僕の子供の頃から、鳥取県には市は4つしかなかった。これはその当時、昭和40年代であっても、都道府県内の市の数としては徳島県と並んで最少であり、これに香川県の5市が続いていた──それからおよそ30年、21世紀初っ端からのいわゆる“平成の大合併”により全国各地に面積だけは莫迦でかい市町村がいくつも誕生、とりわけ合併特例で3万人以上から市制施行を許されたため「こんなとこが市に?」な新市が次々に現れた。そして上述の徳島県や香川県にも県内に新しい市が2つも3つもでき、他の県との差はいくらか縮まった…。しかし、鳥取県には新市は誕生せず、現在も昔からの4市のまま、市の数では他県にさらに差をつけられての単独ワースト1である。もちろん今後の新市誕生の可能性は、限りなく低いだろう── そんな鳥取県であるが、わずか4つの市のうち、半数である2市は産業もかなり発展してて市街地もそれなりに開けている。もちろん人口も10万人を超えてて市としての体面は十分保たれており、全体的に過疎イメージの強い県内にあっては2大巨頭と言えるだろう。実際この2市だけで県人口の半分超が住んでいるのだから、辺縁からの通勤通学人口も含めれば、鳥取県はほぼこの2市でもってると言っても過言ではないのではなかろうか…。1つはもちろん県都の鳥取市であるが、もう1つが今回取り上げる米子市である── 米子市の代表駅である米子駅。鳥取駅が県都の玄関駅でありながら非電化で分岐も因美線のみで列車本数も少ないのに対し、こちらは伯備線経由で岡山から出雲方面へ特急電車が乗り入れる電化路線で本数も圧倒的に多く、こと鉄道路線で見る限りでは米子駅の勝ちである。それを象徴するかのように駅舎も年季の入った立派な駅ビルを擁しており、機能的な印象ばかりする高架の鳥取駅よりもずっと風格がある──その米子駅に僕は2回降り立っており、そのたび「どっちが県都かわからんな」なんて思ったものだった。それは駅周辺の風景も同様で、広いロータリーから見える駅前にはオフィスビルや商業ビルが建ち並び、道路幅も広く、実際の都市規模以上に都市らしく見える。その点でも県都の鳥取駅前を上回っている。 そんな米子駅前なのだが──2回降り立ったのは覚えているのだが、駅周辺をひと通り散策したという記憶がない。1度目は境港方面へ行くのにちょこっと途中下車して昼飯でも、と思った程度ですぐ改札内に戻ったし、2度目は伯備線方面への乗り換えのわずかな途中下車で、この時もぐるりロータリーを1周した程度。なので駅前が上述の通り開けてるのは見たけれど、どんな店があってどんなにぎわいがあったかの記憶が、正直言って無い──実はもっと子供の頃に父の車で但馬から広島への山陰経由の帰路ルートで米子は何度か通過してるので市街中心部(国道9号線はわりと米子の街中を通過している──鳥取市内では市街地を避けて海岸沿いを走るので、鉄道だけでなく幹線道路でも米子の勝ち。なるほど米子が開けるゆえんである)の光景も見てるはずなのだが…、その時の記憶も、無い。そんなわけで、僕は米子市の本当の開け具合を実は未だ知らない。あの当時は広島の帰省時のちょっと遠回りな寄り道エリアだから「またいつでもじっくり見れる」なんて思っててあまり熱心に見なかったのがとっても悔やまれる── ──そんなわけで、この先僕が米子方面に出向く機会がある可能性はかなり低いと思われるが、上述の市街地だけでなく皆生温泉などの観光資源も少なからず擁してる米子市、もっといろいろ堪能したいな、という気持ちは決して失せてはいない。産業面でも結構前向きに頑張ってる印象の街だから、きっとこの先も衰退することなく賑わいを保っていくだろうと信じてます。尤も他の県内自治体との格差はその分広がりそうな気もしますが…。 |
