ベース漫談のお笑い芸人、はなわが『佐賀県』でブレイクしたのはもう16年前のこと。その時書いたこちらの記事で、47都道府県各1曲に挑戦していることを紹介した。その時点で千葉県や大阪府などいくつかはすでに作られており、それらは当時発売されたCDアルバムにも収録されている──そのアルバムに同時に収録された『埼玉県』が今年に入ってから、なぜかやたら耳にする機会が多くなった。はい、映画『翔んで埼玉』の主題歌として起用されたからである。 『パタリロ』が代表作である漫画家・魔家峰央の隠れた名作である同名作品を原作とするこの映画、地元埼玉県では封切り前からローカル局がさかんにPRしており、もちろん主題歌であるこの曲も連日ヘビロテで流されていた──但し、タイトルは『埼玉県のうた』と改められ、歌詞も一部改変されているが。発表当時と現在では社会の事情も変わっており、当時の歌詞ではいろいろと問題があるというのもあるのだろうが、それよりはやはり映画の主題歌として使うにあたり、というのが大きいのだろうか──ともあれこの『埼玉県のうた』の再リリースで、コミックシンガーとしてのはなわが再注目されて再ブレーク、なんてこともあるかもである。 歌詞内容はかなりの埼玉ディスりであり、この種のディスりに寛容な地元埼玉県民の自虐性を理解しない他所住みの良識派の人は眉を顰める内容かも知れないが、そこはあの『佐賀県』を始めとするはなわの芸風であるし、何よりも主題歌に使われた『翔んで埼玉』のストーリー全体に満ちあふれてる埼玉ディスりに比べれば、全然大したことなく感じてしまう。そこは歌詞にもあるように、自身が春日部生まれであるはなわの「だから大好き埼玉」という気持ちが、一見ディスりに思える歌詞の端々ににじみ出てるからなのであろう──同じ“根っこのとこでは埼玉が好き”は、これも自身の所沢住みの経験を作品に生かしたという原作者の魔家峰央にも通じる感覚であり、だからこそ『翔んで埼玉』映画化の際に監督は主題歌にこの『埼玉県のうた』を思いついたのであろう。通底する同じ匂いを、感じる人は感じ取るのである…。 ちなみに『翔んで埼玉』には他に挿入歌として、あの往年の迷作『なぜか埼玉』(さいたまんぞう)と地元FM独立局発祥のニッチな話題作『人生たまたまさいたまで』(さくまひでき&ゆーかりしずる)も使われている。いずれも埼玉揶揄と紙一重で微妙な歌詞世界の曲であるが、地元埼玉民には少なからず愛されてる曲であり、こんなとこにも映画全体に埼玉愛が満ちあふれてるといえる。そんな埼玉愛を、まずは『埼玉県のうた』で感じてみてください。他府県の方はそれぞれのご自身の出身県に置き換えてみて。そんな、自身の地元の短所を含めて故郷を愛せるかどうか、そこが鍵だと思います──その意味で『翔んで埼玉』はある意味、あなたの郷土愛を測るリトマス紙的な映画作品かも知れない…。 |
先日の記事で書いた、堀ちえみさんの舌ガン告白と同じ2月には、日本女子水泳界のホープである池江璃花子選手が白血病であることが報じられた。こちらも池江選手本人自らの告白によるものである。どちらのニュースもワイドショーや芸能ニュースだけでなく、通常のニュース番組でもトップで取り上げてかなりの時間を割いて報道され、新聞もスポーツ紙だけでなく一般紙でも大きく取り上げられていた。それだけ世間の人たちにとっても衝撃的なニュースであると同時に関心も高かったということであろう。リアクションの大半は無事完治を信じて闘病を応援する声である── 舌ガンにせよ白血病にせよ、治療が遅れたり誤ったりすれば生命に関わる病気であるから、公開後すぐに6時間にわたる大手術を受けた堀ちえみや、緊急入院して抗癌剤治療中の池江璃花子の治療経過の動向は気になるところであるが、その一端は本人たちがブログやツイッターで発信してる内容から垣間見るしかない。それを見る限りでは完治へ向けて懸命に努力してる様子は見受けられるが、時に苦しさを吐露してる箇所もあったりして、心配にならざるを得ない現状である──それはあくまでその後の情報が本人たちの断片的発信だけで、ニュースで報じられるのもその後追いでしかないから、というのもあるのだが…。 