考察材料と備忘録 -218ページ目

子役時代の作品の制作繋がり

①「僕の人間性を全否定する出来事」

難しいことに「"人間性"を否定する"出来事"」なんですよね。

人間性を否定した"人" や "言葉" でなく…。

"人間性" は "人格" や "人生" と置き換えられるだろうか?

分からぬまま、考えてみる。


https://www.j-cast.com/tv/2020/07/30391200.html?p=all#goog_rewarded

2020.07.30 20:09付

週刊B春と週刊S潮が闇の核心に迫る

「そこ(自室に残された三浦の日記=筆者注)には『死にたいと考えた』『どう死ぬべきか』といった自身の死についての考え方が長々と綴られており、遺書というべき内容です。これを読めば彼がいかに思い詰めていたかが、よく理解できます」》


とありますが、これ…


『ふれる』と『太陽の子』で春馬さんが述べたことの逆版ですね?


『ふれる』(2013年夏〜2年半)では

いい役者になる以前にやるべきことは、いい人間になること


“いい人間”というのは、自分で模索していくしかないけれども、そうすることで自分の生き方にもっと自が持てるようになるだろうし、それが俳優としての大きな強みにもなると信じています。これまで武器を持つことにずっとこだわっていたけれども、一番大切なのは「どう生きるか」という武器であることに、ようやく気づくことができたのです。


これからも迷ったり悩んだり、過去を悔やむこともあるだろうけど、急がずにその都度立ち止まって考えればいい。役者である前に、ひとりの人間として人生を大切にしたい。そして楽しい人生を送れることに、日々感謝して生きていきたい。そうすれば、役者として歩むべき道も自ずと見えてくる気がしています。

と書いています。

その頃からそのように意識して生きてい(るように見受けられ)ます。


  • いい役者になる以前にいい人間になること
  • 一番大切なのは「どう生きるか」
  • ひとりの人間として人生を大切に
  • 楽しい人生を送れることに日々感謝して生きていきたい


春馬さん、より良く生きることばかり、言ってます。

いい人間に。

いかに生きるか。どう生きるか。

人生を大切に。

だから自分にも人にも敬意がある。

万物全方向に意識が向く。

だから気高く誇り高く美しい。


『ふれる』から『太陽の子』までに、

命や生死や自分らしく生きることを強く意識する作品

『わた離』+『キンキーブーツ』2回


『太陽の子』でも

https://bunshun.jp/articles/-/39691?page=4

広島の記者会見で三浦春馬は「今、僕たちはいろんなことで、人生を諦めたいと思う瞬間もある。けど、その空しく生きた一日が、当時あれほど生きたいと思っていた一日。一日は変わらないじゃないですか。そんなことを胸に、生きていきたい」と語っている。

これが、2020年7月8日の発言。




https://bunshun.jp/articles/-/39691?page=5

「想像力を届けることが、今後、あってはならない大きな流れを始めさせないきっかけになるんじゃないかなと思う」

今後、あってはならない大きな流れ…

"あってはならない"のは

戦争だけじゃ、ないですよね?

芸能界だけでも変な動きがありましたよ?


https://realsound.jp/movie/2020/08/post-602284.html

「まったく戦争を経験したことのない僕たちがイマジネーションを働かせて、文献をもとにいろんなスタッフ、研究者の協力を得てひとつの台本を作っているわけで。その台本を使い、大きな想像力をお客様に届けていくということが、今後“あってはならない大きな流れをはじめさせないきっかけ”になるんじゃないかということを信じていきたいし、僕もそんな働きの一部になれたらいいなと思いました」

『太陽の子』に絡めての発言も

「生きていきたい」

「今後"あってはならない大きな流れを始めさせないきっかけ"になると信じて、僕もそんな働きの一部になれたら」と。


「想像力を届け」

「あってはならない大きな流れをはじめさせないきっかけに」

「僕もそんな働きの一部になれたら」

これまた生きる気、生きたい気、生きてやりたいこと、の話です。



ライターは記事内で

「死にたいと考えた」「どう死ぬべきか」といった自身の死についての考え方が長々と綴られており、遺書というべき内容です

なんて書いてますが、上記の流れから

日記なら、むしろ「生きたいと考えた」「どう生きるべきか」といった、自身のについての考え方が長々綴られていたのでは?


日記でも遺書でも、我々を納得させられる内容であればあるほど、どこかには不都合だろうから、絶対

公開できないし、

だからこそ、いち早く、希死念慮〜ジのイメージ付けが必要だったのでは…?


最初の記事に戻ります。

三浦は2018年にイギリスへ短期留学をするが、その前後から、自身の生き方に疑問を持ち始めたそうだ。そして彼に"事件"が起こる。「僕の人間性を全否定するような出来事があり、たちまち鬱状態に陥り、自暴自棄になった」そうだ。人間性を全否定とは何を指すのか

イギリス短期留学は2018年ではなく2017年。

単純に間違えただけなのか、誤誘導のため(わざと)なのか、分からないけど。


自分の生き方に疑問

+僕の人間性を全否定するような出来事


とは、

黒い大人が敷いたレールの上を走らされている(だけの、コマ扱いの)自分、自分の意に反して契約更新、


みたいなことなんじゃないか(役者ノートや作品の設定セリフからの言葉、もあるのでしょうが、「僕の人間性を全否定するような出来事」はあった)と私は考えます。


『ふれる』の「始まりは些細な違和感」にも繋がること。


自分の実力や人柄だけで表に出られない金コネ忖度の世界で、なぜ自分は、大きな役が付き、最前線で活躍し続けられるのか。


自分たちの意に反するレールの上を走らされ、一生自分で外せない鎖を付けられているから?と気付いたか、知らされたか。


それで一過性の鬱状態になり、


でも。いい役者、いい人間になる。

命の限り、生を、人生を、日々を大切にし

感謝して生きよう


と考えるに至り、


だから顔つきも、人間関係や生き方在り方過ごし方も

ガラッと変わり、より進化した三浦春馬になったのではないか? より深く人生や未来を考え、努力し始めたのではないか? 有限だからこそ…


『わた離』さながらに、


《この命は、誰かのために。

この心は、わたしのために。》


『僕のいた時間』さながらに、


《(この先全ての目標を奪われたとしても)

僕が目標に向かって生きた、という事実も奪われないのです。


僕が僕であり続けるにはどうしたら良いのか


そうなったときに僕を支えてくれるのは

これまで生きた時間

僕のいた時間、なんじゃないか


いつかその時がきたときのために

今を全力で生きたいと思います》


近いうちに、続きを書きます。













B春(なぜ書かない(書けない)か)