2022.8.13
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再び今治駅の近くに戻って来て
位置を確認
駅からほど近い
南光坊へと向かいました
◆ 山門(四天門)◆
外側と内側に二体づつ四天王を配置し
南光坊の別称『日本総鎮守三島地御前』の
扁額が掲げられている。
光輝く四天王像がスゴい!
四国霊場で「坊」がつく寺院は
この南光坊だけ
光明寺 金剛院 南光坊
(真言宗御室派)
御本尊:大通智勝如来
起源は古く、航海の神、
総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と
深くかかわる歴史があります。
推古天皇の御代(594年)、勅により
大三島東海岸側に大山積神社の元となる
遠土宮(おんどのみや)が祀られます。
その後文武天皇が大宝3年(703)、
大山積神を当地(伊予国越智郡日吉村)に
勧請し社殿を造営し始め、
同時に、本宮の大山積神社の法楽所として
大三島に24坊を建立、その1つとなります。
その後、別宮の別当寺大積山光明寺の
塔頭として移されましたた。
また弘法大師が、弘仁年間(810 - 824)
四国巡錫の時、別宮に参拝して
坊で御法楽をあげられたとされます。
◆ 本堂 ◆
◆ 大師堂 ◆
現在の大師堂は大正5年(1916)に建造
珍しい石の吊り灯籠
▼ 左から薬師堂、金毘羅堂
薬師堂:慶長5年(1600)に藤堂高虎公の祈願所として再建。
金毘羅堂:金剛薩埵と摩利支天が脇仏で、本尊は権現像の姿であるが住職も見たことがないとのこと。
弘法大師さま
◆ 納経 ◆
▼いただいた小さいカードの文章
表面:53(この数字は不明)橋の上で杖をつかず
裏面:大師が寒い夜橋の下で休まれることもあったと聞き 遍路は橋腕で杖をつかない 四国五十五番 南光坊
次は隣に鎮座する
大山祇神社へ
◆ おまけ ◆
途中に見かけたおっきなプロペラ
このプロペラは飛行機のものではなく
船のプロペラだそうです。
地元の造船企業からの寄贈だそうな。
今治は造船も有名なんですね。
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