考察材料と備忘録 -8ページ目

お知らせ2点

①前掲の

  • 『伏せておくには苦しくて』再掲&追考
  • several productions
にかなり加筆修正しております。
興味と時間のある方は、お手数ですが、またお読みいただけたらありがたいです。

https://ameblo.jp/chococastard/entry-12861796408.html
https://ameblo.jp/chococastard/entry-12862336563.html

②なお、程々にしておかないと、と二度ほど釘をされましたので、そろそろ、いくつかの記事については限定設定か非公開にするつもりです(かわりに、過去記事で限定設定でなくて良い内容については公開にします)。


わ◯ぼうさんの文章と『ファイト!』『C.A.W』と契約と

several productions

以下、wikiをお借りしてます(フォント変更はpuddingによる)。



元々は1950年代当時、いまだ差別や偏見の目で見られることもあった芸能人の待遇改善と地位向上を目的として、ジャズミュージシャンであった渡辺晋が妻の渡辺美佐・松下治夫・河合聡一郎らと共に芸能事務所の位置付けの改革を図ったのが始まりである。

それまでのマネージメントは、タレントに対して仕事先を見つけ、その出演料の一部を受け取るという形にとどまり、「一人のマネージャーがデビュー時から引退までタレントと一蓮托生の運命を歩む」と言われるような個人商店・徒弟制度的な体質であった。そのようなあり方を変え、一人のタレントに対し数人のマネージャーを付け、何年かで担当を交代させることで、芸能事務所の仕事を組織化し、あらゆる分野に精通した人脈や知識を蓄えた人材の育成を目指した。また『シャボン玉ホリデー』や『ザ・ヒットパレード』、クレージー映画シリーズなどを自社制作し所属タレントを出演させて、番組制作費や興行収入を得る仕組みを導入したほか、傘下に音楽出版会社(渡辺音楽出版)を設立しレコードの原盤権を保有するなど、現代における日本の芸能ビジネスのスタイルを作った。


(中略)


批判


若手タレントが売れると寝る間もないほど働かせ、負担を強いたにもかかわらず、給料は年功序列型の月給制であったため、人気の若手歌手よりも時にしか出番のないベテランタレントの給料の方が遥かに高かった(1975年頃の高額納税者番付で、当時人気だった沢田研二や森進一よりもピークが過ぎていたクレージーキャッツのメンバー達が上位にランクし、世間の話題に上った)。この理由は初期投資のプロモーション費用の回収や、駆け出しの売れないタレントへも月給を回さなければならないという事情もあったが、以上の理由で独立をもくろんだり実行に移すスターも多く、徹底してその妨害工作を図った。三人娘の一人である伊東ゆかりが独立すると各局に「ゆかりを出すなら渡辺プロのタレントは出演させない」と圧力をかけて干したり、独立を阻止するなどの行為に及んだ

(中略)

さらにナベプロでキャンディーズ等のマネージャーであった大里洋吉が路線対立により、アミューズを設立、サザンオールスターズが成功した事も相まって[1]、相対的に影響力が低下した[2]

円満に暖簾分け、の場合もあるが、弱体化に繋がる退所もあったようです(NBぷろを弱体化させるため外部から口出しして退所させた、の意)。

軍司貞則による批判


芸能の興行には暴力団との付き合いが必要で、山口組2代目組長の山口登と兄弟盃を交わした大物興行師の永田貞雄を擁して睨みを効かせ、ビジネスの暗部を肩代わりさせていたとしている[5]。


マスコミ関係者には酒と麻雀を通じた接待を行い、渡辺プロダクションに有利な記事を書く者には特ダネを提供したり、レコードのジャケットの解説執筆などの仕事を与えたりして普通より高い報酬を支払ったとしている[6]。テレビ局でも、渡辺プロダクションに好意的なスタッフにはテレビ番組の構成などの仕事を与えた他、顧問料や企画料などさまざまな名目で利益を供与したとしている[6]。一方、渡辺プロダクションに批判的なスタッフには圧力をかけて業界を去るように仕向けていたとしている[6]。






有能なマネージャーは暖簾分けのようにして独立させ事務所を設立させ、それらの事務所らと企業集団・バーニンググループを作り上げた[3]


過去のグループ企業


アミューズ - 周防が設立に関わり、大里洋吉と折半して出資していた。そのため、周防はバーニングのグループ企業という認識だった。そのため、アミューズに所属するサザンオールスターズの「いとしのエリー」までの著作権はバーニングパブリッシャーズが保有している[21]


こちらのマネ独立は意図的にグループを形成する目的・結果に。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E8%BE%BA%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC


2005年から、田辺エージェンシー、エリートジャパン(2015年6月、株式会社ネイムマネジメントに商号変更)、株式会社スマイルカンパニーの芸能・モデル・音楽3社による共同プロジェクト「TES COMPANY」を通じて、タレント、女優、アーティストの発掘、育成、マネジメントを手掛けた。TESとは、T(田辺エージェンシー)、E(エリートジャパン)、S(スマイルカンパニー)の略である。


