がんになって1番はじめに頭をよぎったのは、
入院か…お弁当どうしよう…。




幼稚園に持っていく息子のお弁当。
幼稚園への送り迎え。
生まれてから今まで私がいなかったことなんて1度もないのに…何て説明すればいいだろう…。


病気のことよりも、そんな些細な事をずっと考えていた記憶があります。


乳房温存手術は5日前後の入院が一般的。
家事を何も出来ない夫と5歳の息子を置いて5日間も家を空ける事に不安と抵抗がありました。


そこで私が選んだのは、乳房温存手術を日帰りで出来る総合病院。
術後のんびりケアしてもらうよりも、すぐに家に帰れる日帰り手術の方が私にとってはありがたかったのです。


手術まではそこから1ヶ月以上開きました。その間にMR検査や血液検査を済ませ手術日を待ちました。


そして手術当日。
局所麻酔で手術は行われました。
いやぁ、変な感じだったな…。電気メスの痛みはほとんど感じなかったけど、とにかく右胸全体をもみくちゃに引っ張られている感覚。
先生やナースたちの会話も丸聞こえだし…。
途中でリンパが見つからないとか大騒ぎしてたし

結局2時間程で終了。


術後はベッドで休むことも無く、いきなり歩いてロッカーへ。
普通に着替えて、普通に退室。


そして普通にバスと電車に乗って帰宅。
お腹が空いていたのでお弁当と鯛焼きを買って普通に完食。
夜ごはんは天ぷらをわざわざ揚げてまたまた普通に完食。



その日幼稚園に行っていた息子は私の変化にまるで気付いていない。
それくらい、人知れずひっそりと済んだ手術でした。


翌日は念の為パートを休みにしていましたが、翌々日からは普通に出勤。もちろん誰も私がガンで2日前に手術してきたことなど夢にも思っていません。



ただ、手術前と明らかに違う点が1つ。
それは胸の傷痕。
縫い目もなかなかでしたが、何と言っても内出血の酷さたるや…。
腫れているせいか胸の変形は気にならなかったけど、全体的にド紫。かなりのグロテスクっぷり。
アザが完全に消えるまでにひと月位掛かりました。
その間は当然息子とお風呂には入れません。あんなの見たら一生トラウマだよ



術後はとにかく普通に生活しなさいとドクターから言われていました。だから至って普通に生活しました。
今でも洗濯物を干す時に脇腹あたりがキーンと痛かったり、たまに患部が痛むけど、この後遺症は一生続くらしいので、気長に付き合っていこうと思います。

要精密検査の通知が来てから5週間後、ようやく精密検査の予約を入れられました。

 

 

検査内容は病変の良悪性を鑑別するための細胞診。

胸にエコーをあてながら細い針を刺して腫瘤の細胞を抜き取ります。

 

「まね、がんの可能性は低いよ。大丈夫だろうけど一応ね」

 

 

うん、そうそう、一応だよね。

それまではまだ余裕ぶっこいていた私です。

が、1週間後の結果説明からビビり始めました汗

 

細胞診の結果はグレー。

白から黒まで5段階あるとすると、ド真ん中のグレー、しかもやや黒寄り。

 

ドクターのテンションが前回と明らかに違います。重いです。

 

 

再度、細胞診をすることとなりました。前回よりも太い針でより多くの検体を抜き取りました。(これ結構痛い)


その再検査の結果、右胸に早期の浸潤がんがあることが分かりました。



 

 がんと知ったこの日から今日までで、泣いたのは1度だけ。

精密検査の結果を聞いた帰りのバスの中で、息子と同じくらいの男の子とお母さんが楽しくおしゃべりしている光景を見て自然と涙がこぼれました。


息子にこんな顔絶対に見せてはいけない!

がんは早期で見つかったんだ!

泣いてる場合じゃない! 