そんなマスメディア報道は、もどかしくはありつつも、変に周辺取材や病院の突撃なんかするよりはよっぽどマナー的であるし、かといって世間の心配がかなり高まってる状況の中で完全沈黙したままというわけにもいかまいから、現時点での報道姿勢としては、まあ妥当な態度と言えるのではないだろうか。SNSやブログなどの本人発信は、本人たちが公にしてる内容なので、変に誇張や曲解、切り取りなどがないのであれば(てかそんなことしてもネットはみんな見てるからすぐバレるし)まんまその通りに伝えるのは問題ないと思うし、堀ちえみの同期で仲のよい早見優や松本伊代へのインタビューコメントを報じるのもアリであろう。 そんなわけで今のところふたりの闘病の件に関するマスコミ報道については基本的には「いいんじゃないの?」ととらえている。唯一、五輪担当大臣の「残念です」の部分を誇張曲解して失言騒動を煽った件について「こんなことまで政権批判に持っていこうとするのか…」と思ったものの、さすがにメディアの受け手の方がいくらかマトモだったおかげでそれ以上に発展することはなく、ホッとした次第である。その他には特に不謹慎な発言は報道にはもちろんバラエティにも見当たらない(ほじくれば出てくるのかも知れないがその行為自体が甚だ不謹慎になるのでここではやらない)ようだ。病気の性質が性質だし、同じ病気と闘ってる人やその家族の方々もそれらの番組を、自身と照らし合わせながら観てることだろうから、その意味でもよかったと言えよう。おふたりには安心して治療に専念してもらいたいと思う。 ──しかしながら、本人発信はあくまで本人発信であり、公人でありファンや応援者を何人も持つふたりがそれらの人たち向けにネガティブなことを自分から発信はしないはずだし、悲観的に考えたがる人というのは、何人かはどうしても出てきてしまうのだろう。それらの人たちにとっては、そんな、必要最低限でしかない報道が逆に不安を感じさせるものになってしまうのかも知れない。そんなふうに考える人たちにまで考慮することを、マスコミ報道にそこまで求めるべきかとも思うし、また考慮した報道内容なんてものが具体的にどんなものかというのも思いつかない。とりあえず現時点でできる報道姿勢としては、現状が精一杯であろう。受け手の我々としては、余計な詮索をするのではなく、現状の情報を信じて、本人たちの回復を信じてただひたすら応援するのみ、それだけである。 |
堀ちえみさんが舌ガンのステージ4でリンパへの転移もあることが発覚、大手術をしたのは先々月のこと。舌に異変があることは早くから気づいていたものの、口内炎と思い、かかりつけの歯科医でも同様の診断でレーザー照射などの的外れな治療をしているうちに進行して悪化させてしまったのだという。彼女の場合、リウマチの持病があってそれ用の内服薬を常用しており、その薬の副作用の事例に口内炎が多数あることも、ガンの早期発見を逃してしまった原因だという── 舌ガンは発生部位が目に見える場所であり、他のガンよりも発見しやすいのだが、みすみす進行させてしまい手遅れにもなりやすいいう──理由は上述のように口内炎と間違いやすいこともあるのだが、それ以上に舌ガンというものへの知識や関心が、一般的にかなり低いゆえに、なかなかガンの可能性を疑うに至らないのである。患者もそうだが、歯科医の方も。こちらにも書いたように、舌の痛みを強調的に訴えてるのに舌のシの字も見てくれない歯医者さんも何人もいる。記事にもあるようにこの時もテレビの医療番組で舌ガンが取り上げられて間もない頃だったのだが、この先生は全く関心がないようだった。プロの歯科医でさえそうなのであれば一般の患者はなおさらであろう…。 しかしながら、かなり過去の人とはいえ元アイドルの堀ちえみさんの知名度に加えてワイドショーや一般ニュースまでもが連日連夜あれだけ詳しく取り上げた効果か、歯医者で舌について問い合わせる患者さんがかなり増えているというから、一般の人の関心はかなり高まってるのではないだろうか。