『イングロリアス・バスターズ』を先にUpしたもんで
アレをUpしたら、これをUpするっきゃないしょ。
予告編こちら、海外版・・イマイチだな・・・あらすじいってみる
1918年、ミュンヘン
第一次世界大戦の爪痕が残る街には人々の不安が渦巻いていた。
ユダヤ系ドイツ人のマックス(ジョン・キューザック)は裕福な家庭に育ったが、
先の大戦で片腕をなくし、バレリーナの美しい妻・ニーナ(モリー・パーカー)と
人生をやりなおす為に鉄工場の跡地に画廊を開いていた。
画廊の運営は順調だったが、夫婦仲は上手く行かず、マックスは前衛芸術家の愛人・
リセロア(リーリ・ソビエトスキー)との堕落した日々を過ごしていた。
いつもの様に、画廊で催されたパーティーでマックスは偶然、ポートフォリオを抱えた復員兵の青年と出会う。
同じ戦地で戦った事から打ち解けあう二人。
その貧しく平凡な青年は若き日のアドルフ・ヒットラー(ノア・テイラー)だった
なけなしの金を叩いてスーツを買いマックスの画廊に絵を店に来るヒットラー
マックスは彼の絵を見て
心に響くものが感じられない、肉声が聞こえてこない絵が描けないと酷評する
落胆したヒットラーは
先の戦争で何もかも失った自分の過去を語りだす。
それを機にマックスを頼りにヒットラーは藝術への情熱を傾けていった。
しかし貧しい彼の弱みをつくように、陸軍将校のマイヤー(ウルリク・トムセン)は宣伝の為に反ユダヤの演説を
すれば生活を保障すると持ちかける。
街頭で演説するヒトラー
マックスは反ユダヤ的な演説に気分を害するものの、演説の内容に頓着がなく出来を聞いてきたヒトラーに
藝術に打ち込むように説得しなおす。
今まで以上に鬱積した思いを絵画に込めるようになったヒットラーだったが、なかなかいい絵がかけずにいた。
二人の藝術への意見がすれ違いはじめたころに、マックスはヒットラーが書いたデッサンの中に
思わぬ才能を見出し、目を奪われる。
マックスはヒットラーに近いうちに個展を開く約束をとりつけ、
彼の残りのデッサンを見るために教会に向かう。
そのころヒットラーは代理で演説を任されていた。
ヒットラーは、これを最後の演説にして絵画に打ち込むはずだったのだが・・・
個人的にとても気にいってる作品です
登場人物の描かれ方も、色彩感覚も、トータルでスキな映画です
ヒットラーが画家をめざしてたのは本当の話で、マックスのモデルになる人物もいたというのはこちら。
プロデューサーがハンガリー系ユダヤ人で、製作資金を集めるどころか、GOサインも出るかどうかわからなかったこの作品。
主演のジョンキューがノーギャラで引き受け、同時公開の『ニューオリンズトライアル』でその分を稼がなくてはいけないハメに
なったという作品だった。
俳優といえども、出たい作品の為には犠牲も払う。
マックスは煙草も酒も女もひっきりなし。面白くもない冗談ばかりいってる
ヒットラーにはそんな彼が許せない。
が、本当はマックスの方がモラリストだということを観客は知らされることになる
ヒットラーは有名になれれば手段を選ばなかった男だという事実をつきつけられるからだ。
画家がだめなら建築家、建築家がダメなら演説家…
絵を描くことで人から認められることから逃げるなと諭すマックスに背をむけて、
演説しただけでウォーっと盛り上がる軍人の方に逃げてしまう。
自分を有名にしてくれるなら、先の大戦で全てを奪ったものが戦争であろうが、その事で政治的観念が変わろうがかまわない。
尻軽で他力本願な一面が見え隠れする。
彼がマックスに出逢った時は、自分が乗るべき時流を探していた時だったのだろう。だからマックスも協力した。
まさかマックスは人の潜在意識の中にある悪意や恐怖感を利用する男だとは思いもよらなかったし、それを
引き出すパトロンになる軍人が出てきてしまうとも思わなかったのだろう。
映画のラストで、もしもマックスが彼を画家として認めたとしても、ヒットラーの運命は変わらなかっただろう。
楽なほうへ流れていく男の運命は、変えられない。
時代が制裁するまでは。