ありふれた日常 | choco'sRoom嵐&大野智*天然部活動日誌page3*


日曜日の一報があってから、今までの時間本当にたくさんたくさん考えて、考えたくなくても頭を離れない。

いつもはバカな話をしている友達ともカビが生えそうなくらいジメジメした気持ちの交換。
不思議なもので、ダーツの的の真ん中が自分だとして。
自分を囲うように丸が並んでいくわけだけど、一番近い丸にいた友達とは気持ちもすごく近くて不思議だなーって思いました。
普段話す言葉や、ふとした時に感じた気持ち、これまで一緒に過ごしてきた時間の中で自分に近い感覚の人と過ごしてきたのかなって思うと、いつも近くにいた意味も見つけられたような気がしました。




すべての事は憶測や想像で語るべきことではなくて、さらに言えば自分の物差しで測って語るのもナンセンスなんじゃないかと思い始めました。

大野さんはこう思っていたんではなかろうか。

そんなの彼にしか分からない。

メンバーはこう思っていたんではなかろうか。

そんなの彼らにしかわからない。




どこかで「大野さんはこれまでも十分に自由にしてきていただろうに」と話す言葉をいくつか見つけました。

どうしてそう思ったんだろう。
それは一度嵐の大野智にならなくては分からなくない??
趣味を謳歌していたことが自由なのかな?
じゃあどのメンバーも時間を割いて、友人と飲み歩くも、家でゲームすることも、自由に仕事をやってきたと言えるのかな。

智くんは過程を隠したがる人なので、彼が話す言葉がすべての彼の時間だと思うべきでもないのでは、、と私は思う。
それは智くんをかばいたいと思う気持ちというよりは、自身の考え方の問題。


フルタイム仕事をしている独身女性は専業主婦を「時間が有り余ってる」と思う。
子沢山の女性はひとりっ子の母を「楽でいいわね」と思う。

こういう思考回路に繋がる気がします。
なってみなくては分からない。
当事者にならないと分からないことを自分の物差しで話しているのを見ると、頭を抱える感じでした。


苦言はさておき。



そういう意味では私は失態をおかしました。
昨日も潤担のお友達とのラインの中で、少し前向きに頑張ろうねという流れの中で、私はそれでも智くんを見れなくなる怖さがあるからまだグズグズするかもしれない、と言ってしまいました。
送ったあと、彼女がまだラインを見てないのをいい事に補足の言葉を追加したわけですが。

心のどこかで、智くんはいなくなるけど他の4人はいるじゃないか、と。
思ってるんだと思う。

私の推しはこの世界から離れたい、つまりファンの想いをわかった上で離れたいと判断し。
残りの4人はこの世界で頑張り、彼の帰りを待つと決めた。

言葉にしにくいけど、、やはりファンとして智くんの活動の原動力になりきれなかった無念感。
そして、他のメンバーの4人への羨ましさが私にはあったんだと思う。
そして、嵐という活動はしないとは言え、20年末以降もテレビや舞台や劇場や、、活躍が見られることへの羨ましさ。
そんな気持ちがあるんじゃないかと、潤担の友達に送ったラインのあとにハッとしました。

違う違う。
個人活動があるとはいえ、嵐の活動がないことへの喪失感。
大好きな嵐の歌に、パフォーマンス。
私達にとってはそれこそ宝物だった。
一緒に智くんの帰りを待ってくれる同志なのに、とこれまた自己嫌悪。

嫌な言い方してたらごめんねって気持ちでモヤモヤしました。

でも彼女は全てわかってるから大丈夫。と心広くて、、嬉しかった。
潤くんもレギュラーないしどうなるかなーと思ってるんよって聞いて、これまたハッとした。
そうだった。。
(じゃあ個レギュラーのある翔葉宮がいいのかというとそれもまた誤解ですぞ)
それぞれに思いを抱えてるのに私ったら、、と思った瞬間でした。
 もっともっと私も視野を広げてしていかなくちゃ。
私の記事でそんなふうに感じてしまってた方いたらごめんね。