だけど肝心の歯科医の先生方の関心がそれに追いついてきてない気はする──実は上述、堀ちえみさんのニュースの第一報が伝えられた翌週が僕のかかりつけ歯科医の定期検診日で、すべての歯についてくまなくチェックされたのだが、その際歯以外の舌を含む口腔内の箇所を見られた様子は全くないし、問診でも全くその話題も出なかった。この歯医者さんは結構丁寧で、僕もかなり信頼してる先生だが、それでもやはりかくのごとしなのである。尤も舌の辺縁部にに虫歯や詰めものの欠けなどは特に見つかってないから心配はないとは思うが…、でもニュースを観て以来しばらく舌の辺縁部の同じ個所が妙に気になる日が続いたのも事実── 一般の方の歯医者での問い合わせ増加も、堀ちえみさんの話題が落ち着いたら元に戻って、世間の関心もまた薄れてしまうことだろう──目に見えて発見しやすいガンだし、食事などで常時患部が擦れて刺激を受けるので進行も早く転移もしやすいガンだそうだから、しっかり注視して早期対処が肝心なのに、なぜこうも認識が低いのだろうか? そのデキモノ、果たしてホントにただの口内炎かどうか、じっくり調べてみてはいかがだろうか──受診する先生はしっかり選んで。 |
さまざまなテーマカテゴリでそのテーマに沿ったいろんなブログ記事を書く、ということを長いことやってると、どのカテゴリでも大体「次の記事ではこの話題を取り上げよう」とか「この話題はネタが切れたりした時のためにちょっとストックしておこう」みたいな感じで『Jダベ』であれ『おすもう』であれ『ヒヤリハ』であれ、大体次の次まではカテゴリ記事のネタをある程度は用意しているし、同一カテゴリ記事は通常1~2ヶ月おきくらいに書いてるので、次の記事に着手する頃にはその次のネタを思いついてる、みたいなことも多い── …のだが、それら予定の話題をメモなんかで書き残したりとかはしておらず、あくまで僕の頭の中の記憶だけなので、いざ書こうと思った時には「さて、どんな話題で書こうとしてたんだったっけ…?」なんて感じで思い出せないこともまたしばしばあったりする。まあ、たいていはネタのストックはひとつではないので、無理に思い出そうと努力はせず、さっさと別のストックの話題で記事を書いてるわけだが。 実を言うと、何をかくそう今回のこの『ノンセク』カテゴリ記事、別の話題を2つばかり以前から思いついてて、そのネタで書こうと前から考えていたのだが、その話題が何だったのかどうしても思い出せなくて、どうしようかどうしようかと考えた末に「あ、このこと自体が題材になるじゃん」なんて思いついた次第でして…。まあ、本業とは関係ない、道楽でやってるだけのブログだし、ネタを忘れたからって実害はないわけで。そういう極論ぬきにしてブログとしてだけで考えても、忘れてしまうくらいだからそれほど重要なネタではないってことなのだろう。まあ、大したことじゃないさ。 実際、忘れちゃダメなくらい大事なことならそう簡単に忘れるものじゃないし、最悪忘れない自信がなければメモに控えとくくらいするわけで、それをしない時点で、少なくとも自分の中で重要でないってことになる。僕だけ? みんなそうだと思うけどね──何しろ自分がそうなので、忘れない努力を怠って大事なことを忘れてしまう相手に対してはどうしても評価が辛くなってしまうんだが、みなさんはいかがですか? いや、仕事上はもとより、プライベートでも大事なことは忘れませんし、必要ならば念のためにメモ取りますよ。僕がそれをしないとしたら、それは僕にとってそのことがさほど重要ではないという認識だからであります。もちろん僕がそう認識してても相手にとっては大事という場合は多々ある(逆もまたしかり)ので、必要なら互いにそれをアピールして「忘れないでほしい」意思表示が必要なのですが。 と、こういう記事を書いても「そんなことないよ、僕はこのブログ楽しみに読んでるんだよ。大事なネタ忘れないようにメモとっといてくれよ」なんて読者さんから忘れないでアピールされることなんて、まずないんだろうな…。そんな声が届けば全力で忘れない努力をするんだけどw |
