにある、フィロソフィー・ファンデーションで、
哲学を学びなおし、小学校の必須科目として導入。
当初は反対意見もあったそうなのだけど、実績を積むことで保護者の信頼を勝ち取った…そうです。
…というのがケヴィン校長の哲学教室のモットーだそうです。