『三心・深心について』 | 浄土宗長福寺のブログ

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埼玉県深谷市の浄土宗長福寺のブログです。おもに『今月の言葉』を毎月1日に公開します。

 今月は、三心の第二、深心(じんしん)について見ていきたいと思います。

 法然上人の御法語に
深心とは、すなわちふかく信じるこころなり。
【大胡の太郎実秀へつかはす御返事・昭法全516】
深心というは、善導釈し給いていわく、これに二種あり。一つには、決定してわが身はこれ煩悩を具せる罪悪生死の凡夫なり、善根はすくなくして、曠劫よりこのかた、つねに三界に流転して出離の縁なしと信ずべし。二つには、かの阿弥陀仏四十八願をもて衆生を摂取し給う。すなわち名号を称する事、下十声一声にいたるまで、かの願力に乗じて、さだめて往生する事を得と信じて、乃至一念も疑う心なき故に深心となづく。
【御消息・昭法全579】

訳:深心について、善導大師は二つに分けて解釈しておられます。一つは「この私は煩悩にまみれて罪を犯し、生死の迷いの世界をさまよい続ける凡夫である。覚りを得るような善い行いも少なく、遠い過去の世から長い間迷いの世界を流転して、迷いの世界を離れようにも、その縁すらない身である」と直視するのです。二つは「阿弥陀さまは、その成就なされた四十八願の働きをめぐらして衆生をお救いくださるのですから、お名号を称えるならば、たとえ十遍であろうと一遍であろうと、阿弥陀さまの本願力に乗じて必ず往生するぞ」と信じて、ただの一遍も疑う心がないので深心と名付けるのです。 
【法然上人のご法語① 消息編 116P 浄土宗出版局】

 三心のうちの『深心』は、二つの解釈があると善導大師は申されています。一つには、自身が煩悩にまみれ、迷い続ける凡夫であると自覚です。二つには、阿弥陀様の四十八願は、そんな私たちを救うためにあり、そのためにお念仏を信じて称え、必ず極楽往生するぞと強く願うことです。
浄土宗をお開きになられた法然上人は、中国の善導大師を教えの上での師であるとされています。その中でも、この深心で示されている『自身が迷いの世界を流転する凡夫であるという自覚』と『だからこそ、阿弥陀様の本願を深く信じて、お念仏で必ず極楽往生するのだ』という流れをとても重要とされています。
振り返って、私自身も今年で40歳になります。寺の住職を拝命してからも15年が過ぎました。しかしながら、日々様々なことに迷います。社会の変化に戸惑うこともありますし、言わなくてよいことを言ってしまったと反省することもあります。
皆様はどうでしょうか。私は、法然上人の教えを今一度心に刻み、自身のことを顧みながら、阿弥陀様の本願を頼み、お念仏にこれからも励んでいきたいと思います。
合掌