昨年12月の初め頃のこと。外回り仕事で移動中にちょっとインスタ映えしそうな光景に遭遇してスマホでパチリ。早速インスタに上げようと思ってネットにアクセスするが、重くて全然動かず、しばらく時間が経つと「接続できません」のエラーメッセージが。インスタだけでなくツイッターもフェイスブックも、いやWEB関係が一切アクセス不能になってしまい、その状況のままなかなか復活しなかった。通信制限までにはまだ余裕があるはずなのに…。会社貸与のもう1台のauスマホは難なくWEBにアクセスできたので、すかさず僕のキャリアであるソフトバンクの公式サイトにアクセスすると「ただいま通信障害が発生しております。原因を確認しておりますので復旧までしばらくお待ちください」のメッセージが── はい、全国で発生してユーザーを中心に一時大混乱したソフトバンクの通信障害です。障害発生の原因が、コアネットワークにあるMMEのソフトウェア証明書の有効期限切れだと説明されるに至って「おいおい」なんて思ってしまったが、そんなようなことでも全国規模で通信障害が発生してしまうとなると、インフラ技術に携わる人にはより一層の注意を、としか言いようがないわけだが…。 現状、僕も御多聞に洩れすスマホをかなり使い倒しており、WEBへのアクセス頻度もかなり高いのだけど、せいぜい上述のSNSをチェックしたり書き込んだり、あるいはネットニュースを見るくらいで、先日のような障害で実生活や仕事に大きな支障をきたすようなことは、まずない。でもこれが会社スマホだったら、業務メールが届かなくて見れなかったり会社システムにアクセスできずに業務報告できなかったりなどの支障は出ただろうし、個人スマホであってもお財布携帯やPayPayのようなスマホ決済アプリを使用してたら、支払ができずに困ってしまう、なんてことにもなったかも知れない。今のところキャッシュレスには手を出してない(スマホ上では。SuicaとかTカードくらいなら使ってる)ので幸か不幸か基本的に困ったことはないのだが…。 世界的な趨勢は、キャッシュレス化に大きく傾いており、国によってはデンマークなどのように現金そのものを廃止するとかしないとかという動きさえあるらしい。そんな中で日本はキャッシュレス後進国と言われ、海外からの観光客やビジネス客からも、現金でなければ買い物もままならない店舗や飲食店が多くて不便を感じるという声もあるようだ。 けど、上述のソフトバンクの件とかがあって、実害もなくたかがSNSへアクセスできない程度のことでも少なからずイラッとせざるを得なかったことを考えると、キャッシュレス化が主流化した暁にあのようなことが起きたりしたら街中が大混乱、ヘタすると暴動や略奪が多発したりなんてことになりかねないのでは? 大袈裟かも知れないが、セイフティネットとして現金取引の道は絶対に残しておかねば…、と先日の件でソフトバンクユーザーの僕は強く感じた次第であります── |
今年早々、NGT48の山口真帆(まほほん)が、自身が遭った暴行事件の詳細をSNSで告白したことで、一両日中に各メディアがこの件をこぞって取り上げ、世間はその話題で持ち切りとなった。彼女いわく、暴行事件の裏には他メンバーの関与があったと。マスコミ報道はこの点は伏せてたがネットでは議論が紛糾、この状況で運営側の対応が注目されたのだが──直後のNGT48劇場の3周年記念公演で、あろうことか被害者のはずのまほほん本人が「お騒がせして申し訳ありません」と謝罪という意外な状況に。これには「運営側は彼女に頭を下げさせて終わりにするのか」と非難囂々。その後、運営がようやく出したコメントで、メンバー1名の関与を認めたものの、不十分な情報のまま早々に支配人をすげ替えてその後はまたダンマリ、真相は未だ謎なままである── で、この記事は『日本語』カテゴリであるからこの事件の真相追及やアイドル論はこの際置いておく。