沿革


1966年5月、田邊昭知(田辺昭知)をリーダーとするバンド「ザ・スパイダース」は、赤坂に在ったホリプロ(当時:ホリプロダクション)内の片隅を間借りする形で、「スパイダクション」を設立

1973年4月4日、「田辺エージェンシー」に改組。ホリプロより独立し、麻布台3丁目の飯倉三生マンションへ移転。


(中略)


現在の制作番組


日本放送協会 (NHK)

ブラタモリ


テレビ朝日系列

ミュージックステーション

ミュージックステーションスペシャルスーパーライブ

タモリステーション


フジテレビ系列

世にも奇妙な物語 春・秋の特別編


すmap解散前に移籍引受として名が上がったのは、T社がすまいるかんぱにーと絡んでいたからか…。すまいるかんぱにーは、ま◯ち担当で、ま◯ちと明菜の件で暗躍した人 の事務所。そういえば、♪Night Diverの春馬さんによく似たMV&振付のユニがJにいたような。この繋がり?

そして、先日の記事で触れたように、こちら、世にも奇妙な、の制作協力社。しかも、Mステまで。Mステは、事件翌週に春馬さんが出演予定でしたよね。Mステは進◯脚本家の妹が担当。ここでこのメンツがまた繋がるとは…な展開。





興味深いのは、「ザ・スパイダース」独立の際、田邊は楽曲の音楽出版権をホリプロに残す形で「仁義を切っている」ことだ。

B社がA社さざ◯初期の楽曲原盤権を持っているのも、これ↑?

仁義を切っている、のなら、綺麗さっぱり縁切、のはずが、そこでぐちゃぐちゃ言う御仁…その後の事件や政略結婚を経てなお因縁続く?



https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9D%89%E7%90%86%E5%AE%87%E9%80%A0


小杉理宇造(こすぎ りゅうぞう、本名同じ、1947年11月10日 - )は、日本の実業家、音楽プロデューサー。スマイルカンパニー元代表取締役社長。ジャニーズ事務所(現・SMILE-UP.)元顧問[1]、元ジャニーズ・エンタテイメント(現・ストームレーベルズ)代表取締役社長。 


(中略)

1975年4月 - RVC(のちのBMG JAPAN)入社後は近藤真彦を担当。この際にジャニーズ事務所からの信頼を得てその後、ジャニーズ事務所子会社入社。





川村龍夫が田辺エージェンシーから暖簾分けで独立して1993年12月に設立した。川村はその後も、田辺エージェンシーの副社長として籍を置いている。現在の社長・松田英夫は堺正章の元マネージャーである。

すmapが退所後タラシイツノドで3日間てれび…その際まち◯あきが出てきたのは、ここが新しい後ろ盾ですよ、の挨拶&お披露目の意味と読みました。こわいとこが後ろ盾になった(Jを敵に回しても大丈夫なとこ)とも。燃える事務所の別働隊、との書込があった事務所&幹部。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E6%9D%91%E9%BE%8D%E5%A4%AB


川村 龍夫(かわむら たつお、1941年〈昭和16年〉1月20日 - )は、日本の芸能プロモーター。ケイダッシュ代表取締役会長、田辺エージェンシー代表取締役副社長。


東京都出身。立教大学卒業。


プロフィール

編集

私立市川高等学校時代は、後にバーニンググループの総帥となる周防郁雄や、歌手・俳優の鹿内孝と同級生で、1学年上に作家の百瀬博教がいた。

立教大学在学中、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの前身である「鹿内タカシとブルー・コメッツ」を結成してデビューしていた鹿内から芸能界に誘われ、鹿内のマネージャーを務める。その後鹿内はソロ歌手として渡辺プロに入り、川村はブルー・コメッツの所属事務所・大橋プロダクション(渡辺プロと業務提携)に入社し、ブルー・コメッツのマネージャーとなった。

その後田辺エージェンシーに転職し、後に周防が設立したバーニングプロダクションの取締役も務めるようになった。

1993年、田辺エージェンシーからの暖簾分けでケイダッシュを設立してからは、田辺とバーニングという2社の力を背景とし、両社と肩を並べる大手事務所に成長させた。


立教大といえばどこかの会長と同窓。この事務所の幹部が、事務所を越えてS防の鉄砲玉、後継者とされるT氏。

沿革から、TSKが個人的にも事務所的にもガッチリなのは分かるし、Jも外周で噛んでるし。みんな結局ひとつながり? 

で、春馬さん絡みでは、TとKが前に出て、Sが影に隠れているような? でも、こんだけ絡み合ってガッチリで、無関係ってことはなかろうに?と思ってしまう。