40年以上も前のことだが、映画『人間の証明』が同名原作小説と共に大ヒットした。その映画の大ヒットと共に同名の映画主題歌も大ヒット、セールスチャートの上位を一定期間キープしていた。しかし、それを歌ってたシンガーが生でその歌を披露するのを、テレビはもちろんステージでも見られることは一切無かった。歌がヒットし続けてるその頃、彼は大麻取締法違反の罪で拘留されてる状態だったのだ──だが、その最中でもレコードは店頭で売れ続け、本人も出演してるその映画ももちろん上映され続けて空前の大ヒット、もちろんエンディングでは彼の歌う主題歌も聞こえていた…。 この時、その彼以外にも大麻で逮捕される歌手が続出、確証がなく逮捕に至らなかった中にも疑惑が取り沙汰されたミュージシャンが何人もいた。上述の彼はその主犯格と見られていたため拘留が長期にわたったわけだが、他の容疑者たちも大半は起訴されて相応の刑罰を科せられている。だが、その期間でも、それらミュージシャンたちの音楽がメディアや街角で聞かれなくなった、なんてことはなかったように記憶してるし、いずれもほどなく復帰して、その後大御所として長く音楽界に君臨してたりおねえキャラや自称『スター』でバラエティ的にブレイクしてたり等、少なくとも音楽界から消えたりなどは決してしていないし、ましてその作品までもが無かったことにされたりだなんてことは全くない── ──そして、それを僕はその頃から違和感なく、どちらかというと肯定的に考えていた。それは上述の一連の件から何十年を経た現在でも基本的に変わっていない。なので、5年ほど前のあの大御所デュオの片方の時や20年前に事件と同時にゲイが公になったあのミュージシャンの時のように逮捕即店頭からCDやDVDを回収したり出荷停止したり、むしろそちらの方に違和感があった。ミュージシャン本人に罪はあっても過去の発表作に罪はないというのもそうだけど、それ以上に往年の作品にはその曲に接してきたファンにとってはリアルタイムでのさまざまな想い出に直結してる場合が多いわけで、作品を葬るということは、それら多くの人たちの大切な想い出の彩りを葬ることにもなるわけで、単純に一般論的な良識とそれらを天秤にかけた場合、僕的にはどうしても多くの人の人生の彩りの方が重視されてしまうのである── ──で、表題の彼である。先週執行猶予付きの有罪判決が出たようだが、この彼に対してももちろん僕は上述のようにとらえているし、その考えはどこへもどこまでも変わらないと思う。これを「芸能界は甘い」「一般社会では考えられない」と良識的に断じる声はもちろん理解しているが、その“一般社会ズレした甘い処置”に救われた上述の一連のミュージシャンたちのその後から現在に至る活躍状況が答えだろう、とも考える──大体いくら犯罪者のそれではあっても“表現物”を葬り去る行為って憲法的にダメじゃ、ありません? (今回、敢えて個人名は出しませんでした) |
すでに1ヶ月半経過しており、今さらあらためて書くのもナニだが──天皇陛下が生前譲位によって交代し、元号が平成から令和に変わった。改元直前の昨年後半から今年にかけて、何かと“平成最後”にかこつけてイベントだったり特別セールだったりがあちこちで催され、さながらお祭り気分な日々だった。現在もいくらかその余波が続いているようだが── そんな改元前後の状況に対して「過去に改元でこんなに大騒ぎしたことなどなかったじゃないか。なんで今回に限って」だなどと難癖つける声が、主として皇室をあまり好きでない方面から天皇制批判的なニュアンスで聞かれたりした。それらの多くが中年以上で前回の改元を覚えてる世代なはずなのに、寝ぼけとんのかと思ってしまったものだが…。 再三報道されてきた通り、天皇陛下の生前譲位は今回例外的に認められた措置で、今後恒例になる制度ではない(と宮内庁はしてるが、次回以降もそうなる可能性は大いにあるでしょうね、前陛下が譲位を強く望まれた趣旨を考えれば)。前回までの原則は天皇陛下の崩御と皇太子の即位をもって改元であり、改元時イコール国全体が忌中で、その直前というのは陛下が重篤な病に伏せっていて容体を心配される状態なわけで、改元祭りどころか改元の準備すら不謹慎な状況である。あれだけ「諸般の事情により自粛」が相次いだことをもう忘れたのだろうか…。 そんな戒厳令的な『改元例』を断ちたいという思いも現上皇さまにはお有りだったのかなと推測されるわけである。