二つの島の物語〜どちらに住民票を置くか〜 | 選択理論マニアのためのトリセツ

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心理カウンセラー渡辺奈都子が選択理論に関するマニアックな気付きを書いているブログです。

こんにちは。
選択理論マニアの会 代表のnatsukoです。


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過去記事を加筆修正してアップしています

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先日、ある方がこんな質問をしてくださいました・・・。

Q選択理論がとっても良いのは分かるのですが、
外的コントロールはすべて手放さなければならないのでしょうか?

両者を 必要に応じて使い分けていく
というのはダメ?」





もう・・・みる!!


これは、とっても重要な(考える意義のある)質問です。

そして、

この質問が何を意味しているのかを理解すること

選択理論を身につけるための関門のようなものかもしれません。


この質問の背景には

外的コントロールとは、
致命的な7つの習慣 にあるような)威圧的で不快なコミュニケーションで、

選択理論とは、
身につけたい7つの習慣 になるような)優しくて肯定的なコミュニケーションのことだ

という 理解が存在していると感じられますブンブン


でもこれでは、両者の違いを理解しているとは言えません!!




なぜなら、肝心なところに触れられていないから…何ですと?

(そう…上記の理解では【アメとムチ】理論となんら変わりません



外的コントロールと選択理論を使い分けるというのは
まるで、二つの島に住民票を置いておくようなイメージ・・・
(そうなの…それでこの二つの島、けっこー遠いのよえへ・・・


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でも・・・・

それは無理なのです茶白 え!キジトラ え!バーマン え!



なぜなら・・・


それぞれの島では、
信じていることが異なるから・・・・。




すなわち、

外的コントロールとは(上記に示したような)
強烈なコミュニケーションの種類を言っているのではなく

「私は相手をコントロールすることができる」

さらには

「私は正しいことを知っている。
間違っている相手を正すことは、道義的責任だ」

という

(上質世界にある)信条に由来しているからです。


これに対して、選択理論は

「私は自分の行動を、自分で選ぶことができる」

だから

「私は相手をコントロールすることは出来ない。
出来ることは、より良い関係を築き、情報を与えることだけである」

となります。



島の住人たちの様子をよーく観察すると、

外的島の人だって、
人を励ましたり、すごいねーと褒めたり、ふんふんと話を聞いてあげることはします。


でもそこには、

《これくらいしておけば、次は断れないよね…》むふっ。とか
《話を聞いてあげてから、自分の言いたいことを言ってわからせよう》Ψ(`▽´)Ψとか

その背後に
相手をコントロールできるはずだという思い

が見え隠れしているでしょうニヤリ



また、

選択理論アイランドの住人であっても
時には、カーッとなった怒りを持て余して怒鳴ったり、

落ち込んで引きこもったりするかもしれません。

(そう、昔、あっちに住んでいたときの習慣が染み付いているので…とほほ

でもそのあとすぐ、

《あんなこと言っちゃって悪かったなぁ。怒鳴った所で変わらないのに…》ごめんとか
《こんなことしてても何も変わらないんだった。自分の出来ることしよー》頑張るとか

関係を回復することに努め、
自分自身のコントロールを取り戻すことに気付くわけです。





これは、自分がどんな信条に寄って立っているかの違いです。



ですから、二つの島に同時に
住民票を置くことはできないのです。




まぁ、よく見かけるのは

「俺、選択理論アイランドに引っ越すことにしたんだよ杉浦太陽(サングラス)
でも、外的島には別荘だけ置いておくんだ。
いつでも来たい時には来られるように・・・♥akn♥

という人かもね。


この引っ越しは、実は
かなり腹をくくる必要があるものなのかもしれません。





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