愛着ある街がヨソ者によって変わっていく
貴方は、例え最後の1人になったとしても愛着ある街で生きる事が出来るだろうか?
主人公を演じたジミー・フェイルズの身の上に起きた話を、盟友である監督が映画化した話です。
独立系のアップリンクらしいチョイスだなぁ、と思いました。
内容が内容だけにレイト一歩手前(18時や20時)という 上映しかやってないqqqq
米国じゃぁ、IT産業が主軸に変わった地域は不動産価格が高騰。
時間をかけ、街を作り上げてきた人々は追い出されてしまうことを、ジェントリフィケーション
…こういう事を書くと『ワタシ留学したことあるんですけどw』とか『投資銀行勤めてるんだよネ~』という誠に上目線なウザえもんキャラが、 映画も観もしないうちから余計な事を言いそうなんですがqqqq
そういうカネカネキンコな残念な人たちの言い分はスルーしてqqq
…どんな所でもそうです。
儲かるから、栄えるからという理由で、元々住んでいた人たちを、あっさり追い出してもいいものなんでしょうか?
こういうのって、最近の大阪都構想から、スタジオプログラムにまで通じる問題かもしれません。
予告編はこちら
あらすじいってみる
サンフランシスコで生まれ育った青年ジミー・フェイルズ(本人)は、親友・モント(ジョナサン・メジャーズ)の家に居候している。
ジミーが子供時代を過ごしたフィルモア地区は元々“西のハーレム”と呼ばれる黒人居住区だったが今は富裕層の暮らす高級住宅地。
ジミーは子供時代の家が忘れられず、介護士となり普段はフィルモア地区で白人の裕福な認知症の女性フィリス(マーリー・キーニー)の訪問介護をし、その帰りに、祖父が建てたであろう、とんがり屋根の家を眺めて帰る日々を送っていた。
かつて祖父がたてたと父に聞かされた家は今白人老夫婦が住んでいるが、頻繁に外出する老夫婦の目を盗んでジミーは家の外壁のペンキを塗りコツコツと補修していた。
ボロボロのまま佇む生家を見るに見かねて家主の目を盗んで、時にコツコツとペンキを塗り、時に庭の手入れをするジミー。
ある日、家に住む夫婦マリー(マキシミリアン・エウォルト)、テリー(マイケル・オブライアン)夫妻に家のペンキを無断で塗っている所を見つかってしまった。
テリーは、家を修復してるのだからいいじゃないかと妻マリーをなだめるが、自分の家に黒人がいると騒ぎ立てるマリーは買い物袋から食べ物を出してジミーに投げつける狂乱ぶりだった。
両親の離婚後、ジミーは施設に預けられたり、車中泊をした末に、親友モントの家に居候する事になった。
モントの家は、サンフランシスコ郊外の船着場にある一軒家で、モントの祖父グランパ・アレン(ダニー・グローバー)が建てた家だった。
俳優や脚本家を目指していたアレンは認知症が入っており、毎日モントと同じモノクロの映画を古びたテレビで観て孫のモントに、いつかいい芝居を二人で完成させようといい、ジミーには、ここにずっと居ろと言う。
生活の糧として魚屋に勤めるモントは、舞台俳優や脚本家を志しているが祖父の事があり錆びれた街を抜け出せない。
いつか自分の夢を実現させようと自作の舞台のアイデアを赤のモレスキンのノートに書き綴っていた。
ある日、ジミーがいつもの様にフィルモア地区にある生家の前を通ると、大きな引っ越しトラックが止まり、荷物を運び出していた。
遺産相続でもめた老夫婦が無理やりこの家を追い出される事になったというのだ。
不動産屋に売りに出されていない家は空き家となり、ジミーにとって生家を手にできる千歳一遇のチャンスだった。
ジミーはモントと共に鍵がかかった生家のドアを打ち破り中に入ると、中は彼が育った時そのまま。
パイプオルガン、書斎、とんがり帽子の屋根裏部屋、
ジミーは昔住んでいた頃の家具を引き取った父方の叔母ワンダ(ティチーナ・アーノルド)の家に行き、 家財道具を貰い、生家に運び込んだ。
偶然にも手に入れたかつての我が家。
だが高級住宅地に建つジミーの生家は既に不動産ブローカー・クレイトン(フィン・ウィットロック)が目をつけ売りさばこうとしていた…。
以下ネタバレです。
映画の冒頭は、サビれた船着場でバスを待ってるジミーとモントの絵面からはじまります。
『バス待っても来ねぇなぁ~』って感じで。
全然こないバスを待ってる2人の前で教会の黒人神父(ウィリー・ヘン)が浜辺をバックに議員みたいに演説してるんですが誰も聴いてないのです。
船着場の沖には工場があり原子力発電所も建設中で、水銀が流れる汚染された海。
外から来る観光客相手には『夢の街サンフランシスコ』みたいなコト言ってるけれど、貧しい人たちが住んでいるのは全然違うからという。
今こそ立ち上がれと神父さんは演説するのだけど、誰も耳を貸さない、そんなことムダだと思ってる。
