小田急線 下北沢駅の再開発が順調に進んでいます。

以前から仕事で渋谷に向かう電車の窓から見るたびに「おぉ 工事が進んでいるなぁ」

と思いながら見ていました。

しかし、その工事は私の予想に反して、ものすごく大々的です。

あれ、どの方向も工事中だな。

                    (下北沢 井の頭線ホーム)

いったいどのくらいの規模なんだろう?

ふと、疑問に思ってしまった私は現場に向かいました!(さっさと仕事に行けよ!)

 あれまーっ、かつてあった西口付近は周りが工事用のフェンスだらけです。

ヘルメットをかぶったおばちゃんが細い歩行者用の道に誘導してくれます。

あれ?前はここに何があったっけかな? 

やたら空が見渡せます。

それだけ、目の前から建造物がなくなり、更地状態になっているということです。

井の頭線のホームがよく見えます。

なんか、不安になるくらい向こうが見えます。

いったいこの場所はどうなってしまうのか!

新しい駅舎にするのはわかりますが、どんなものが出来上がるのでしょうね。

 小田急線は東北沢 下北沢 世田谷代田間の地下化は2013年3月にすでに終わっていま

す。

これにより、開かずの踏切は姿を消しました。

道路の渋滞は緩和され、車両利用者・歩行者などの効率のよい往来が実現しました。

もちろん、踏切が消えたので事故も起きません。

(ただ、地下に潜った分ホームに行くまでの時間はかかりますけどね)

でも、エレベータやエスカレータもあるので、利用者にはやさしい設計と言えると

思います。

 

 地下の整備を終えていよいよ、上物ということですね。

<下北沢 再開発>で画像検索したら出てきました!

未来の下北沢駅の姿です。

うわーっ、しゃれてるぞ! ガラス張りか? カッコいい!

                           (イメージ 下北沢)

 小田急のサイトでの説明によると駅舎の2階には商業施設が入るとのことでした。

ショッピングゾーンと位置付けられていました。

でも、そんなに広いスペースは取れないはずですけどね。

 

 東北沢の未来像のイメージもシャレています。

線路サイドに面してカフェを作るようですよ。

                         (イメージ 東北沢)

 デザインがいいですよね。

とてもシンプルです。

住宅地との調和や自然光が差し込む工夫が盛り込まれています。

開放感もありますね。

                        (イメージ 世田谷代田)

 実は、私 新しくなった小田急線の駅舎に関しては魅力を感じられませんでした。

梅ヶ丘、豪徳寺、経堂駅、千歳船橋、祖師ヶ谷大蔵、どれもこれも同じような感じで

完全に個性が失われたと思えました。

機能的には充分なのでしょうが、利用していて面白みがありませんでした。

かつては、それぞれの駅舎に豊かな表情の顔があったように思います。

今は同じ顔にしか見えません。

(もちろん、これは私の個人的な見解です。正直に話しますが私はセンスが悪いです。

審美眼がないとも言われます。良い悪いではなく、ない です。そのくらい美的感覚が

ないのです。なので私の駅舎に関してのコメントはまったく気にしなくていいです)

 

 そんなこともあり、現在の下北沢の再開発にちょっと興味を持っていたわけです。

 

 駅舎は街の玄関です。

そこから様々な世界が広がります。

夢への入り口だったり、明るい家庭への扉だったり、愛が生まれる場所だったり。

 

 現在進行中の下北沢の駅舎は2018年の完成予定です。

2017年には待ちに待った複々線が完成します。

上り線2本、下り線2本です。

これにより、車内混雑緩和と所要時間が大幅に短縮されます。

楽しみですね。

 

 あっ、仕事に行こう・・(笑)

 

  待ちに待った日がやってきました!

何を楽しみにしているかと言うと< 酉の市 >です!

2016年の酉の市は11月11日(金)と23日(水)に開催されます。

私が行く新宿・花園神社ては開催日の前日が前夜祭とうことで開催されます。

                     (2015年11月29日 撮影)

 ところで、酉の市ってご存知でしたか?

