中の人の契約歴
新ろ◯らの1人について。
wikiより、名前部分を()表記。
年数や項目や順番等に注目して読んでほしい
(過去記事で言及した元JニーズのT川J氏の契約事情も合わせて考えてみてほしい)。
2014年12月28日、『(ローマ字表記) LIVE TOUR 2014 〜6th ANNIVERSARY LIVE〜』のラストである渋谷公演にて、(個人フルネーム)としての活動の無期限休止、また2015年3月20日より(ユニ名)の(下の名ローマ字表記)として活動をスタートさせることを発表。
2016年N◯K連続テレビ小説『』にI佐E輔役として出演。出演が終了すると、「E輔ロス」との声もあがった。[6]
2020年3月31日、(ユニ名)解散[7]。
2020年4月、所属レーベルであった株式会社(企業名)とは契約満了となり、所属事務所の有限会社(同)からは独立。新たな公式ファンクラブサイトをOPENさせた。[8][9]
2020年10月、アーティストネーム「(下の名ローマ字表記)」として音楽活動再開を発表[10]。11月に1stシングル「(タイトル名)」をリリース。[11][12]
2022年3月1日、自身の個人事務所「()」立ち上げ[13]
2023年8月24日、大手芸能事務所の()に所属したことを発表[14]。
2014年末 個人活動無期限休止
2015年3月 grp活動(〜2020年3月)
2020年4月 所属レーベルとは契約満了
所属事務所からは独立
新たな公式ファンクラブサイトをOPEN
2020年秋 アーティストネーム(権利関係?改名)
&音楽活動(1st シングルリリース)
2022年3月 個人事務所立ち上げ
2023年8月 大手芸能事務所に所属したことを発表
…この人は、当初3月4月に契約切替。で、
事務所独立、ファンクラブサイト立ち上げ
↓
事務所独立半年後に別名で別活動開始(権利関係で従来のままは無理なのかな?)
↓
事務所独立2年後に個人事務所立上
↓
事務所独立3年数ヶ月後(個人事務所設立1年後)に大手所属発表
…と。
我々の転職と違って、すぐ次に所属して活動開始ってわけではなさそうですね。
名前かえたり畑違いにしたり
(辞める際に「◯年◯活動しない」等念書かわす)。
代役ろ◯らは、
1999年 芸能活動開始
2004年10月 事務所若手俳優集団の活動
2008年7月 事務所若手俳優集団を卒業
2011年4月 ドラマ初主演、同年5月アーティスト名でCDデビュー
2015年 ドラマ監督デビュー
2018年10月 ミュージカルアルバム発売、歌手活動再開発表
2019年1月 音楽ユニット結成
2020年9月に"円満"退所(=専属契約終了)(だが、その大手事務所は「引き続き今後もサポートして参ります」と公式リリース)(某所(と)の活動も多し)。
3年後くらいに新ろ◯らみたいに別大手(って某所)に所属発表したりして?
または、実は(表に出してないだけで)既に某所がサポートしてたりして?
春馬さんはどうだったんだろう?
7月更新と言われるが。
個人事務所(節税目的?)は2011年?に設立
2014年7月 オフィシャルファンサイト終了
2019年8月 音楽活動、歌手デビュー
(アーティストとしては某所系列会社契約)
2020年7月 某所とは(マネジメント?専属?)契約満了(本人は非更新? 事後本人以外で遡及or新契約?)
無傷と致命傷
令和元年の記事ですが
https://www.jprime.jp/articles/-/15940?display=b
旧来的な家族の関係性において重要な存在が、「厳格な父親」だ。プロダクションにも確かに存在した。芸能史をひもとくと、1970年代前半までは、渡NBプ◯の1強時代だった。渡NBS社長とms夫人が◯レ◯ジ◯キ◯ッ◯、ザ・ド◯フ◯ーズからザ・タ◯ガ◯ス、a地m理、Cャ◯デ◯ーズまでオールジャンルにタレントを育てあげ、「NBプロにあらざれば、人にあらず」という言葉があったほどだ。
1970年代後半にNBプロの勢いが下り坂になったタイミングで、勢力を広げていったのが、Hリプ◯、Bーニ◯グ◯ロ、◯ス◯ー、Jャ◯ーズなど、現在の大手プロダクションだ。Y本K業も1980年ごろの漫才ブームとともに東京進出を本格化させる。
この数年で、この↑ラインナップで、
無傷なの(何も失わず叩かれず晒されず)は1社だけ
「タレントが自分の番組やSNSで社長や会社を批判するなんて他の事務所じゃ考えられませんよ。そこはお笑いプロならではの“風通しの良さ”。他の事務所でそんなことはできる雰囲気ではないし、やったら修復できない確執が残るはず」
何かやった(か)ら修復できない確執が残ったのか…?
泥を塗ったとか、え◯べに行けとか、言われたり、
冷遇されたりするような?