サンフランシスコの観光地に住んでる輩に、オレたちの事なんざ見えやしないと。
で、あまりにもバスが来ないのでシビレを切らしたジミーとモントは、ジミーのスケボーに乗ってシスコ都心部に出かけていくのです。
バスでいかなきゃーって所まで、ゴールデンゲート・ブリッジも2人でスケボー乗ってわたっていくのですよ。
どんだけ金がないんだ、でも、この2人、身なりはきちんとしてるのです。
モントはジャケット、ジミーはポロシャツ。
自分たちより社会的地位が上の人なり稼いでる人間に合ったとしても、彼らなりに恥ずかしくない様にしてるのです。
その対極にいるのが、彼らの近所にいるゴロツキや、親戚。
彼らの住んでいる所は、いつも同年代のゴロつきがいます。
モントの家の前にはいつも黒人のゴロつき5人組が、ああだのこうだの毎日うだうだ言ってツルんでるのです。
右から、コフィー(ジャマル・トゥルーラヴ)、ジョーダン(ジョーダン・ゴメス)、アスロ(デニス・チャベズ)、ニティ(アントニー・レデュース)、GUNNNA(本人)、
チョイ役なのだけど、ラッパーのGUNNAが本名で出て来るこの映画。
ジミーが、思いつきではじめた生家の修復にモントは付き合う事になり、一緒にスケボーに乗って行き、帰ってくるのですが、モントの家の前で家もなくツルんでいる5人組は、ああだこうだと万年同じ事を言うのです。
まるで万年同じ趣味しかない人たちの様に。
ジミーが、かつての生家であり今は白人老夫婦が住む家を修復している姿を、ちゃかすのは、もう1人いて、黄色のオンボロの車に乗っているボビー(マイク・エップス)。
彼はジミーが施設から出てなけなしのお金で買った車を譲り受けて乗ってるのです。
おそらくジミーは、モントの祖父の家に居候させて貰う時にこの車を手放したのだと思うのですが、丁寧にのっていた中古車に悪趣味な電飾をされた挙句、乱暴に乗られてゲンナリしています。
自分の育った家は、白人老夫婦がステイタスの為だけに住んでいて、なけなしの金で買った初めての車は、次の持ち主が悪趣味な乗り方をしている。
この映画、演じているジミー・フェイルズの実話がベースなのですが、そういうのを考えると
中古でモノやコトを誰かから譲り受ける時は、その人の意思を尊重しなきゃいけない
…というのを思い知らされます。
ジミーは、生家で使っていた家具をモントと2人でトラックで運び込むと、ご近所の白人のオッサンに挨拶したり、偶然通りがかったツアーガイドのいかにも白人なオッサン(ジェロ・ビアフア)が『このあたりは~ヴィクトリアン様式の~』と説明して回っているのに
バルコニーから出てきて
『この家オレのジイチャンがDIYで建てたんだぜ!』とドヤ顔するジミー。
それがどうなるのか、後々結末がでるのですが。
ジミーは嬉しくて、サンフランシスコのドヤ街の一角でコピーDVDを売ってる父・ジェイムスシニア(ロブ・モーガンの所に行くのです。
あの家を手に入れたから見てよって。
でも父親は、あの家はもういいんだと渋い顔。
バスじゃなくてスケボー乗って息子がここまで来たことも見抜いていて、烈火のごとく怒り追い出してしまうのです。
モントの家の前では、相変わらず例のゴロつき5人組が、ぎゃぁぎゃぁモメています。
その中でコフィがジミーの家に興味を示しモントに連れられ、やってくるのです。
黒人もこういう所に住めた時代があったんだぁと、広い家を眺めるコフィ。
が、そんなにいいコトばかりが続くはずもなく
ある日、モントとジミーがフィルモアの家の改修の続きをしようとすると、門前で前に住んでいたバーサンが、しくしく泣いて座っているのを目の当たりにします。
手放したはずのこの家の前に、どうしているんだ?って事になるのですが。
遺産相続で、この家をどうするのかで妹とモメた末に追い出されていく所がなくなったらしいのです。
ま~、遺産相続でモメたのは、 このバーサンのパーソナリティのせいなんだろうなぁ…と思わせるシーン。
ジミーとモントは相続でモメて空き家になった家に勝手にあがりこんで改装して住んでるのだから不法侵入で捕まらない方がおかしいんですが。
『扉をたたく人』の大学教授の様に心の広い白人じゃない、このバーサン。
『ここは元々あたいの家なんだよ、あんたたちまだいるつもりかい?』オーラをシクシク泣きながらビシバシ出して、家の前に座り込んで、モントとジミーを追い出してしまいます。
仕方ないのでモントの家がある船着場まで帰ると、船着場の近くに花が添えられているのです。
例の5人組、1人足りません、コフィーが居ないのです。
コフィーは、いざこざに巻き込まれて死んでしまったのです。
4人組になったゴロつきたちは、モントとジミーをにらみつけます
お前たちは、オレたちと違って『1抜けた』出来ていいよな?