本題はあくまで表題の言葉そのものについての考察である──人を心配させたり動揺させたりするような騒動を起こした際に相手に詫びる表現として用いられる言葉であるところの「お騒がせして申し訳ありません」なる言葉を被害者が発したことで、世論の沸騰がエスカレートしてるわけなのだが…。 しかし上述のまほほんの場合だと「わたしにも思うものがあって、このような形で伝えることになってしまったこと、お世話になっている方にもご迷惑かけることになってしまった」ことへの申し訳なさであり「またNGT48が新しい方向に向かえるように」という、チームGの副キャプテンという自らの立場を踏まえての(おそらくは現在もまだできればメンバーとして活動を継続したい意向であろう)NGT48の今後を考えての「申し訳ありません」ではないだろうか。決して暴行被害やそれへの運営の無対応を非難したことに対してではなく。 そう考えれば彼女が自ら上述の謝罪を口にすることそれ自体は決しておかしいことではないと思う。彼女だけを前面に出して頬っかむりしてる運営側のクソっぷりうんぬんは彼女の謝罪とは別個に切り離して考えるべきであろう。騒がせたことへの心苦しさからの彼女の謝罪に対してさらに運営非難の声を荒げることは、彼女の心苦しさをさらに強めることにもなりかねない。まほほんのことを思うなら、運営への批判はそれはそれとして、彼女の気持ちを汲んであげよう、ファンならば。 もちろん「お騒がせした」のは運営側も同じだし、クソ対応でさらに騒ぎを大きく大きく膨らませてるのだから、彼女の影に隠れてないで運営側も「お騒がせした」ことへのけじめをきちんとつけてもらいたいんですけどね。そうしてくれないと彼女の「申し訳ない」気持ちもますます膨らんでしまうわけだし──ここはやはり、こういう目に遭ってもなおグループやメンバーのへの心配を第一に考えられるまほほんに「あっぱれ!」を贈ってあげましょう。 ──というこの記事が物議を醸してお騒がせしちゃったら申し訳ありません…。 |
かなり前に田無駅を取り上げた記事で、合併新市だった所在地の西東京市のことを「腰巾着的なイメージがしてマイナスな気がする」と書き、その際に同様の印象を感じる例として秋田県北秋田市や広島県北広島町とともに名前を挙げた愛知県北名古屋市。旧師勝町と旧西春町が2006年に合併して新市となる際、公募の中から選ばれた市名であるが、1000を超える候補の中からの選出理由が「名古屋のすぐ隣の北にあり、愛知よりも名古屋の方が知名度があり、名古屋圏として名古屋を関連づけた街作りを考え、グローバルな世界を目指すためにも新市の位置を世界にアピールできる」とのこと。イメージだけでなくガチで腰巾着になろうと考えたようである──まあでも、腰巾着という言葉は悪いが、隣接するベッドタウンとしての性格が強い地域であることを考えれば、決して悪い戦略ではないのかも知れない。 その北名古屋市の代表駅が名鉄犬山線の西春駅。旧西春町時代からの代表駅で、駅の住所も駅事務所のある旧西春町になっていたが、旧師勝町との境界線が駅構内を横切っており、旧師勝町にとっても玄関駅だったわけだが代表駅とは言えなかったわけで、合併によって西春駅が北名古屋市の代表駅となり、旧師勝町エリアの人にとっても代表駅ができた…、と言いたいとこだが駅名が西春のままではフクザツかも知れない──平成の大合併で新市名が代表駅名と一致しないパターンが多数出てきてるが、たいていは合併前の自治体名をそのまま名乗っている。新たな市名を冠して"対等合併"を強調してみても代表駅名が旧自治体名では、実質駅名を残した旧自治体に他自治体が吸収された的な印象はぬぐえまい。上述「名古屋の知名度を生かして世界にアピール」の意図でつけた市名なら、駅名も北名古屋駅にした方がよかったのでは? そんな西春駅、北名古屋市の代表駅であり玄関駅であるということは、当然その駅前のたたずまいが北名古屋市をイメージづけるものとなる。名古屋らしさ、とは言わないが大都市の名を借りてアピールするにふさわしい発展ぶりが見られるかな──? 駅は、どこにでもありそうな郊外都市の橋上駅で駅舎も白を基調とした新しそうなもの。優等列車もすべて停まる主要駅だけあって駅舎も大きくホームも広い。