【愛媛・今治市】 日本総鎮守・大山祇神社の別当寺 四国札所55番 南光坊 | キティ写真館♥電車旅で御朱印&マンホールetc.

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2022.8.13

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再び今治駅の近くに戻って来て

位置を確認

 駅からほど近い

南光坊へと向かいました

◆ 山門(四天門)◆

外側と内側に二体づつ四天王を配置し

南光坊の別称『日本総鎮守三島地御前』

扁額が掲げられている。

 光輝く四天王像がスゴい!

 四国霊場で「坊」がつく寺院は

この南光坊だけ

 光明寺 金剛院 南光坊

真言宗御室派
御本尊:
大通智勝如来

四国八十八箇所第55番札所

起源は古く、航海の神、

総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社

深くかかわる歴史があります。

推古天皇の御代(594年)、勅により

大三島東海岸側に大山積神社の元となる

遠土宮(おんどのみや)が祀られます。

その後文武天皇が大宝3年(703)、

大山積神を当地(伊予国越智郡日吉村)に

勧請し社殿を造営し始め、

同時に、本宮の大山積神社の法楽所として

大三島に24坊を建立、その1つとなります。

その後、別宮の別当寺大積山光明寺の

塔頭として移されましたた。

また弘法大師が、弘仁年間(810 - 824)

四国巡錫の時、別宮に参拝して

で御法楽をあげられたとされます。

 

◆ 本堂 ◆

 

◆ 大師堂 ◆

現在の大師堂は大正5年(1916)に建造

 珍しい石の吊り灯籠

 

▼ 左から薬師堂、金毘羅堂

薬師堂慶長5年(1600)に藤堂高虎公の祈願所として再建。

金毘羅堂金剛薩埵と摩利支天が脇仏で、本尊は権現像の姿であるが住職も見たことがないとのこと。

弘法大師さま

 

◆ 納経 ◆

▼いただいた小さいカードの文章

表面:53(この数字は不明)橋の上で杖をつかず

裏面:大師が寒い夜橋の下で休まれることもあったと聞き 遍路は橋腕で杖をつかない 四国五十五番 南光坊

 

次は隣に鎮座する

大山祇神社

 

 ◆ おまけ ◆

途中に見かけたおっきなプロペラ

このプロペラは飛行機のものではなく

船のプロペラだそうです。

地元の造船企業からの寄贈だそうな。

今治は造船も有名なんですね。

 

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