シスコの一等地に家があるんだろ?オレたちは違う、家も何もない、コフィは撃たれて死んだ、オレたちも明日そうなるかもしれない。
コフィはオレたちのダチだ、でもお前らは違う?もうダチじゃない。
…そんな感じで4人全員でモントとジミーにガン飛ばすのですが、ジョーダンが耐えきれなくなりジミーに泣き崩れるのです。
モントは、その様子から、赤のモレスキンに『芝居を思いついた』と必至で何かを書き留めます。
フィルモアの家の外にはモントとジミーが運び込んだはずの家財道具が一夜で表に放り出された上、クレイトンの不動産屋が看板を立てかけていたのです。
その前にもジミーは銀行に『何年かかってでも、どんな利子を付けられてでも、あの家を買うので、売価を教えてくれ』と問い合わせるのですが、ジミーのいでたちを見ただけで担当者は
貴方が一生かかっても返せる額じゃありません
…と一蹴するのです。
黒人で収入が不安定そうだから富裕層むけの不動産は売れませんよという、学歴フィルターみたいなモノです。
モントは不動産ブローカーのクレイトンから、あの家はジミーの祖父が建ててものではない事を知らされます。
家の登記によると、1850年に全く別人の白人が建てた名義になっていて、ジミーの父が所有権を失ったのは'90年代、なんのゆかりもないというのです。
ジミーが信じていた『1946年に祖父がたてた家』という話は、1946年に祖父がこの家に入居した話がいつの間にかすり替わっていたかもしれません。
ジミーの父、シニアも手放す時に初めて気づき、絶望し、それ以来あの家の事は口にしまいと思ったからこそ、息子の口から家の話が出た途端激昂したのでしょう。
ジミーの母(ラファイ・スタック)はグレイシージョーンズみたいなスキンヘッドのバリバリのビジネスウーマン。
電車?バスの中でスマホで取引先と電話してる途中で真向いに座ってる息子に気づく。
息子のジミーが、ようやくの思いで『フィルモアの家が手に入ったよ(ホントは空き家を不法侵入しただけなんだけど)』というと、このお母さん、よく判ってなくて(涙)
明日時間が出来たら行くわね~
…と言ってこないのです。
まぁ来なかったから結果として良かったのですが。
この日は何をするかというと、モントはクレイトンから『あの家は売家だから期日までに退去してくれ』と言われていて、退去前日に自分の書いた芝居をお披露目しようとしていたのです。
その題目が『ラスト・ブラックマン・イン・サンフランシスコ』
コフィーが殺された事から始まり、観客にコフィーがどんな人物だったのか語り掛け、その後、この家をコツコツと修復していったジミーを祝福してくれと劇中劇の様にたたえます。
そこでモントの劇が終わっておけばよかったんですよ。
この劇を開くチラシは、フィルモア地区の住民とモントの家の近所の黒人居住区だけに配っていたので
普段絶対顔も見ない、あわさない人たちが、どんな考えを持つのだろうという事を知る絶好のチャンスだったのです。
ジミーのお父さんも普段はいい加減なアロハシャツしか着てないのに、この日は帽子にタキシードと正装してお客さんを迎えているのをみたら、余程嬉しかったと思います。
がっ!
思わぬ形で、親友のモントが余計な事をしてしまいます。
ここが親友と親との違いだろうと思うのです。>br>
ジミーは、家を改装する以上の事をした、もう君は役目を果たした。
と遠回しに、この家から明日出ていかなきゃいけない事を言うのです。
ジミーにとってこの家を見つけ、取り戻すことはもはやライフワークの1つ、それを取り上げられたら、生きていく目的がなくなってしまう。
それに気づけなかったのが親友でありながらモントの誤算だったのです。
モントはこの家はジミーの祖父が建てたものでない事を言ってしまいます。
観客もさめて去って行ってしまう。
自己満の世界で喋ってるのはモントだけ。
なんちゅーのかなぁ…ありとあらゆる分野のクリエイターや指導者全員が気を付けないといけない事だよね…モントがやらかしたことは…
それって、客にもとめられてないじゃん…。
薄々気づいているジミーのお父さんはまだしも。
後日、モントはこの家を訪ねると、ジミーの生家だったころの面影は全くなくなっていて、いかにも白人が好みそうなインテリアにガラっと変わっているのに気付きます。
お金持ちの人に最初から売りつけるつもりだったのですね。
その一方で耐震性に問題がある、この時代の建物は壊してしまう。
あの家に縁もゆかりもなくなってしまったモントとジミーの生活は元通りになるのです。
ある日ジミーは、モントに置手紙をして船で沖に漕ぎに出て戻ってこなくなります。
その宛はどこか判らない…という所で映画は終わります。
映画の中でモントが使ってたモレスキン
映画全体は、ヤマもオチもない平坦な作りなんですが。
扱っているテーマは深いので、いかにも独立系のアップリンクがレイトで配給するのが判るなぁ、と思いました。
シスコに『住みにくくなった』のはジミーやモントたちだけではなく『今はジイサンなヤバい元ヒッピー』もそうで。
映画のあちこちに『やれやれこの街も住みにくいよな』と出て来る所が象徴的でした。