駅に隣接してショッピングビルがあって、テナント店舗もそこそこ入っているが、よそ者目線ではあまり目はひかれなかった。御多聞に洩れず駅前より郊外ロードサイドが買い物の中心なのだろう。ましてクルマ社会の名古屋圏である。このショッピングビル以外に商店街らしきものがあるにはあったがこれといった大きな商店や飲食店はなく、駅の反対口側は普通の住宅地で至って静か。新しめのラーメン屋が1件あったけど、その日はせっかくだから名古屋らしいものが食べたいなと思ってたのでパス。結局西春駅前で昼食をとるつもりだったのを断念したのだった。 でもベッドタウンだから中京圏だろうが関東だろうが関西だろうが、まあこんなもんだろう。とりあえず一定の買い物にも飲食にも困らないし少し歩けば静かな住宅街、名古屋までは電車で10分程度と至近。通勤のロケーションとしては申し分く街の雰囲気も落ち着いている。自分が名古屋に務めるならここに住んでもいいかな、とさえ思えるくらいだ──やはり北名古屋市のネーミングが必要以上に印象を下げてるよな…。 僕の訪問は昨年9月、北名古屋市発足から早12年…、上述「名古屋を関連づけた街づくり」ができてる印象は、少なくとも駅周辺には感じられなかった。しかし、それとは別のこの街のよさというものはきっとあるはずだと思うのだ、わからないけど。名古屋をあまり意識しすぎずにもっと独自の個性を伸ばした方が、街のイメージはよくなるのではないだろうか? |
こちらやこちらの記事で書いて、別件記事でも関連して触れた一連の件だが…、それぞれの記事では全く触れてこなかったのだが、そもそもこれらの件、ここまでこじれるよりもずっと手前の段階で相手の彼の方から(←ここ重要)「もうよそうよ」と握手を持ちかけてきて、僕もそれを受け入れて一旦解決したはずなのである。リンクの記事で触れたサークルのオフ会での公開質疑応答企画も、それを受けて誤解や不信感が生じた原因を潰そうという狙いで始めたものであり、もちろんその趣旨は彼にも伝えて協力を仰いでいる。上述、彼から握手を経ての和解の意を汲んで改めてスタートのつもりで…。ところが、返って来たのはその握手以前の言い争いの続きだったのである。当然僕の方は「キミからの握手を経て和解が成立したではないか、騙したのか?」となる。しかしこの抗議への彼の答えは「騙したとは何だ、貴様が仕掛けた論争だろうが」で僕の再度の「だからそれはそちらからの和解調停で…」の最抗議も"反撃"ととらえてさらに罵倒をヒートアップさせてきて、もう何を言ってもどうしようもないという、で上述リンク記事の通りの状況に至る、というわけである──その後彼が言い募ってきたあれもこれも、全部彼からの握手で終わってた、終わってるべきだった話であり、僕的には未だに彼と対立継続中という現状自体がそもそも「何の冗談だよ?」なのだが…。 とは言えぶっちゃけ個人同士の行き違いである。上述のモヤモヤは少なからず残るにせよ、袂を分かったことで実生活に支障があるわけではない。人間関係やってれば時にそんなことも起こり得るだろうし、中にはそういうやつもいるよ、とだけ思ってればいいのかも知れない、個人レベルなら──だが、これと同じようなことが国家対国家で起きるという状況は、果たしていかがなものだろうか…? はい、韓国が日本相手に起こした徴用工訴訟問題のことである。、先の大戦中日本統治下だった朝鮮や中国で募集や徴用により日本企業で労働に従事した元労働者やその遺族によって起こされた一連の訴訟だ。元労働者が日本企業に奴隷のように扱われたとして、複数の日本企業相手に訴訟を起こしている。新日鉄住金を皮切りに三菱重工、不二越と立て続けに、裁判で原告側の訴えが全面的に認められて各日本企業に対して多額の損害賠償を命じる判決が出ている──しかし今から50年以上も前に韓国政府が日韓請求権協定で「解決済み」としており、それについて韓国の大法院は「それは国家としてであって個人の請求権は消滅していない」としているのだが、当然ながら日本側は法的基盤を根本から覆すもの、完全かつ最終的に解決させたはずなのに国際法に照らしてもあり得ない判決だと強く反発し、政府としての毅然とした対応を強調している──そんな中でも韓国側は日本企業に対する差押えも辞さない構えであり、事態はどんどんこじれていると言わねばなるまい。