それからは絶対に泣かないと決めました。

 

 

 

 

乳がんが見つかったのは昨年の夏。市の乳がん検診でのこと。

 

 

以前の記事にも書いたのですが、2008年の人間ドッグで石灰化があると言われていたため、それ以降、わりと定期的に検査を受けていました。

 

 

2009年3月 近所の総合病院(マンモグラフィ、エコー) → 石灰化はあるが異常なし

2010年1月 出産

2010年8月 出産した病院(エコー) → しこりを感じたため受診。授乳によるしこりでがんの疑いはなし(卒乳後、自然にしこりは消えました)

 

 

2013年6月 市の集団検診(マンモグラフィ)→ 良性石灰化(両側)、局所的非対称性陰影(右側) 所見あるが良性のため要経過観察。1年後は集団検診ではなく精密検診を勧められる。

 

 

2014年7月 精密検診(マンモグラフィ、エコー) → 所見なし。次回はは市の集団検診で良いといわれました。1年~2年後に受けて下さいとのことでした。

 

 

2015年6月 市の集団検診(マンモグラフィ) → ドクターがマンモの画像を見つめながら言いました。

「私は大丈夫だと思いますが、二次チェックでもしかしたら引っかかるかもしれないです。」

 

集団検診の結果は別機関での二次チェックを経て後日郵送される予定でした。数週間後にポストに入っていた封筒は、明らかに今までのそれと厚みが違いました。だから開封することなく察したんです。

 

あ、引っかかったな…

 

予想通り、精密検査の通知でした。

右胸に腫瘤あり。良性、しかし悪性を否定できず。

 

 

 

でもさほど動揺しなかった記憶があります。検診の時ドクターに忠告されていたし、まさか私ががんのわけないでしょ…そんな思いがあったんだと思います。

最後の記事更新から7年も経ってしまいました

KLCで授かった子はもう小学1年生。2500g弱で産まれた小さな子は、その後すくすくと育ち、今や小生意気な少年です。

7年間、誰にでも色々な事があるように、私にも色々な事がありました。


その中でも1番大きな出来事は、乳がんになったこと。


7年間、ろくにログインすらしなかったブログですが、久々に読み返してみると、自分が経てきた体験、感情を思い出す事が出来ました。
辛い不妊治療にも前向きに、極力明るく立ち向かっていた過去の自分と会えた。そんな気分です。


『ブログって、なかなかイイじゃん』


そんな風に思い、また書き始めることにしました

備忘録も兼ねて、乳がんの事など書いていこうと思います
KLC21周期 HR周期(判定~卒業)

判定日以降も相変わらず生理前のような下腹部痛。
明け方になると尿意に襲われ目が覚める。
そんでもって喉、口がやたら渇く。


<BT10(D28)>
■E2 /185
■P4 /0.4
■hCG/319


この日はとても感じの良い女医さん。
「hCG値も10倍以上に十分伸びているので、次回はお腹の中を診てみましょうね」
と、優しい笑顔。
その夜から茶オリ少々。
でもHR周期は茶オリや出血が多いって聞いていたから、特にビビることもなく。
安静にすることもなく、仕事に家事に買い物と、普通の生活を続けました。
*エストラーナ/デュファストン継続
*Pデポ注射/125mg



<BT15(D33)>
■E2 /204
■P4 /0.3
■hCG/検査なし
■GS /4.3ミリ


この日の内診前が今までで1番緊張したかな。
4.3ミリのまん丸な胎のうが子宮の奥に見えた瞬間、心底ホッとしました。
*エストラーナ/デュファストン継続
*Pデポ注射/125mg



<BT20(D38)>
■E2 /247
■P4 /0.5
■GS /14.0ミリ


5日前より10ミリ近く大きくなった胎のう。その中にくっきりと白いリング(卵黄嚢)が見えました。
胎芽らしき影はまだ見えなかったけど、
「順調ですね」とドクター。
P4がなかなか上がらないけど問題ないのか質問すると、
「上がってくるのは6週~7週からで大丈夫」と。
この日で5W4D。
*エストラーナ/デュファストン継続
*Pデポ注射/125mg



