考察材料と備忘録 -224ページ目

2006年に

こんな書込がありました

(一部表記変更はpuddingによる)。


489 ::2008/06/17(火) 22:34:44


23 ::2006/06/27(火) 21:26:03


D2通が各テレビ局にドラマ制作についてこんな注文をつけています。


☆恋愛ドラマは基本的に作るな。

☆主人公の家は基本的にボロい家にしろ。

☆女を中心としたドラマ構成にし、男は脇役、お笑い役に徹しろ。

☆オヤジギャグ連発、情けない男を盛り込む変なドラマ作りにしろ。

☆D2が力を入れる純愛ドラマには必ず ◯国歌手、◯国スターを利用しろ。

☆基本的に日本製ドラマは変な男が出るくだらないドラマ作りにてっしろ。


D2が日本ドラマ潰しに本腰を入れてきました。

変なドラマを沢山作る事によって、アジアにおける日本ドラマのマイナスイメージ、

◯国ドラマのイメージアップがかれらzai日の最終目標である。

D2による日本ドラマ = くだらない。◯国ドラマ、 映画 = 真面目な純愛。

◯国ドラマ、 映画といえばロマンチックな純愛物と言う、 D2のイメージ戦略に騙されないように。

中◯根元首相が昨年 「 ◯国、 zai日は日本を侵略しようとしている 」発言を忘れないように。

右翼紙が去年から◯国批判をしなくなった事を忘れないように。

zai日は日◯友好など一切考えず、いかにして日本を侵略しようかと言う事しか考えていない事を忘れないように。


2006年の段階で、既にこんな"注文"があったとは。

春馬さん16歳の頃…

それでもその後すぐに日本ドラマがダメになったわけではなく、

春馬さんの出演作品でいえば『14才の母』が2006年、

『ラスト♡シンデレラ』は2013年だ。


売れっ子は2〜3年先のスケジュールまで埋まってる、なんて話からすると、2006年の段階で"注文"が出ても、反映されるのは2008〜2009年以降、ってことか。


テレビが面白くなくなった、と言われ始めたのが、春馬さん事件から遡ること10年(2010年)…


ドラマとは違うけど


T岡蒼Sさんの発言が騒がれたのが2006年、2011年。

スケートが2010〜2014年。


宇津井健さんがお亡くなりになったのが2014.3.14。

笑っていいとも!最終回が2014.3.31。


日◯友好に関する素晴らしいスピーチを春馬さんが行ったのが2019.8.28(現地では大絶賛、こちらのネット(ということは、ということ)では猛反発)。


ドラマに話を戻すと、

春馬さんの役どころや作品にちょいちょいおかしいとこが混ざってくるのも…時期は合うか…


某所(だけ)の冷遇や嫌がらせ、ということでもないのか…

②「僕の人間性を全否定する出来事」を『ふれる』の言葉から考える

数々の功績を忘れない、のツイ(x)デモがあったばかりですが、功績、といえば、名作『ふれる』もそのひとつ。


芸no界芸no人の中にあって、春馬さんは自分の言葉で語れる(それが使える内容である)稀有な人だったようですが、23歳24歳でこれだけの深い思考が哲学が、自身の中から湧き上がり統合されていることに感嘆する… 


2018年12月23日に《僕はまだ浅い思想しか持ち合わせていないと思う》なんて呟いておられますが、とんでもない!! 呟き当時28歳、それより4〜5年前に、人生何周目?な域に達していた。


真剣に生き、本気で戦う人しか到達し得ない境地。

そこから更に高みを目指そうと努力していた人。


以下『ふれる』と私見を交互に。

1記事では終わらないかも。


そして年が明けて2014年になり、さまざまな大きな役をやっていくなかで僕は悩み、葛藤していました。

今思うと、その始まりは些細な違和感でした。

「その始まり」…何かはあった。

自分の預かり知らぬ(自分の一存で始めたわけではない)、でも影響を及ぼす何か、が存在すること。


漠然と何かがおかしいと感じたのだけど、その原因を追求することもできず、ただ目の前の出来事に必死になっていました。その違和感が自分の中でだんだん大きくなっていくのも、見て見ぬふりをしてしまったのです。そして気がついたら、身動き取れなくなってしまっている自分がいました。

「違和感」「何かおかしい(おかしい何か)」は

ずっと続いていた「何か」。

見て見ぬふりをして「目の前の出来事(作品や仕事のこと?)」に必死になっていたら「身動き取れなくなってしまってい」た。


…7年前「プライベートでトラブルが起きた」と大叔父に相談。事務所の顧問弁護士に相談するよう助言あり。3〜4年前にもやはり「トラブルを抱えている」に繋がる…?