日韓請求権協定では協議で解決しない場合『仲裁』という手続きが定められているが、日本側はそれでも解決しない場合を想定して国際司法裁判所への提訴も視野に入れているようだ。 「国家ではなく個人」と、多分に詭弁ではあっても一応の大義名分を立ててる分、上述の彼よりはマシかもではあるが、それにしても仮にも国家対国家である。一連の慰安婦問題同様、日本の不当な植民地支配と反人道的不法行為が前提にある判決であり、その前提自体そもそも議論が平行線の状態でのこうした判決は、やはり上述の協定がある以上は、個人で補償を求めるにしても折り合いながら落とし所を探るという方法が取れるだろうし取るべきだし、やはり韓国側の対応は暴走と言わざるを得ないのではなかろうか。 ──例の哨戒機レーダー照射問題のこじれっぷりとも考え合わせてみても、今の状態のままおおよそまともな話し合いの余地もなければ、それを試みるにも値しないという印象を持たざるを得ないのだが…。個人同士なら袂を分かってハイ終わり、で済んでも、国家同士それも隣国でありその関係性を考えるとお互いにそういうわけにもいかないわけで…。 |
あいみょんの名がが一般的に広く知られるきっかけになったのは、やはり日テレ系ドラマ『獣になれない私たち』主題歌に使われた『今夜このまま』だろう。その前年くらいからFMラジオで曲がかかるのを耳にすることが多く「結構いいかも。このアーティスト誰?」なんて僕は思ってたのだが、あいみょんという名前が紹介されるたび「変な名前つけるなぁ…」なんて思っていた。小さい頃友人につけられたあだ名由来だそうだが、彼女の名前を先に見た人の中には変な先入観で"不思議ちゃん"か何かかと思って彼女の音楽を聴かず嫌いしちゃってた人もいるのではなかろうか。 で、あいみょんの知名度が一気に上がった『今夜このまま』がガッキー主演の人気ドラマの主題歌で、曲調もパッと聴きにはポップな感じで、上述の先入観も手伝って「売れ線に乗っかった流行りモノ」的に思った人もいたことだろう──そんな人たちは昨年初出場した紅白歌合戦で歌われた『マリーゴールド』を聴いて、果たしてどう感じただろうか…? そういう音楽好き(のつもり)な人たちはそもそも紅白自体を莫迦にしてハナから観ないから、どう感じる以前に聴いてさえおらず、したがって上述の先入観をまだ残したまま「あいみょんなんか…」的な状態なのだろうか── 自らの音楽ルーツを「自分と異なる性ゆえ正反対の感性で言葉を選ぶ男性アーティスト」と述べ、歌詞を重要視してるという彼女の歌詞世界は「好きな女性に対する男性の必死な様が好きで憧れ」なため男目線のものが多く、女性にも男性にも受け容れられる素地は大いにあり、また「自身まだまだ音楽世界が定まっていない」「自分の音楽はギターと声だけで成り立つので、弾き語りが一番と思われるのが一番、それがシンガーソングライターの強み」と、音楽に対する真面目さとストイックさもあるので、音楽好きにも十分受け容れられる素地はあるはずだし、実際トータルな楽曲のレベルもかなり高い。それは聴く人が聴けば十分わかることだし、そういう人が増えれば彼女はもっともっと飛躍できるはずだと思うのだが…。 僕が彼女を知るきっかけになった『君はロックを聴かない』の歌詞世界では、ロックなんか聴かないだろう彼女に、自分の人生を作ってきたあんな歌やこんな歌にふれて、自分により近づいて欲しいという強い思いを男目線で訴えている──僕が常々ブログ記事で力説してる「聴かず嫌いしないで!」ってやつである。改めて聴き直してみると、彼女のアーティストとしてのポリシーがギュッと詰まった曲。上述の先入観がまだある方々へ、手始めに聴いていただきたい一曲である。その後で『マリー…』『今夜…』を聴いてから、さらにメジャーデビュー曲を聴いてみてください。きっと目から、いや耳からウロコが取れることでしょう──とにかく何度も言うけど、聴かず嫌いはよくないよ。 |