皇族外の民間人から美智子さまを妃に迎え入れ、皇室の伝統を破って自らの手で現陛下や皇嗣を育てたりなど、旧来の伝統に固執せず新しい皇室を作り上げて来られた上皇らしいお考えである──そう考えるとやはり今回の生前譲位を一回限りの例外とはせず、次回以降も状況に応じて適用を検討していいのではと思う。伝統は必ずしも永遠不変であるべきものではないことは他でもない上皇がお示しになっており、その教育を直接受けた現天皇陛下と皇嗣もそうした柔軟性を大いにお持ちなようだし── その『皇嗣』の呼称も今回の譲位で皇太子にあたる存在の方がいなくなったことで、皇位継承1位の秋篠宮さまに新たにつけられた呼び名である。2位の悠仁さまはその皇嗣のお子さん。現陛下のお子さんは愛子さまのみであることから、女性天皇や女系天皇論も出てきて、男系にこだわる伝統固執派と論争になっている状況であるが…、どちらがいいかについて深くは言及しない。ただ、男系論者の言う皇室の系統うんぬんは、男系にこだわってたらそもそも後継が皆無になる恐れもあるわけで、それなら女系でも何でもとにかく血筋だけでもつなぐという手もあるのか、とは思う。そもそも民間から皇室に嫁がれた美智子さまのお孫さんの代になってる時点で正統皇室の血はクオーターであり、次代次々代とどんどん薄まるのは間違いないわけで、正統にこだわる意味がどれほどあるのかというのは、正直疑問な気がするのである──そして現在の皇族方はいずれもかなりフレキシブルなお考えであるわけで、周囲の人たちがあまりガチガチにこだわるのは、他でもない皇族方にとってどうなんだろうか、なんて思えてしまうんですよね…。 ──憲法に規定された象徴天皇の位置づけは『日本国民のまとまりのしるし』である。であるなら日本国民らしい暮らしを(お立場はきちんと認識されたその上であくまでも可能な範囲で)望まれ、また実践なさってこられた現皇族方の御心をもう少し汲んで、いろいろと柔軟性を持たせてもいいのでは? 現在の日本人気質と生活状況を考えれば、それこそが『象徴』の名にふさわしいのでは? |
前回の記事で、貴景勝を大関にしたのが次期尚早だったなんて言われたりしないかとの懸念を示しつつ「新大関場所でよい答えがでますように」でしめたのばかりだったのだが…、非常に残念かつ今後が心配な結果になってしまった──4日目の相撲で足の靭帯を痛めて途中休場、8日目から強行再出場したもののまるで相撲にならず翌9日目から再び休場するという事態に。もちろん来場所はカド番だが、ケガの場所が場所なだけに万全の状態で復帰できるかと言われると心もとないし、強行出場して余計に悪化させて、結果的にその後の力士生命を未完成のまま縮めてしまったなんてことになったら…、と考えれば大関を陥落しても休むべきか、しかし本人の気持ちはどうか──などなど悩ましい部分は多い。 過去にもケガが原因で力士生命を縮めてしまい、大関として、あるいは横綱としての印象を貶めてしまったり、あるいはそれらの地位を期待されながら上位に定着できずに終わってしまったりした力士が何人もいた。最近引退したばかりの稀勢の里(現荒磯親方)が横綱としては最低クラスの戦績に終わったのが記憶に新しいが、元関脇益荒雄(現阿武松親方)も度重なるケガで20代の若さで引退してるし、元関脇水戸泉(現錦戸親方)などはケガしてなければ絶対大関以上だったと思われる。把瑠都もケガしてなければあるいはまだ現役で大関、ことによると横綱の地位で優勝を重ねてたのではなかろうか? 現役でも元大関照ノ富士が春場所序二段の地位から復帰し、先場所も三段目の地位にいたし、宇良もなかなかケガから立ち直れない。千代鳳も幕下でくすぶってから長いし、常幸龍も十両に戻っても定着できずに再び幕下で出直しを図っているところ。幕内に定着してる力士であっても、遠藤なんかはケガで足踏みしてなければ熾烈な大関争いしててもおかしくなかっただろう──彼らはまだ一時でも上位でスポットライトを浴びてファンの記憶に残ってるからいいが、関取に上がる前の段階で大ケガに見舞われて伸び盛りの芽を摘まれ、人々の記憶にも残ってない力士はそれ以上に何人もいるわけで…。 