「にしのいち」ではありませんよ。「とりのいち」です。

酉の市は毎年、11月の酉の日(十二支のとり)に開催されるお祭りです。

大酉祭り(おおとりまつり)などとも呼ばれています。

 

 酉の市は関東地方にある鷲神社(おおとりじんじゃ)など鷲や鳥に関連した

寺社の年中行事です。

鷲神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っている神社です。

武運長久や開運、商売繁盛の神様として信仰されています。

日本武尊が東征の時に戦での勝利を祈願したとされています。

この日が11月の酉の日であったことと、その時に社前の松の木に武具の熊手を立て掛けた

ことから、その後 大酉祭りを行うようになり熊手を縁起物としたのだそうです。

 

 それで、酉の市では熊手を買うのですね。

熊手には鷲が獲物をわしずかみにすることになぞらえて福徳をかき集めるわしづかむ

という意味があるそうです。

酉の市が開催される神社の境内にはたくさんの熊手商の店が並びます。

熊手の売買が成立すると威勢よく手締めが打たれます。

 

 私は特別、商売をやっているわけでもなく普通の一般人です。

大きな熊手を買うこともないのですが、あの雰囲気が好きです。

聞こえてくる声だけで、こちらにもご利益がありそうです。

また、1年 商売繁盛が続くといいですよね。

 

 私は毎年 出来る限り酉の市に行くようにしています。

仕事の都合で夜に行けなければ、徹夜明けの早朝に行ったこともありました。

そんな時間に行ったとしても露天商も営業していないし、熊手商もいません。

 

 なぜ、行くのか?

それは、景気のリサーチです。

この酉の市に行けば、この年の景気がおおよそ分かるのです。

少なくても、前年よりは<良いか・悪いか>は分かります。

なぜ、そんな事がわかるのか?

単純な話です。

下げられている、ちょうちんの数で分かります!

この、ちょうちんは その年に寄付された金額によって増えたり、減ったりします。

寄付をされている方々は酉の市が開催される場所で営業されている企業や個人事業主たち

が主だと思います。

寄付金の額はその年の景気が如実に反映されるはずです。

 

 私は通い始めてから20年近くなります。

始めは気がつきませんでしたが、毎年写真を撮っていてその事に気がつきました。

 

 実際に比較してみましょう。

写真は、パソコンの中に入っていた最近のものだけですがこうして比べてみるだけでも

違いがあります。

 (2011年11月26日  ちょうちん 5段)

  (2013年11月14日  ちょうちん 5.5段)

  (2015年11月29日  ちょうちん 6段)

2011年から去年までをみるとちょうちんの数が増えています。

景気が上を向いているということが分かります。

いいことですね。

 花園神社には開催日に見世物小屋がたちます。

今の時代にそんなものがあるのか!と思う方がいるかもしれませんが、あるんです!

毎年、興行は行われています。

私は毎年中に入るわけではありませんが、いつものあの人は元気かな? 

あのおばちゃんはいるのかな? 今年の看板も見事だな!などと思いながら、入り口の前

まで行って様子を見ます。

入り口の横で口上を述べ、太鼓を叩き、ベルを鳴らし客を呼び込む様は異次元に近いものがあります。

日常にはない世界が目の前に広がります。

意味もなく鼓動が激しくなるのはなぜでしょうか。

 

 境内に軒を連ねる露天の裸電球が屋根のテントの色とまざり、境内全体をオレンジ色に

染め上げます。

歩く人たちのすきまから見える 輪投げ、空気銃、くじびき、あめ細工、たこ焼き、

辛子売り、箸売り、金魚すくい、わたがし、白蛇屋、バーベキュー、人形カステラ、

お好み焼き、焼きそば、じゃがバター、何もかも不安定な明かりの元で 懐かしい景色

として私の目には映ります。

子供の頃に行ったお祭りに来ているようです。

ノスタルジックな気分に浸れる空間がそこにあります。

 関東ではいくつかの神社で酉の市が開催されます。

足立区の大鷲神社、台東区の鷲神社・酉の寺 長國寺 

府中の大國魂神社、そして新宿の花園神社 などです。

 

 もし、時間があれば 是非 行ってみることをお勧めします!

