ローマ法王になる日まで('17年6月 シネ・リーブル梅田) | Que amor con amor se paga

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原題名:Chematemi FRANCESCO IL PAPA DELLA GENTE

いや~思った以上の感動作でした(涙)

エンドロール終わった後、劇場とうの昔に明るくなってるのに、ボーっと座ったまま。

2013年3月13日、第266代ローマ法王に任命されたホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(フランシスコ法王)の波乱万丈、激動の半生を描く映画。

実際の法王は、この人



若き日のベルゴリオを 『モーターサイクルダイアリーズ』でチェ・ゲバラの親友を演じたロドリコ・セ・ラ・デルナが演じる所も何かの縁。
彼はゲバラの遠縁なのだから。

4年前まで世界中、殆どの人が知らなかった、この世の果てから来た法王

予告編はこちら、あらすじいってみる



時は1960年ブエノスアイレス。

イタリア移民のベルゴリオ(ロドリコ・セ・ラ・デルナ)は、化学を専攻する学生ながら、悪化する国政に心を痛め、その答えを見いだせず、教会に救いを求める日々が続いていた。

第二次世界大戦で稼いだ外貨で工業化を進めたペロン大統領は5年前に失脚、亡命。
クーデターが起きた政治は軍事よりになり傾くばかりだった。

恋人のガブリエラ(パウラ・バルティーニ)が止めるのも聞かず、ベルゴリオは23歳の時、卒業を間近に控え、神父になる決意をし、学友を驚かせる。
だが彼の決意は固く、恩師エステル(メルセデス・モラーン)やベルゴリオの母は、貴方が思った道を行けばいいと背中を押してくれた。

神学校に進み、イエスズ会に入会したベルゴリオは、日本での布教を希望するが、彼の指導者たちは国内での伝導を勧める。
それは彼が、幼い頃の感染症で右肺を摘出していて体力的に問題があるという以前に、国内情勢が不安定だからというものだった。

伝えると救うのは違う。今君がやるのは救う事だ

10年後の'76年、ベルゴリオは36歳でブエノスアイレス管区長に任命されるが時はビデラ大統領の軍事独裁政権の嵐が吹き荒れていた。

言論の弾圧により、軍に少しでも従わなければ反政府主義者と見なされ、教会に駆け込むものも増えた。
しかし教会内部にも軍に密告している者が現れ、ベルゴリオは管区長として窮地に追い込まれた。

ある日、ベルゴリオは他区の神父・アンジェレッティ(ポンペーニョ・オーディバード)から反政府運動に関わった三人の神学生を寄宿舎に匿ってほしいと懇願される。

三人の神学生ならと考えていたベルゴリオの元に来たのは、1人の神学生と大勢の武装勢力の若者たちだった。

ベルゴリオは、事が公にならないように、武装勢力の若者たちに、ここにいる間は活動を一切しないようにと厳重注意する。

だが武装勢力の若者が来た数日後、寄宿舎に軍の査察が入り、身の危険を感じたベルゴリオは、武装勢力の若者たちを査察が 入った晩にベネゼエラに逃がす事にした。
すると彼らを逃がした翌日に軍のガサ入れが始まり間一髪の所でベルゴリオは難を 逃れた。

『命令は絶対だ』と主張する軍師に、

『私が逆らえないのは良心だ』

とベルゴリオは静かに非難する。
身内にも裏切者が居る以上油断できなかった。

アンジェレッティは教会に届けられた、軍に連れ去られた人々の失踪者名簿を受け取り、教会本部に届ける最中に何者かに襲われ、名簿ごと奪われ命を落としてしまう。

ベルゴリオは、ビデラ大統領就任後の、軍による民間人強制失踪事件に、民間人のみならず神父も巻き込まれている事を なんとかしようと、不当逮捕や失踪事件を扱うオリベイラ判事(ムリエル・サンタ・アナ)の元を訪ねるが、彼女もまた手がかりをつかみかねていた。

シングルマザーの彼女が、オフィスに連れてきている息子の洗礼すら忙しくてまだだと嘆くのを目の当りにし、ベルゴリオは彼女の息子に洗礼を授ける。

そのオリベイラも軍に目をつけられ、オフィスの書類を軍に持ち去られ仕事を続けられなくなり、ベルゴリオは彼女の家族を寄宿舎に匿うことにした。

教会の命を受け、ベルゴリオは、スラムで世話をする神父ペトロ(アンドレ・ジル)を訪ねる、かつてベルゴリオの指導官だった彼は、 解放の神学に基づき、全ての人間は平等で受け入れるべきだといい、武装勢力の人間でさえも同じ様に匿っていた。

ベルゴリオは、武装勢力を匿うと教会から追放せざるを得ないとペトロにいい、追放処分を言い渡すが、ほどなくしてペドロは軍に 連れ去られ拷問を受ける。

それだけでなく恩師エステルから、妊娠中の娘が20日前に失踪したまま行方不明だと聞かされ愕然とするベルゴリオ。
彼は枢機卿に助けを求め、海軍大将にあう機会を作って貰う。