かつては、こうした不幸な力士を出さないために公傷制度と言うのがあって、本場所の取組での負傷休場力士については診断書を出して申請すれば翌場所全休しても番付上の地位を一場所据え置くという救済措置に救われた力士も何人もいたのだが、あまりにこれを濫用する力士が続出して休場力士だらけになったためか、10年以上前に廃止されてしまった。この制度があれば貴景勝は来場所全休してももう一場所大関に据え置かれることになり、安心してケガを直すことに専念できただろうし、無理して強行出場して余計無様な相撲を取るようなことにもならなかっただろうな、などとも思ってしまう。過去記事にも書いた通り僕は公傷制度は適用基準を厳しくしても制度自体は残しておいた方がよかったと思ってるのだが…、しかし決まってしまって久しい今それを言っても仕方ないわけで、貴景勝には焦ることなくじっくりとケガを直して万全の身体でまたパワーアップして上がってきてくれとしか言いようがない。 ──とはいえ、彼が強行出場しようとしたのはもちろん本人の責任感や焦燥感もあるんだろうけど、日本人大関の活躍を過剰に期待する協会やファンによるプレッシャーがなかっただろうか、というのを感じずにいられないわけで。それが稀勢の里を惨憺たる横綱戦績で潰してしまった感をぬぐえない僕的には、その二の舞にだけはしてくれるなよと、周囲の人たちに対しても願わずにいられない。 ──しかし、前回の繰り返しになるけどやはりどうしても「貴乃花部屋も師匠もあのままだったらどうなってたろうな」ってのはあるよね。元の師匠だったら、休場や再出場に対してどのような判断をしてたろうな、と。それが結果的にいい方と悪い方のどっちに転んだろうな、なんてね。 |
昨年だったか、ニラと間違えてスイセンの葉を食べてしまったことによる食中毒のニュースをテレビで観て、後期高齢者の母は「なんであんなもの間違えるの? 匂いが全然違うじゃん!」と呆れたように叫んでいた。農村で生まれ育ち、実家も農家だった母は、ニラもスイセンも普通に見慣れて育っており、見た目でももちろん区別できるが、それ以上にニラといえば皆さんご存知のように独特の匂いがかなり強い野菜である。まあ間違えたりはしないのではないか、と思ってしまうが── なんて思っていた先々月、今度はイヌサフランの葉をギョウジャニンニクと間違えて炒めものにして食べた70代夫婦が食中毒を起こし、夫の方は意識不明の重体となり5日後に死亡したという──これも、間違えられたギョウジャニンニクはやはり匂いの強烈な野菜であり、見た目で区別できなくても匂いでわかりそうなものである。このイヌサフランは知人から数日前に譲り受けたとのことだが、その知人もギョウジャニンニクと言って譲ったらしい。その知人にも両者の区別がつかなかったということである。両者の誤食による事故はわりと多く起きてるらしく、役所などで注意を呼びかけてる自治体も少なくないようだが── で、これらの誤食、上述の通り後期高齢者の母にとってはあり得ない話らしい。野菜もそうだし、山の毒キノコなんかでも、昔の人は何が大丈夫で何が危ないというのが知識として頭の中に入っており、間違えて食べて中毒を起こすなんてことはなかったし、その知恵が子供の世代、孫の世代へと伝承されていくから、若い世代でもそういう事故は起きないのが普通だった。これは誤食に限らず害獣や害虫による事故、天災なんかの時も同様で、外的要因から自分たちの身を守るための知識というものが語り継がれてきたはずなのである。 ところが核家族化や農村の過疎化によってそうした老人の知識が後世に伝わることが難しくなってしまい、昔なら起こらなかった、それこそ母の世代的には考えられないような誤食事故がよく聞かれるようになった。上述の死亡した男性は72歳だそうだから団塊世代。その世代ですでにそういう状況なら、もはや存命のほとんどの日本人にとっては失われた知識なのであろう。かく言う僕自身、母からこんな風に聞かせられてはいても、実際に畑とかで現物に遭遇してちゃんと区別つけられるかと言われても、正直自身はないし── この件、わけのわからないものは食べないようにしましょうで済む話かも知れないが、その結果ホントに食べられた野草が食べられないまま、食用であることすら知られなくなってしまうのだとしたら、知識が退行していくのも寂しいものがある。お年寄りからもっと学びましょうと言っても、団塊世代でかくのごとしではあんな有用な知識やこんな使える自衛手段が次々廃れていくのも時間の問題なんだろうな──もっと年寄を大事にしておけばとあとになって後悔しても、食中毒で落とされた生命は戻っては来ないというのに…。 |