きっと、楽しい時間を過ごせますよ! 

 

注意 人が多い時間帯はスリに注意してください!

バックは自分の胸に、抱え持ちましょう。    

            

 

遂に目撃しました!

これが鳥海山に住む< 手長 足長 てなが・あしなが > の足長と思われます!

(やらせあり)

 

 鳥海山には古くから伝わる伝説があります。

伝説の舞台である鳥海山は山形県と秋田県にまたがっている活火山です。

標高は2236m です。

山全体の形が富士山とよく似ています。

そのために、< 出羽富士 でわふじ > とも呼ばれています。

秋田県では秋田富士 山形県では庄内富士(しょうないふじ)と呼ばれ親しまれています。

地元の小学校や中学校の校歌には必ずと言ってもよいほど<鳥海山>が登場しています。

地元の人にとって鳥海山は特別な存在の山です。

                     ( 鳥海山 2015年3月撮影)

 

< 手長足長 >は山から山へ届くほどの長い手足を持っています。(どんだけ長いんじゃ)

生息地は鳥海山の他に 福島県 長野県 福井県などに生息している巨人です。

 

 鳥海山に伝わる伝説では旅人をさらい食べてしまったり、日本海を往来する船を襲い

悪事を働き続けていました。

人を食べてしまうとは、とんでもなく悪い奴です。

 

 鳥海山の神である大物忌神(おおものいみのかみ)はこれを見かねていました。

そこで。霊鳥である三本足の鴉(カラス)を遣わせます。

三本足のカラスということは、八咫烏(やたがらす、やたのからす)ということになるのでしょうか。

八咫烏は、日本神話において神武東征(じんむとうせい)の 際、高皇産霊尊(タカミムスビ)によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国 への道案内をしたとされるカラスです。

鳥海山にもいたのですね。

このカラスは、手長足長が現れるときには「有耶」(ウヤ)現れないときには「無耶」(ムヤ)

と鳴いて人々に知らせました。

このカラスの警告のおかげで、人々の日常は守られたかのように思われました。

ちなみに、現在でもその名残が残る場所があります。

「ウヤムヤの関」という地名が残っています。

 

 調べてみると3箇所あるようです。

ひとつは<象潟町関字有耶無耶の関> もうひとつは<山形県境の三崎山>です。

そして、<山形・宮城間の笹谷峠>にも同名の関所跡があります。

関所は(せきしょ)は街道の要地や国境に設けて徴税や検問のための施設です。

山の峠道と人々が暮らす集落とを結ぶ道に作られた防御の壁ともいえる門は人々の安全を

守る役割を果たします。

 

 三本足のカラスは大物忌神に命じられて、人々のために見張りをします。

けれども、手長足長の悪行は続きました。

その後、円仁(えんにん)がこの地を訪れて転機を迎えます。

円仁は後の慈覚大師(じかくだいし)のことです。

円仁が生まれたのは794年(奈良時代 桓武天皇が平安京へ都を移した時代)です。

15歳で比叡山に入り最澄に師事し45歳の時、最後の遣唐使に留学僧として加わり、中国で

9年半を過ごし、経書などを日本へ持ち帰りました。

 

 この円仁が手長足長の悪行を知り、大物忌神社で100日間祈りを捧げました。

その結果、鳥海山は吹き飛んで手長足長が消えたとされています。

また、一説には手長足長が降参して人を食べなくなったとも伝えられています。

 

 円仁のおかげで、鳥海山には平和が訪れたというわけです。

 

 それにしても、なぜ このような伝説が生まれたのでしょうか?