このままじゃいけないということを僕自身が誰よりもわかっていたのに、気づかないふりをしたツケが回ってきたのかもしれません

そこから這い上がるまでの道のりは、思いのほか長く、どこへ進んだらよいのかわからなくなることもありました。(後略)

気付いても取り組まなかった(取り組めなかった)だけで、冷静に客観的に問題(の存在)をとらえているな、と。


何のことか明言しないのは、できない内容だから?


ツケ、這い上がるまでの道のりは思いのほか長く、という表現が出てくる段階で、既に、問題を認識し、落ち、それでも、そのツケを自分が何とかするしかないと思っているような?

非血族の借金のことは知っていたようなので、それ以外の…?


再び歩き出せるようになるまで、

ずいぶん時間がかかってしまったし、

すべてが解決したわけではないけれども

今は不思議なくらい

とても冷静で穏やかな気持ちでいます。

(後略)

「再び歩き出せるようになるまで随時時間が

かかってしまった」「すべてが解決したわけではない」けれども「冷静で穏やかな気持ちでい」たのなら、それなりに手立てや解決策を講じ、奏功(見通し)しかけていたのかな。


当時の春馬さんは、事務所イチオシどころか業界イチオシくらいの勢いや評価、活躍ぶり。でもプライベートで(事務所の弁護士に相談するのが筋、系)トラブル。

 

活躍すればするほど問題がつきまとい、その手立てをしたら、勢いや評価や活躍が悪くなる… 


詳細は記されず。


23歳から24歳にかけての三浦春馬というひとりの俳優、ひとりの人間の通過点として、読んでいただけたら嬉しいです。

通過点、なのだから、そこに留まったままでも落ちたままでもない。


その後の心境の変化は記される。


役者である前にひとりの人間として人生を大切にしたい


そのうえで今は、俳優としてというより、ひとりの人間として生きる術、哲学を学びたいというふうに考え方がかわってきています。こうした変化が生まれたのは、2014年に経験した一連の出来事も大きく影響していると思います。俳優として悩み、自分が進む道を見失いそうになる、もがいた一年でした。


いい役者になる以前にやるべきことは、いい人間になること。

"いい人間"というのは、自分で模索していくしかないけれども、そうすることで自分の生き方にもっと自信が持てるようになるだろうし、それが俳優としての大きな強みにもなると信じています。


これまで武器を持つことにずっとこだわっていたけれども、一番大切なのは「どう生きるか」という武器であることに、ようやく気づくことができたのです。

「役者として」「俳優として」「いい役者に」より「ひとりの人間として」「いい人間に」「自分の生き方に自信が持てるように」「どう生きるか」だと。


俳優として悩み、進む道を見失いそうになり、もがいた一年を、自身を、転換させる気づきが、「俳優三浦春馬」を強くする(武器を持つ)ことでなく、

「個人三浦春馬」がどう生きるか、だと。


ここに、俳優三浦春馬の否定と、再構築があったのかな、と見る。

芸NO界にあっての俳優、俳優としての自分、は、価値観が一変するほどの、それまで自認していた存在意義が崩れ去るほどの、現実を突きつけられたのでは? 