関西在住の生粋の関西人の人からよく聞く言葉である──「東京からこっちきたモンにヘッタクソな関西弁使うて話しかけて来られるの、ホンマ好かんわ」もともと東京など、関西以外の言語圏で生まれ育った人が仕事か何かで関西にやってきて、地元の人に迎合のつもりかはたまた揶揄のつもりか、相手をマネて使い慣れない関西弁を使われるのが、ネイティブ関西人にはすごく癇に障るらしい。 確かに、関西の主にお笑い系のタレントの影響で全国ネットの番組でも関西弁を聞かない日はないくらい、関西弁はポピュラーだし、わりと簡単にマネできそうに錯覚されがちだが、そのイントネーションや言葉選び、さらには会話のニュアンスなど、明らかに他所とは違うところが多々あり、マネできそうで意外とできにくかったりする。ネイティブ関西人はそういう微妙な違いを感じ取る言語力も、それに触れた時の逆鱗も鋭いので、ヘタな関西弁は関係の悪化につながりそうであるが…、だけど── 広島生まれのオノボリさんである僕は、もちろん上京時にこちらでできた知り合いとは広島弁でなく標準語で話すことになるのだが、それで「ヘタな標準語使われて腹立つ」なんて言われたことはもちろんないし、こっちが長くなって普通に標準語の人となった今でも、地方出身者の地元訛りが抜けない標準語にそんなことを感じたことも一度もない。僕の場合も、その後接したオノボリさんの場合も、新生活に早く慣れて、地元の人に早くとけ込もうという気持ちでのそうした言葉づかいであるから、それを『エセ』なんて言って毛嫌いなんてとんでもないって思ってしまう。 標準語と地元方言は違うというなら広島弁の話で言うが、僕の出身が広島だと知ると結構多くの人がじゃけんじゃけん言ってくる。しかしネイティブ広島弁で「じゃけん」になることはあまりなく、「じゃけえ」「じゃけ」が一般的である。それでイラッとくるかと言われれば…、全くこないとは言い切れないかな? でも彼らなりに彼らの自分への歩み寄りの気持ちの表れなのは理解できるから「じゃけん」もとい邪険に扱って毛嫌いすることはもちろんない。スルーするか、必要があれば「それは地元ではホントはね」って教えてあげたりする。それが会話のタネになってさらに一歩前に歩み寄るきっかけにもなるわけだから。 関西であれば東京だけでなく他の地方からでも転勤や出張などの行き来の機会は多いだろうし、他所者から見れば歩み寄りを試みたいだろうし、まずはテレビとかで最もなじみのある関西弁から、って考えるのはある意味人情だと思う。その辺、関西人の方々も理解してもうちょっと大らかに受け容れてくれれば…、なんて思ってまうねんけど、あかんやろか? でも標準語で通したら通したでまた「ええカッコしいやな」とか言うんでしょ? |
『睡眠負債』なる言葉がいつ頃から登場したのかはさだかではないが、僕がこの言葉を初めて知ったのは昨年か一昨年か、ほんの直近のことである。一般的に理想的な睡眠時間は7時間、それ以下だと寝不足になり、それが連日重なると寝不足が『睡眠負債』として蓄積されていき、あまり多く溜まると、1日や2日ゆっくり寝ただけでは“返済”が追いつかず、元の状態への修正には相当な日数を要するという。その溜まった状態の『睡眠負債』が血液や心臓、脳などに悪影響を及ぼしてさまざまな病気の原因になるのだと──まあ、寝不足が身体に悪いことくらいは誰でもわかるだろうけど、それの修正が1日やそこらできかずに時間がかかるとなると、これは困った…、ってやつである。 実は僕、ここ7~8年くらい5時間以上眠れたことがほとんどない。