スヌーピーとマユちゃん | アメリカの片田舎で淡々と暮らす日常

アメリカの片田舎で淡々と暮らす日常

ミドフォーのワーママです。よろしくおねがいします。

好きな言葉の中に、
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」というのがある。

私はこれを、心が折れそうになったときに思い出して、冷静になるのに役立てている。

その言葉が最近、スヌーピーにでてくるチャーリーブラウンの名言だと知った。
そういえば、この名言を地でいくようなマユちゃんという子がいた。
最後にあった時、奇しくもスヌーピーの服を着ていた。

マユちゃんは、年中から中学卒業まで一緒だった幼馴染みで、

同年齢の子にくらべて、落ち着いた子だった。
人気キャラの文房具や玩具を持ってなくても、気にしてない感じの子だった。
食が細くてやせっぽちだったマユちゃんは、保育園の時から

口の悪い男子に筋肉マンのキャラである、キンコツマンとか呼ばれていたが、
全く気にしていないようだった。

話題も変わっていた。 未だに覚えているのは、彼女に聞いた、

子供が入る刑務所の話。
よく話す子だったが、はしゃぐのは見たことが無かった。
他の子と違う感じのマユちゃんをカッコイイと思っていたが、
彼女と話していると、年上の子に接するときのような、独特の緊張感があった。
なので、近くにいれば話す程度にしか仲良くなれなかった。
でも、小1の時、学童のクリスマスパーティーに誘ってみたら、

来てくれた時は、なんだかとても嬉しかった。
あるとき、給食で残したパンが、カビだらけになって机の中から見つかり、
マユちゃんは先生に怒られた。 それからしばらく、男子がそのことをネタに
からかっていたが、彼女は平然としていた。

時は流れ、私達は中学校に上がった。
マユちゃんとは、クラスが一緒になることは無かったが、
部活が同じになった。昔から知っているので、会えば話をした。
でも相変わらず、特別仲良し、というわけでは無かった。
そのころには、マユちゃんの細身体型は、芸能人のようなルックスにあこがれる
女子から、密かに羨望の的になっていた。
だが、それをねたむ派手グループの女子の中には、彼女に意地悪する者もいた。


可愛いと褒められる女子の多くが派手なグループに属し、
派手なグループでなくても、容姿に密かに自信がある者は、謙遜しつつ
流行の洋服や髪型などでそれをさりげなくアピールしていた。
多くの女子が、ダサさを最大の悪とし、制服の丈や学生鞄の太さに趣向を凝らし、
校則の目をかいくぐり、安い服でいかに可愛く見せるかに心血をそそぐなか、
マユちゃんは、規則どおりに制服を着て、私服は親が選んだと思しき服だった。
彼女は、コンクールで金賞を取ることにしか興味がないようだった。
朝、誰よりも早く朝練を開始し、放課後は居残りでアルトサックスを吹いていた。
だが、中2の夏、あと一歩のところで私達の学校は、金賞を逃した。
3年生が引退し、新部長を決めるとなったとき、
私の頭に浮かんだ候補は、一番熱心なマユちゃんだった。
ところが、彼女は部長どころか、パートリーダーさえ辞退した。
理由は、「来年は夏期講習でコンクールに出られないから」だった。
マユちゃんが熱心だったのは、同学年の子より1年早く
最後の夏を迎えるためだったのだ。


マユちゃんは、一足先に受験生になり、この中学でただ一人、

県内一の進学校に入り、周囲を驚かせた。


マユちゃんの進学が宣伝になったのか、彼女の塾に入る子が周りで続出した。
私も何となく、マユちゃんの塾に入った。学力レベルが違うから、
同じ教室になることはなかったが、高3の夏休み、塾の食堂で偶然再会した。
何を話したか覚えてないが、マユちゃんは変わってなかった。
ファミリア製と思しきスヌーピーのTシャツにジーンズ姿だったが、

違和感なく着こなしていた。 当時流行のアムラーファッションの子達より、

ずっと大人っぽく思えた。
マユちゃんとはそれっきり、会っていないが、風の噂で、某旧帝大に進み、

お医者さんになったと聞いた。 

マユちゃんは、自分が持っているカードの使い方を知っていたから、

周りに流されることもなく、人生を切り開いていったのだろう。

 

そんなカッコイイ幼馴染みに、今会えたとしたら、

このスヌーピーの名言を知っているか、聞いてみたいものだ。