これまた名作である『僕のいた時間』『わたしを離さないで』さながらの、限られた時間の生きる目的を探らなければ正気を保てないほどの何かを。

そこから立ち直ろうと模索し、実際這い上がり再び歩き出すのだから、健全健康建設的、と形容するしかないくらいの、強さ前向きさ。そして、それを実践するひたむきさ…


これからも迷ったり悩んだり、過去を悔やむこともあるだろうけど急がずにその都度立ち止まって考えればいい。役者である前に、ひとりの人間として人生を大切にしたい。そして楽しい人生を送れることに日々感謝して生きていきたいそうすれば、役者として歩むべき道も自ずと見えてくる気がしています。

ここまでプロセスも方法も自分のものにしている人、未来を見ている人…


彼自身が最高傑作で、彼の存在自体が功績。




『ふれる』繋がりで

「体」=「殻(=外側)」+「だ(=中身)」

歌つなぎの『からっぽ』歌唱は、

もしかしたら、ここ、これを言いたい…?


『僕のいた時間』の最終話のスピーチのように

生きる意味を模索し、

魂や志や自分自身が残り続け生き続ける…






中の人の契約歴

新ろ◯らの1人について。

wikiより、名前部分を()表記。


年数や項目や順番等に注目して読んでほしい

(過去記事で言及した元JニーズのT川J氏の契約事情も合わせて考えてみてほしい)。


2014年12月28日、『(ローマ字表記) LIVE TOUR 2014 〜6th ANNIVERSARY LIVE〜』のラストである渋谷公演にて、(個人フルネーム)としての活動の無期限休止、また2015年3月20日より(ユニ名)の(下の名ローマ字表記)として活動をスタートさせることを発表。

2016年N◯K連続テレビ小説『』にI佐E輔役として出演。出演が終了すると、「E輔ロス」との声もあがった。[6]

2020年3月31日、(ユニ名)解散[7]

2020年4月、所属レーベルであった株式会社(企業名)とは契約満了となり、所属事務所の有限会社(同)からは独立。新たな公式ファンクラブサイトをOPENさせた。[8][9]

2020年10月、アーティストネーム「(下の名ローマ字表記)」として音楽活動再開を発表[10]。11月に1stシングル「(タイトル名)」をリリース。[11][12]

2022年3月1日、自身の個人事務所「()」立ち上げ[13]

2023年8月24日、大手芸能事務所の()に所属したことを発表[14]

2014年末      個人活動無期限休止

2015年3月    grp活動(〜2020年3月)

2020年4月 所属レーベルとは契約満了

      所属事務所からは独立

      新たな公式ファンクラブサイトをOPEN

2020年秋 アーティストネーム(権利関係?改名)

     &音楽活動(1st シングルリリース)

2022年3月 個人事務所立ち上げ

2023年8月 大手芸能事務所に所属したことを発表



…この人は、当初3月4月に契約切替。で、

事務所独立、ファンクラブサイト立ち上げ

事務所独立半年後に別名で別活動開始(権利関係で従来のままは無理なのかな?)

事務所独立2年後に個人事務所立上

事務所独立3年数ヶ月後(個人事務所設立1年後)に大手所属発表


…と。


我々の転職と違って、すぐ次に所属して活動開始ってわけではなさそうですね。

名前かえたり畑違いにしたり

(辞める際に「◯年◯活動しない」等念書かわす)。



代役ろ◯らは、

1999年 芸能活動開始

2004年10月 事務所若手俳優集団の活動

2008年7月  事務所若手俳優集団を卒業

2011年4月 ドラマ初主演、同年5月アーティスト名でCDデビュー

2015年   ドラマ監督デビュー

2018年10月 ミュージカルアルバム発売、歌手活動再開発表

2019年1月 音楽ユニット結成

2020年9月に"円満"退所(=専属契約終了)(だが、その大手事務所は「引き続き今後もサポートして参ります」と公式リリース)(某所(と)の活動も多し)。

3年後くらいに新ろ◯らみたいに別大手(って某所)に所属発表したりして?

または、実は(表に出してないだけで)既に某所がサポートしてたりして?




春馬さんはどうだったんだろう?


7月更新と言われるが。


個人事務所(節税目的?)は2011年?に設立

2014年7月 オフィシャルファンサイト終了

2019年8月 音楽活動、歌手デビュー

    (アーティストとしては某所系列会社契約)

2020年7月 某所とは(マネジメント?専属?)契約満了(本人は非更新? 事後本人以外で遡及or新契約?)