多忙で睡眠時間を取れないということでは全然なく、布団の中には毎晩7時間から8時間くらい、時には9時間近く入ってるのだが、そのうち実質的に眠りに落ちてる時間というのがトータルで5時間超えることがほとんどないのだ。トータルで、である。連続ではない。夜中にトイレで目が覚めることなどザラだから、その5時間は2回3回の小刻みである。7時間寝る意思は大いにあるし、その体勢で臨んでいながら、結局昨夜も5時間だった…、な状態が長年続いてるのだ。 毎晩2時間の『睡眠負債』を7~8年積み重ねてる僕の睡眠は完全に“債務超過”になっており、しかも実際に“返済”を試みていながら“自力返済”に失敗し続けている状態なわけだ。これはもはや入院でもして専門の医療機関などで睡眠を“差押え”でもされなければ“完済”は無理なのではなかろうか…。心身の健康の問題だから“自己破産”による“免責”なんて方法はないだろうから──今のところ年1度の検診でも特に大きな病気はみつかってないし、睡眠不足に起因すると思われる心機能などの異常も指摘されてないけれど、今の僕の年齢を考えるとこの先影響がどんどん出てきてもおかしくないだろうし…。 とにかく、寝ようとしてその体勢でいるのに実質的入眠時間が少ないというのは時間も努力も無駄って感じでイヤだな。考えられる原因としてはイビキがある(実は僕は多くの人から指摘されてるのだがイビキがハンパなく大きい)けど、これは小学生の頃から何十年もそうだったから今さらな気がする。他には枕の形状も関係あるそうだが、これも昔からのことで今さらである──逆に言うと昔から睡眠の質が悪くて僕の『睡眠負債』は小学生の頃から蓄積されてるのか? いやいや、子供の頃とか20代の頃は7時間8時間平気で寝てたぞ。休みの日とかもかなり惰眠を貪ってたし…。ああ、マジで原因がわからない! ただわかってることは数値的に僕はかなり『睡眠負債』の債務超過であることだけ。この先一体どんな影響が出てくるのだろう? それに対して、どのような対策ができるのだろう? それ考えるとまた寝られなくなっちゃう── |
神奈川県相模原市が政令指定都市に昇格した時は少なからず驚いた。僕が進学で上京した当時に住んだ市とは都県境を挟んで接していたが、京王相模原線が橋本延伸前で多摩センター止まりで、JR横浜線も当時は快速運転しておらず、相模原駅も橋本駅も、駅前はあまり開けてなかった印象だった。唯一小田急線が都心に直通していたが、今でこそかなり発展して賑わってる相模大野駅も単なる絵の島方面への分岐駅というだけで駅前は何もなく、辛うじて小田急相模原駅前がそこそこ駅前らしく開けてる感じだった。あくまで近郊衛星都市の玄関駅として──人口はその当時から多かったし、駅から離れた郊外の住宅地にはたくさん人が住んではいたが、町田や八王子、多摩ニュータウンあたりと同じベッドタウン以上でも以下でもなく、およそ大都市とよべる街ではなかったのだが…。 そんな、相模原市内の上述各駅の駅前は、どこも目覚ましい発展を遂げており、それにともない人口もウナギ登りでついに政令指定都市成立要件の70万人を突破、わずか3区ながらも県と同等の権利を得るに至ったわけだ──相模湖あたりまで含んでというのが何だか、ではあるがw その政令指定都市・相模原市の玄関駅というと、以前から最も開けてて都心に直通する小田急相模原か? いや、そこはやはり正式に市名を名乗り、また市役所の最寄りでもあるJR横浜線の相模原駅であろう。駅前から広い道路も伸びており、市役所を始めとする官公庁も大型商業施設も近くに集まっており、市内及び周辺を結ぶバスの便も充実している。それにともなって立派な駅ビルとペデストリアンデッキができ、駅前のたたずまいは完全に大都市のそれである。JRそれも近郊輸送オンリーの横浜線の単独駅の駅前としては破格の開けようだ──相模大野や橋本の駅前が急成長したとはいっても、相模原駅にはもちろん及ばない。文句なく相模原駅の代表駅と言ってよいだろう。 但し、それは南口の話。