ベルゴリオは、海軍大将に、国民大量失踪事件が軍の仕業と公になったら どうするつもりかと脅しをかけ、大統領官邸におもむき、ミサを捧げ、慈悲を与えるように訴えた。

どちらが功を奏したか判らないが、追放処分になった神父は銃殺直前に放置され、 エステルの娘も痛々しい姿となりながら解放された。

が、エステルの仲間に軍に寝返った男性がエステルらを告発。
エステルは失踪者名簿を新聞社に告発しようとしたが、エステルらは逆に逮捕され、 移送する前の予防接種と偽り注射された睡眠薬で眠らされ、機上から海に落とされていった…。

軍事独裁の暗黒時代の終焉、'85年。

神学を学ぶためドイツに招かれたベルゴリオは、ある日無心となり、引き寄せられるように教会に足を踏み入れる。

そこで彼はスペイン語で祈る女性の言葉に耳を傾けるのだが…

以下ネタバレです

映画は、コンクラーベ(法王選挙)で、法王に選ばれる前のベルゴリオ(セルヒオ・ヘルナンデス)が、激動の時代を生きた若き日を回想する姿を 挟みながら進んでいく。

映画で主に描かれているのが、ベルゴリオが35歳で、アルゼンチン管区長に任命された時に、軍事独裁政権下で行われた、 国民3万人強制失踪事件の話。

弱者に寄り添いながら、軍と教会の板挟みになり、若き日のベルゴリオは人々を救おうと奔走し、自分の無力さに打ちのめされ、時に 信条に反し、武装勢力を匿った仲間を説得し、仲間が殺された日には怒りに震える。

後に法王になる人とて、地獄のような試練を乗り越えなければいけなかった日々がリアルに描かれている映画でした。

で、ベルゴリオは、独裁が終わった後のアルゼンチンを離れ、ドイツに学びに行くのですが、そこでベネゼエラ出身の女性から、教会に掲げてあるマリア像の意味を聞かされる。

誰もが結んでしまう苦悩の結び目を、マリア様がほどいて下さる。

自分の苦悩の結び目、救おうと思っても救えなかった人々、愛そうと思っても愛することすらままならなかった人々を心で唱えたベルゴリオは、マリア像の前で涙が止まらなくなってしまう。

数年後、ドイツから戻ったベルゴリオは辺境で農作業をしながら穏やかな日々を送っていたが、クアラチノ枢機卿が

法王の命令だ

と、任命書を渡し、首都に戻る様、要請してくる。
ま~、この映画観てて思ったのですが、枢機卿って、ゼータク三昧して、 日本の議員みたいじゃん…と(涙)
それじゃぁ信仰もへったくれも、ないわな~…。

で、補佐司教としてブエノスアイレスに戻ったベルゴリオを待っていた難題は、数百世帯が立ち退きを迫られている貧困世帯。

ここは表向きは都市開発だが、本当は、市の重役と投資会社、マフィアが結託し、高速道路を作る為、更地にしようとしていた所だった。

立ち退き5日前で殺気立つ住民たちは、地元の神父でもなだめきれない。
地元の神父は教会兼自宅に、行き場のない子供たちを10人以上養っている上、その中の何人かは 病気で、病院に行く金すらなかった。

ベルゴリオは話し合いの機会を設けると約束した、工事担当窓口になる市長補佐に騙され、強硬工事が始まってしまう。

工事が始まり、建物を壊そうとする業者や警察、住民がにらみ合う中、ベルゴリオが連れてきたのは枢機卿だった。

枢機卿が取り仕切るミサが、しめやかに行われ、全てのものが祈りを捧げる。
ミサが終わった後、工事関係者が去り、ベルゴリオは住民たちに担がれ、立ち退き撤回を喜んだ。

で、映画のエンディング

前の法王、ベネディクト16世が高齢を理由に引退し、次の法王を決めるコンクラーベが行われようとしていた。

枢機卿になったベルゴリオ(セルヒオ・ヘルナンデス)の元に、あれもこれもローマに行く前にやっといて、と山の様に案件を持ち込んでくる秘書。

その後、コンクラーベの場面になり、ベルゴリオが選ばれ、晴れて第266代ローマ法王に任命される所で映画は終わる。

映画製作が始まった時には、ベルゴリオ(フランシスコ法王)は有名人だったので、彼の自伝はwikiの丸写しだったり、関係者に話を聞こうにも、都市伝説やミョウチクリンな話が 横行していたというので、監督やプロデューサーは、慎重に聞き込みをして、一から話を作っていかなければいけなかったらしい。

いくらローマ法王の話だからといって、えらい人の話にするつもりはなく

化学を専攻していた若者で、タンゴの名手で、女性と暮らしていた事もあり、刑務所やマフィアとの関係も絶とうとしていた、 ロックスターの様な男が、何故地獄のような日々を乗り越えたのか

…という事に焦点をあてた結果、この様な話になったんだそうな。

劇中では 『灰とダイヤモンド』のマチェクの様に、独裁政権に刃向かい、『モーターサイクルダイアリーズ』のゲバラの様に、政治に疑問を持つ思慮深い若者だった後の法王ベルゴリオなのだけど

法王になった今では、世界の指導者に苦言を呈しつつ、国と国の結び目を解こうとしているようにも思えるのだ。

舞台となったブエノスアイレスでは、ベルゴリオに近い人でも、未だ独裁政権を支持する人がいるのだそうな。
テロよりマシだという理由で、信じられんハナシだけど。

そんな穏やかでない国から選ばれた法王の物語は、実に波乱万丈で、観終った後、考えさせられるものが、色々ありました。