円仁が生きた時代は平安時代です。

当時は人々が暮らす里と手長足長が暮らすとされる山には大きな隔たりがあったのではな

いでしょうか。

山はまだまだ未開で未知の場所であり、得たいの知れない魑魅魍魎(ちみもうりょう)が息

づく闇の世界があったと考えられます。

 

 山は神が住む神聖な場所でもあり、人間界と霊界とを分けた場所だったかもしれません。

山に入り、行方不明になったり事故にあったり不測の事態が数多くあったとも考えられま

す。

 いつしか、人々は大切な家族を守るために「山には入るな、危険なことがあるぞ!」

「山には化け物がいて襲われるぞ!」と注意を喚起するために口にしたかもしれません。

現代でも、夕暮れの中 外で遊ぶ子供に「早く家に帰らないとお化けがでるぞ!」というよ

うなことはいうのではないでしょうか。

身の安全を願う思いやりのある言葉です。

 

 あと、この伝説が生まれた時代背景も重要な要素です。

円仁が鳥海山を訪れた頃は850年から860年頃のはずです。

この時代、鳥海山は噴火を繰り返していました。

810年 824年 840年 871年 939年と続きます。

この噴火から、円仁が手長足長を<山ごと吹き飛ばした>という描写が生まれたのではな

いでしょうか。

 

他の伝説によれば吹き飛んだのは赤鬼と青鬼という話もあります。

手長足長=赤鬼・青鬼と考えることも出来ます。

 

 こうした伝承は旅人などによって、福島県・長野県・福井県に広まったと考えられます。

 

 手長足長は鳥海山で現在も暮らしているのでしょうか。

三本足のカラスの鳴き声は「ウヤ・ムヤ」と今でも峠道に響いているのでしょうか。

今から1200年もの前から伝わる お話です。

 

 太陽が沈み、暗闇が訪れる前に良い子は家に帰りましょう。

あなたを待つ家族がいます。

むやみに危なっかしい場所には近寄らないこと。

 

 古くから伝わることには、人々が厳しい自然の中で生きてきた証が残されています。

そこには、深い愛情に満ちた意味があります。

だからこそ、時代を超えて現代にも語り継がれているのだと思います。

 

 約2ヶ月振りに帰省しました。

東北の秋への移り変わりの足は早いです。

一面 みどりだった田んぼは地面の茶色が目立ち始めています。

あれっ、まだ稲穂が垂れていますね。

ずいぶんみごとな黄金色です。

ほとんどは9月頃に稲刈りは行われるはずですが、この品種はコシヒカリではないのでし

ょうか。

山並みには徐々に色が付き始めています。

本格的な紅葉にはまだ時間がかかりそうですが、標高の高い場所からだんだんと色づいて

いずれ、すべてが銀世界に埋め尽くされるはずです。

 実家に戻ったその日の夜に日本海側に住むおじさん夫婦が現れて、サケを届けてくれま

した。

なかなか立派なサケです。

川で誕生して大海へ出て旅をしながら、成長してまた川をめざして戻ってきたサケです。

よくぞ、ここまで大きくなれるものだと思います。

海に出て、他の捕食者に捕まることなく自分のふるさとへ戻ってきたわけです。

偉いなぁ。

 川に入る直前に人間に捕らえられてしまったのですね。

申し訳ない。 まだ繁殖する前ですが、感謝しつつ、食べさせていただきます。

 サケの生態については川で生まれて、海で大回遊をしてまた川に戻ってくるということ

くらいの知識しかありませんでした。

あれ?じゃ、このサケは春に海に出て秋までの間にこれほど成長したの?

川に戻り、産卵をして死んでしまうのですからサケの寿命は1年もないの?

さまざまな疑問が生まれてきます。

 

 ちょっと調べてみるとすぐに、謎は解けました。

川で生まれたサケの稚魚は昆虫などを食べて3月から5月頃には湾か沿岸部まで下るよう

です。

海に出てからは食べるものは動物プランクトンになります。

6月下旬にはほとんどの稚魚は大海へ旅立ちます。

 

 目指す海は北洋です。

ひたすら北上します。

日本からはるか離れたアリューシャン海域やベーリング海まで行っているようです。

 

 北の海でたくさん食事をして巨大化します。

1年から5年 または6年間 過ごすようです。

ずいぶんバラつきがあるのですね。

 