そして今回の決断を「嵐の決めたことなら当たり前に受け入れる」と、グズらずにおられる方も沢山いるんだーということも知りました。

なにをおっしゃる、それは私もそうなのですよー。゚゚(´□`。)°゚。
でもニノ氏も言っていたように、ふたつ返事で「はい、そうですか。わかりました🙆🏼‍♀️」と受け入れられる事項ではなかったと、そういうことです。

そんな馬鹿な、受け入れられるかー!と暴れたいわけではないのです。
 

嵐の決断をいつも私も支持しているし、おかしくない?とは思ったことない。
いつも最善な決断をしている。
(と、ゴコイチの私は思っています。智くんのソロ活動を熱望しているチームの方はそうではないようですが、それは私のブログでは知らん)


メソメソウジウジするのも、嵐の決断についていきたい一心でこそなのです。



そしてメソメソウジウジ不安にかられているのは、嵐が休止をするから、智くんが表舞台からおりるから。
もちろんそれはあるのだけど。

私達の手からふわりと消えていくのは、当たり前のように週に2回は見ていたルーティンでもある嵐の番組がなくなる日常

そろそろ新譜が出てもいい頃だよねーって待っていた日常

メンバードラマのタイアップは嵐の楽曲だと思いこんでいる日常

毎年の秋冬コンサートが当たり前になっていたけど、それを待たなくなる日常

当たり前のように嵐と共に過ごしていた日常がプッツリとなくなる日常がくることに不安なのかもしれない。
友達とも、、会話が減るんじゃないかな。とか。

過去の録画や音源を聞けばいいのだけど、それは今ある日常とはやはり違う生活。

その新生活への不安も大きいな、と私は思っています。
当たり前のようにあった日常が無くなったとき、木曜日と土曜がくるたびに胸がギュッとなる。
そんな日々が2年後に待っていて、それに向かって歩き始めていることに不安で、一度時間を止めたくなるんだと思いました。


引っ越したら不安だもんね。
職場を変えても不安。
でも行ったことのないところへ遊びに行くのは楽しみなわけで。
1番不安なのは日常が変わることなのかもしれないです。



もちろん嵐の活動がなくなること、智くんが表舞台からいなくなることも絶望だけど。
それは、、待ってれば戻ってくるんだもんね?(´˘`*)
待ってますよ、当たり前よ(TT)



やっと、そんな自分の不安感なんかにも向かい合ったりしています。。



まだ嵐の音楽は聴けていないのです。
だって何を聴いても泣けるんだもの。笑

2/1のMステは「君のうた」を歌うんだって。
歌詞を思い起こすだけで、泣ける。

「君のうたは私のうた」って記事を少し前に書きました。
あの歌はどんな背景にも重なる曲。
なぜか恐ろしいほどに今の気持ちにも重なる。
魔法のような曲です。

苦しくなるのわかってるから見たくないくらいです。。
見るけど😭




いつでも嵐は私に元気と笑顔をくれる存在。
次の楽しみを与え続けてくれた日々のなかで、一度立ち止まることも、のちに振り返るとあれはすごく大事な時間だったねといえるくらいの未来が待っていますように。

例えば私が嵐を離れても、10年以上応援した時間は重くて眩しくて宝物だもーん!!
これからもずっと、なんて約束してやるもんか!と思いつつジメジメと好きなんだろうなーと薄々気づいている私でした。




しかしですぞ。
こうなるとやはりソロ曲はのこしてもらいたいのですが。。
それは智くんに限らず。
担当にとって自担のソロ曲はやっぱり宝物だから。
嵐の音楽活動もなくなるのであれば、オリジナルアルバムをあと1枚どうにかならんかな。。🤦🏼‍♀️


ねーー(*´・ω・)(・ω・`*)



毎日毎日私のジメジメブログに足を運んでくれてありがとうございます(TT)
宝物ー(TT)♡