いよいよ崖っぷちで進退をかけた先場所、初日から全くいいところなくというか相撲にならずに3連敗した横綱稀勢の里、ついに引退と相成った──在位はわずか12場所、うち15日間全勤は優勝した新横綱の場所を含めて2場所のみで休場ばかり、もちろん勝ち越しもその2場所のみで、横綱勝率は歴代の中でもワーストクラス、初日から4連敗と金星配給数はワースト記録だという。苦しい状況をついに最後まで挽回できないまま、おおよそ横綱としては何とも情けないカタチでの去り際になってしまったのだった── 案の定、批判の矛先を「たった1回の優勝で簡単に横綱に上げてしまった」横審や協会に向けてる外野のイッチョカミが多数発生している。10代で幕内までスピード出世して上位を湧かせつつここ一番で星を落とすことが多く、かなり年月がかかって昇進した大関でも序盤で連勝しては終盤で星を落として優勝を逃し、の繰り返しで、僕自身こちらにも書いた通り「もう稀勢の里は優勝未経験のまま大関止まりで終わるな」と思っていたし、大関も丸5年になり30歳も過ぎての初優勝1回で簡単に横綱に推挙されてしまった時は「大丈夫かよ」と驚いたのは否めない。そして記録データだけで見れば、その時に僕が心配したよりももっと悪い結果であることも間違いない。 僕だけでなく多くの相撲ファンも同じ考えに違いなく、それゆえ「横綱に上げたのが間違いだったんだ」などと言い出す人が出てくるのも、致し方ないかな、とは思うのだが──しかし僕はそれらの声には「異議あり」と言いたい。あそこで横綱に上げてよかったのだと。いや、別に結果論で言うなと言いたいわけではない。むしろ僕は結果論としてあのタイミングでの横綱推挙は正解だったな、と思うのである。 まず、初優勝のあのタイミングで稀勢の里の横綱昇進が見送られて、翌場所も大関として迎えたとしても、上述の通り稀勢の里は新横綱で迎えたその場所で優勝しており、仮に地位が大関だったとしたら大関での2場所連続優勝である。今度はケガを負いながらの力技と気魄でもぎ取った優勝である。今度はさすがに文句なしで横綱にせざるを得なかったであろう──わかるだろうか? あそこで横綱に上げなくても次の場所で今度こそ有無を言わせず昇進することになってたのである──これ単純に1場所遅れて、という話ではない。上述の稀勢の里の横綱戦績から在位場所数と全勤場所数が-1され、しかも横綱として唯一の優勝記録が除かれ、しかし上述のワーストの記録は残ったと考えてみてくれ。「時期尚早」の声があったあのタイミングでの横綱昇進があったがゆえに、わずか1場所だけでも横綱らしさを土俵で見せられたのである。あれが無かったら稀勢の里の横綱としての印象は現在の比では到底なかったと思うぞ…。 「時期尚早」といいながらも、僕も含めてみんな、モンゴル横綱3人の牙城に割って入った日本人横綱に期待し、ケガのせいで勝てなくなって休みがちになってもその復活を祈ってもう1場所、もう1場所と期待して応援し続けてきたのではないのか? 今さら結果論で「横審や協会の思惑で横綱にすべきでなかった」と言うなら、こっちも結果論で「あの時横綱にしておいてよかったな」と言っておきたいな、と思った次第であります──まあ、いずれにしても結果論ではありますけどねw しかし、牙城のモンゴル横綱たちもここのところはダメダメ状態。そんなところに割って入るべき大関たちもダメダメ状態。次世代で割って入る存在になりそうな御嶽海、先場所ケガで途中休場しながら再出場して殊勲の星を連日上げて勝ち越し、休場ありで三賞受賞と言う史上初の快挙を成し遂げたわけだが…。稀勢の里が上述の結果に終わってしまったのが、ケガをおして出場して優勝をもぎ取るほどの力闘のせいであることに思いを致すと、二の舞にならないか心配してしまう──年寄『荒磯』として後進の指導に当たる稀勢の里、自らの体験を踏まえて、有望な弟子のケガのケアに十分留意して、ケガに負けない強い力士を育てて欲しいと、切に願います。 |