裏側の北口はすぐ目の前に在日米軍相模総合補給廠が広い敷地を占めているため再開発は商業地としてはもちろんだが住宅地としても到底困難であり、線路に沿って実に殺風景な光景が広がっている。開発用地が阻まれているのは駅も同様であり、駅ビルが立派なのに対して、駅施設そのものはその辺の近郊駅のそれとあまり変わらず、乗り換え路線がないこともあって相対式2面2線のみのホームは、ラッシュ時にはさぞかし手狭になるだろうな、と思わされる──現在唐木田止まりの小田急多摩線が相模原駅に乗り入れる計画とのことだが、その用地をどのように確保するのだろうか? 今のキャパだと完全にホームから人があふれてしまうぞ。 まあ、基本的にはベッドタウンであり、その観点で見ればかなり開けてるな、という感じであるが、それでも一応政令指定都市の玄関駅であるということを考えると、やはり物足りない感じは否めない。とはいえ、場所的にも商業の拠点として中心的や役割を担うロケーションではないし、何より県内に横浜川崎という2大拠点がある状況では、そちら方面に通勤する人たちが住居を構えるベッドタウンとして、生活都市としての機能を充実させるという方が、活路はあるだろう。実際生活拠点としての魅力度は僕から見てもかなり高いと思うし。 ──なんて思えるような街になるだなんて、僕が上京した頃には全く想像もつかなかったんだけどねw 惜しむらくはやはり、同じ神奈川県として横浜川崎のみならず横須賀や鎌倉、茅ケ崎などよりも存在感に欠け、全国的には影が薄いのが否めないところだろうか。何か、相模原の名前を広く知れ渡らせるようなアピールポイントがひとつかふたつ欲しいところではある。 |
昨年暮れ、毎年恒例の『新語流行語大賞』の候補の中に、表題の言葉があったことを覚えている人は、果たしてどのくらいいるだろう? 大賞に輝いた「そだねー」や「大迫半端ないって」などと並んで最終候補の10個に勝ち残っていたこの言葉を──流行語なんて一時だけですぐ廃れちゃうもんだろ、って? いやいや、この言葉、候補に上がっていたリアルタイムのその時点ですでに「は? 聞いたことないぞ。何だそれ?」という声が殺到していたのです。何をかくそう僕自身この時に初めて聞いた言葉だったりします。 『ご飯論法』国会での野党議員の追及に対しての大臣の論点ずらしがそのようにネーミングされたものである。「朝ごはん食べなかったの?」「ご飯は食べてない(パンは食べたけどね)」「何も食べなかった?」「何も、って、どこまでが食事の範囲かは明確じゃないし…」的なやりとりで、普通は「朝ごはんは?」との問いは当然パンも含めてであり「食べました」が答えなのに「食べました」とは言いたくなくて朝食全般を表す“朝ごはん”を白米のみの狭義に矮小化(論点ずらし)し「ご飯は食べていません」と、相手に「朝ごはんを食べなかった」と思わせようとすることを、そのように名付けたのだという。命名者いわく『セクシャルハラスメント』や『母さん助けて詐欺』と同じ、問題に気づきやすくするための“名付けて退治”の言葉だそうである。 で、上述の通りノミネート当時から「そんな言葉知らんぞ」の声があちこちから上がっており、またもともと政権批判から生まれた言葉ということで「選考が偏ってる」「何が何でも政権批判しないと気が済まないのか」ということでゴリ押し的に感じて反発した人も多かったようだ。まあ実際、当時もその後もこの言葉が使用されてる様子は全くないし、流行したかしなかったかで言えば、してない、これは間違いあるまい── が、しかし──そのこととこの『ご飯論法』という言葉それ自体の価値というか有用性はまた別物だとも、僕は思うのです。実際にこれに類似する詭弁を弄する輩は多数いるけど、その類の論法を一言で言い表す用語として『詭弁』とかでは漠然としてるしインパクトもあまりない。かといって事例ごとに「○○に対して△△という言い方」では個別事例にしか通じない。何かこのテの言い回しを総称する上手い用語は確かに欲しいところであり、上述「気づきやすくして“名付けて退治”」のためには有用です、これは間違いないでしょう。 流行ってようがいまいが、言葉自体の実用性には関係ないし、反政権が使って話題になったとはいえ決して反政権用語ではなく、逆に野党の答弁に対して政権側がこの言葉を用いられる場面も多々あろう、てかある。流行語としてではなく、一般的表現として、普通に使われてもいいのでは? 言葉の成り立ちやイメージだけでなく、もっと言葉自体の有用性に目を向けませんか? アンチ流行のためのアンチ流行やってても仕方ないでしょ。そういうのは“逆流行かぶれ”ってやつですぜ── |