 栄養満点な北の海でサケは成熟していきます。

天敵はトドやアザラシなどです。

たくさんの食事をしてたくましくなり、捕食者から逃れながら力強く成長していきます。

成熟して繁殖の準備が整ったら帰還するわけです。

サケは自分が生まれた川に戻ります。

不思議な習性ですよね。

回帰性と言われる習性のメカニズムはどうなっているのでしょうね。

生まれた川の臭いでわかるという<嗅覚回帰説>

太陽の位置などを目安にする<太陽コンパス説>

他には<地磁気説>や<海流説>などが考えられているようです。

<嗅覚回帰説>が可能性としては高いようです。

 はるか昔から続けられてきたサケの大回遊です。

サケは日本人になくてはならない一番人気のある魚です。

年間を通して、私たちの食卓を支えてきました。

 

 川に変化が起きて今までの臭いがなくなったらサケは母なる川に戻れなくなります。

海が汚染されたら、充分な栄養を摂取出来なくなります。

 

 いつまでも、ずっと変わらずにサケの大回遊が続くといいですね。

 

時間が出来ると行く場所があります。

それは、ちょっとにぎやかな場所の一角にひっそりと佇んでいます。

東京の調布にある動物霊園です。

初めて来たのは1998年だったと思います。

当時 下の子が幼稚園でみつけて家に連れてきたネコと一緒に暮らしていました。

生まれて間もないのか、身体は本当に小さくて子供の手のひらに乗るくらいでした。

目が水晶のように美しく、尻尾もきれいにまっすぐに伸びていました。

「みーゆ」と名づけられました。

私たち家族がネコを飼うのは初めてのことでした。

日中はどこかへ遊びに行くようでしたが、私が仕事から帰ってくると必ず足元にやってき

て身体をこすります。

私は自転車を止めて、みーゆを抱っこして家に入るというのが決まりでした。

私が風呂に入っているとみーゆもやってきます。

湯船のはじっこに置かれている風呂のふたの上に乗り、しばらくいます。

のどが渇くんじゃないの?と水道の水をすくってあげると口をつけぺちゃぺちゃと水を飲

みました。

当時、夏の恒例だった< 八丈島のキャンプ >にも連れて行ったことがあります。

家族全員が自転車に荷物を積み、竹下桟橋まで走りあとは船に乗り翌朝には八丈島に着きます。

みーゆはキャリングケースに入り、下の子の自転車の荷台に載って移動しました。

島での生活はテント生活です。

長い時で2週間近くいます。

その間、みーゆはキャンプ場でみんなに可愛がられていました。

みーゆは迷子にもならず、一緒にキャンプを楽しみました。

家族の一員として暮らしていたのですが、引越しをしてまもなくみーゆは死んでしまいま

した。

隣の家の老いぼれネコと折り合いが悪く、いつも追いかけあいをしていました。

ある日の夕方、追いかけられている途中にオートバイにはねられました。

こんな最期になるとは予想もしていませんでした。

あまりにも悲しくて、しばらくは何も手に付きませんでした。

どう、葬ればいいのか分からず いろいろと調べたら動物霊園があることを知りました。

奥さんと2人でみーゆを箱に入れて、動物霊園へ連れて行きました。

人間と同じように火葬をしてくれて、契約をすれば小さなスペースも借りることも出来て

仏壇のように使うことも出来ます。

2011年の4月10日 13年間私と一緒に生活した愛犬が一生を終えました。

この犬は下の子が動物病院の先生から譲られた犬でした。

飼い主を探している時に下の子と出会ったようでした。

私はもう、動物は飼いたくありませんでした。

世話をするのも大変だし、犬であればネコと違って散歩も必要です。

きっと、子供たちが積極的に世話をするのは はじめのうちだけです。

 

名前は「ホワイトファング」と名づけられました。

ちょうど小学校2年になった下の子が世界名作全集の中に収録されてあった「白い牙」を

読んでいてその物語の主人公の名前でした。

牙は白いのですが、身体は黒です。

顔の一部と身体の内側は白いので、まぁ、いいのかな?