参考にしたく拝借
↓https://ameblo.jp/kablogkun/entry-12472996469.html
①エミー賞18冠②ビジュ解禁…のニュースに思う
おめでとうございます&素晴らしい…
日本のテレビ(地上波)で時代劇が追いやられてしまい、時代劇を担える若手の筆頭、至宝、春馬さんの不在…という状況下で、一筋の光、って感じです。
「これまで時代劇を継承して、支えてきてくださった、全ての方々、そして監督や諸先生方に心より御礼を申し上げます。あなたがたから受け継いだ情熱と夢は、海を渡り、国境を越えました!」 日本の時代劇を作り続けてきた“先人”へのリスペクトを示した。
このスピーチも素晴らしい。
春馬さん同様、精神性の(技術や目標等も)高い俳優さんはいらっしゃる…
この日本人俳優の快挙に、ともに演劇界を担ってきた中井貴一ら俳優仲間からもメッセージが送られている。
真田の“海外活動”を懸念した友人
「真田さんがこだわり続けたのは、正しい日本文化を諸外国に伝えること。この受賞は日本の時代劇にとっても日本の文化にとっても大きな1歩。でも、勝負はまだまだここから。戦い続けましょう」
過去に発信されてきたヘンテコ日本の残像が払拭されることは大切だし必要。
正しい日本文化を諸外国に伝える…春馬さんもそのために学んでましたよね。努力してました。
真っ当なことなのに、それを良しとしない勢力や流れ(あってはならない流れ)があった…
非英語作品として初の『エミー賞』受賞作だけに、全編の7割が日本語によって物語が進められる『SHOGUN 将軍』。日本人が不得意とする部分を逆手にとった、あえての日本語によるチャレンジが功を奏した格好だ。
「本作は東洋と西洋が出会う夢のような、そしてとても難しいプロジェクトでしたが、私たちは一致団結してミラクルを起こすことができました。私たちはより良い未来を作ることができます。私を信じてくれて本当にありがとう」 授賞式では、英語スピーチで「ミラクル」と語った真田だが、あきらめずに無骨にチャレンジし続けた、サムライ精神が「国境を越えた」作品を作り上げたのだろう。
評価したのが日本でなくアメリカってことに、危機感と希望と。
米テレビ界のアカデミー賞と言われる最高の栄誉「第76回エミー賞」の授賞式が15日(日本時間16日)、ロサンゼルスで行われ、真田広之(63)が主演・プロデュースした「SHOGUN 将軍」(日本ではディズニープラスで配信)がドラマシリーズ部門の作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞の主要部門を独占した。真田は日本人として初めて主演男優賞を受賞。今月8日に発表された技術・制作部門を合わせ史上最多の18冠という歴史的快挙を達成した。
真田が米国に拠点を移して20年がたつ。2003年に公開されたトム・クルーズ主演の映画「ラストサムライ」への参加がきっかけだったが、日本を飛び出して飛躍を誓った真田の努力が見事に花を咲かせた。 行ったり来たりしながら仕事を続けるやり方もあったはずだが、真田が選択したのは、じっくりと腰を落ち着けて実力を養うことだった。「たまに日本に戻って仕事をしなくちゃ忘れられちゃうよ」と忠告する人間もいたが、そこはかたくなだった。
ここで気になるのは、行ったり来たりして日本の仕事を続けるやり方でなく、日本を飛び出してじっくりと腰を落ち着けて…の部分。本人がかたくなだったんじゃなく、誰かの意向で日本での活動を制限されたのでは?と。
別の国際派の方(々)入ったり来たり、忘れられないように、が叶ってるのは、誰かの意向に沿ってる(ということは、ということである)から許されてるのでは…
ストイックな仕事への取り組み方にハリウッドも一目置くようになり、やがて信頼度が高まっていく。意見が通りやすくなるのは必然だった。日本文化が描かれる際は真田の主張が取り入れられ、不自然な描写が消えた。
真田さんが海外に拠点を移したのが20年前。
日本のテレビ界・芸能界が面白くなくなった、変になったと言われるのが、春馬さん事件の10年くらい前から。宇津井健さんが亡くなって歯止めが効かなくなった界隈があると読んだ覚えが。
NBぷろがもう少し(10年)持ちこたえて、あの某事務所某氏が力をつけるのがもう少し(10年)遅ければ…と言う人もいるけど、
界隈がおかしくなる前に脱出できた真田さんの快挙を目の当たりにすると、ガッツリ悪い波に巻き込まれてしまった春馬さん…もう少し早く生まれていたら、事件頃の状況よりはマシな世界で、脱出できてたのかなと思ってしまう。
さて。日本初演(特にローラ)が最上級・不世出すぎる、あの作品の2025年版のビジュ解禁。
何でまた18日に、と思ったけど、
月命日でなく、
某氏の関与(それもconquest系)を意味してないか?と疑問が…
9/22㈰追加、記事拝借