つい数ヶ月前にこちらの記事で『貴』の字にまつわる話題には、たとえ明るい話題であっても。例えば貴景勝が大関にスピード昇進してもしばらく話題に出さずに静観していよう」だなんて書いていながら…、やはり全く無視するわけにもいかないだろうなと思って、今回取り上げさせていただきました。元貴乃花親方がどうのこうのということとは別問題だし、またそれとは別次元の話で、ちょっと言及したいこともあったりするんで── 平成最後の先場所、貴景勝が関脇で10勝を上げ、令和最初の今場所の土俵に新大関として上がることになったのだが──初優勝した昨年九州場所から数えて3場所連続で2ケタ勝ち星で3場所通算33勝以上という大関昇進の条件の内規は確かに満たしてはいるのだが…、しかし13勝⇒11勝⇒10勝と尻すぼみであること、最後の先場所は千秋楽に勝ってやっと2ケタだったことを考えると、その前の初場所の時点ですでに昇進が取り沙汰されていながら11勝で見送られた経緯があるだけに、それ以下の星で昇進決定というのは、どうにも違和感がぬぐえないわけで。栃ノ心や豪栄道など、直近の他の大関の昇進前の成績と考え合わせても、数字的にはともかく3場所の推移という点では印象が下がるのは否めないし、年齢的にまだ若く、この先いくらでもチャンスがあることを考えても、もう1場所見てもよかったのでは? 少なくとも同様のケースでそう言って見送られた例もいくつかあったと思うのだが── 折しも稀勢の里が引退して白鵬や鶴竜も下降線という状況で次世代の横綱を狙える大関がとにかく早く欲しい状況というのに加え、平成から令和への元号の変わり目というところでそれを記念する意味でも何としても今のこのタイミングで…、だなんて考えてのことだとしたら、ずいぶんとご都合主義なのではないかと思わざるを得ない。そのテのご都合主義による時期尚早な昇進がアダとなって結局大成しないまま早々にドロップアウトして力士としての印象を貶めてしまった横綱がいたっけな…、先日訃報を聞いたばかりのところでこんな言及の仕方するのはちょっと気が引けちゃうけど。 まあ、実力も向上心も人一倍な貴景勝であるから、相撲協会の思惑うんぬんに関係なく、大関として申し分ない成績を残すとは思うし、また大関を早々に卒業して横綱に駆け上がるとは思う。来たる夏場所でも相応の成績は上げられるとは思うのだが──しかし“今場所で”(←ここ重要)大関にして正解だった(もう一場所様子を見るまでもなかった)と言えるためには、優勝まではいかなくとも、最後まで優勝争いの圏内に残るくらいの好成績を上げてほしいものである。そして、数場所以内に横綱に推挙される(今度は「ご都合主義では?」だなどという疑念など抱かせずに文句なしに)くらいの結果を残してほしいものである──もちろん遅かれ早かれそうなるであろうし、単に時間の問題だろうと僕は思ってますが。 ──しかし、そうしてみるとどうしても「貴乃花部屋も師匠もあのままだったらどうなってたろうな」なんて思えてきてしまう。師匠のゴタゴタや部屋の移籍を彼はものともしなかったのか、それとも逆に重しが取れて力を存分に発揮できた結果だったのか、あるいは元の師匠の元でなら初場所で見送られることなく一場所早く昇進できてたのか…、などなど、彼にとっても一大転機であったことは間違いないあの一件がどう影響したのか、というのをいろいろと想像してしまう。元の師匠は、貴景勝のそうした活躍ぶりを協会の外から果たしてどのような気持ちで見てることだろう、ということも。 いずれにせよ、もう間もなく始まる新大関場所で、上述のそれらの答えは出ることであろう。願わくは、よい答えがでますように── |