<BT25(D43)>
■E2 /353
■P4 /1.3
■GS /16.2ミリ
■CRL /3.3ミリ


この日、初めて3.3ミリの胎芽を確認。卵黄嚢の横にピッタリとくっついて、心臓をピコピコ動かしている様子が白く光って見えました。
E2値が300を超えたので、この日でエストラーナは終了に。
*デュファストン継続
*Pデポ注射/125mg



<BT30(D48)>
■E2 /390
■P4 /3.9
■GS /26.7ミリ
■CRL/7.5ミリ


P4はまだまだ低いので、デュファストンはこのまま継続。
*Pデポ注射/125mg


<BT35(D53)>
■E2 /検査なし
■P4 /5.8
■CRL/12.4ミリ


胎芽はハッキリ2等身になって、心臓も元気よく動いてました。大きさ、心拍ともに問題なし。
P4は徐々に上がってきてはいるものの、まだ低いのでデュファストンは継続。
それにしても、卒業、紹介の単語はいまだ一切出ず。
さすがに5日おきの通院はちょっと大変。
5日おきにお腹の様子を見れるのは安心なんだけどね~
*Pデポ注射/125mg


<BT40(D58)>
■E2 /854
■P4 /11.3
■CRL/17.2


この日のドクターはゆっくり丁寧に内診してくれ、最後に「申し分ないですね」と。
P4が前回よりも倍近く上昇したため、この日でデュファストンは終了。
次回このまま問題なければ、紹介状を書いてくれることとなりました。
やった!!!
次は5日後ではなく、5~7日後の間で都合がよい時に来ていいよと。
*Pデポ注射/125mg


<BT47(D65)>卒業
■E2 /検査なし
■P4 /16.6
■CRL/26.8ミリ


9W3D
卒業予定のこの日、採血をせずにいきなり内診室に呼ばれる。
HR周期で移植した人は最後まで採血検査があるって知ってたから不安に思い、
「あの~、今日は採血ないんですか??」
と、内診室の中からナースに質問。
するとナース、あれ??あれれ??おかしいな?的なリアクション。
やれやれ、やっぱり忘れられてたか、、、危ない危ない。
とりあえず内診を先に済ませて、それから採血することに。

さて、この日の担当、判定日でも当たった常に超気だるいドクター。
「元気ですね、いいよ」
で、内診も気だるく終了。
かろうじてサイズは測ってくれたけど、ここが頭とかこれが手とかの説明はナッシング。
いいさ、いいさ、期待してないさ。
短い内診の間に、手足を元気よくバタバタ動かしているベビーの姿を確認しました。
1週間で1センチ近く成長、少しずつ人間ぽくなってきたぞ。

P4も16.6で十分なので、予定通りこの日で卒業に。
「紹介しましょうか?どちらの病院ですかぁ」
で、最後の診察、気だるいままあっけなく終了。
しかし最後の最後まで、KLCらしさ満点の愛想無しだったなぁぁぁ。感激も半減だぁぁぁ。汗


とはいえ、この日を迎えられたのは、KLCのお陰そのものです。
受精率が悪い私の卵を、顕微授精により確実に受精させてくれた培養士さんたちにも感謝です。
「長い間、お世話になりました」
心の中で小さくつぶやきながら、KLCのビルをあとにしました。


こうしてがんばってこれたのは、子供が欲しいという気持ちと、ブログで仲良くしてくれたみんなの存在があったから。
1人ぼっちでがんばっていた4年前の治療とは違いました。
「みんなだって、がんばってるんだ!!」
そう思って、今回は私もがんばれたんです。
本当にありがとうございました。心から感謝しています(T▽T;)



さてさて、結局、茶オリはBT10~BT37位まで続いたかな。
出たり出なかったり、チョコレートみたいな濃い色だったり、モカっぽい薄い色だったり。
でも出血は1度もありませんでした。
なわけで、安静にすることもなく、普段通りの生活を続け現在に至ってます。

そして、10W6Dの今日まで、つわりらしいつわりも無し。
思わず拍子抜けしちゃうくらい、鈍感で頑丈な体質デス、、、σ(^_^;)