ファングのお母さんは<柴犬>でお父さんは<シェパードとハスキーのミックス>だったと聞きました。

確かに言われてみると、耳はシェパードのように大きく見えます。

顔は柴犬のようにも見えますが、ハスキーの雰囲気があります。

はじめは自分勝手で完全にバカな犬でした。

散歩に出るとリードをピンと張ってグイグイ先に出て歩きます。

飼い主の存在を無視して、自分の行きたい方向へ向かって走ります。

飼い主が犬に散歩されていると言う感じでした。

身体も大きいし力もあります。

私としてはフリスビーを投げるとそれをファングがくわえて、戻ってくる犬と言う理想像

を描いていたのですが、フリスビーを投げても一向に持ってくる様子はなく、私がフリスビ

ーを投げて、自分でとりに行くという虚しい結果だけが続きました。

(後で知るのですが、牧羊犬の犬種であれば比較的フリスビーには興味を持つようです)

ファングの名誉のために書いておきますが、軟球に関してはくわえて持ってきました。

ずいぶんこれで私と遊びました。

一緒に生活を始めて2年目ころに公園で動物病院が主催する「犬のしつけ教室」に参加しました。

プロの犬のトレーナーさんが来て、いろいろと犬に対するしつけを教えてくれました。

そのとき、なぜかファングがばか犬代表として選出されて、みなの前でプロのトレーナーの

しつけを受けることになりました。

ほんの数十分の出来事でしたが、このときの出来事でファングは完全に自分と飼い主との関係性を力ずくで学ばされました。

首に食い込むチェーンの首輪をつけさせられて、人間の言う事をきかないと痛い目に合わ

されます。

見ていて可愛そうになるくらいな扱いでした。

でも、人間社会の中で生きていくための、主従の関係を身体で覚えさせられたわけです。

その後、ファングは見違えるように賢い犬になりました。

歩くときは私の横から離れません。

「座れ!」「待て!」「よし!」完璧でした。

私よりも賢い犬に生まれ変わりました。

感情も豊かで、私が力なくうなだれファングを抱きしめると「ウゥーン」と耳元で鳴いてく

れました。

私をなぐさめてくれたのでしょうね。

夜は家の中に入れていました。

寒い日は私の寝ている布団の中に入ってきました。

私の前では甘えん坊の子供のときのままの一面を見せてくれていました。

 

毎朝、二人で羽根木公園へ散歩に行っていました。

犬を連れた方が多く集まる公園です。

飼い主の名前は知らなくても、だいたいの人たちが顔なじみになります。

みんな、ファングのことを「いい犬だ」とほめてくれました。

ファングは褒められると、ちゃんと理解しているのか とてもうれしそうにして歩いていました。

胸を張って、しっかりとした足並みで悠然としていました。

とても賢くて、気持ちがやさしくハンサムな犬でした。

事情があり、2000年から私とファングだけの生活になりました。

近所の方にも愛されていました。

私が出張のときはファングを預かってくれました。

 

 

仕事に出ているときは午後から、そのお宅に行き夕方散歩をしてから私の家にもどってく

るという可愛がられようでした。

そんな生活が11年続きました。

私にとってもファングにとっても幸せな時間でした。

13歳になったファングは足腰が弱くなり、長い時間の散歩はつらくなりました。

歩く姿も弱弱しく高齢犬そのものになり、いつしか横になって休むことが多くなりました。

 

そして、死んでしまいました。

涙が止まりませんでした。

ファングを飼っていたのは私ですが、私はファングに支えられていました。

いつでも、ファングは私の帰りを楽しみにしてくれて喜んで迎えてくれました。

毎朝の散歩は仕事が忙しくなると大変でしたが、それでも毎日40分ほど歩くことで

結果として私の健康を維持していました。

ファングを通しての人間関係も築いてくれました。

さくらとfang-02

ファングは生まれてすぐに母親や兄弟と別れて、自分の意思とは関係なく私と一緒に生活

することになりました。

無理やり、人間社会での生き方を学ばされ私と共に生きました。

ファングに対して、申し訳ないという気持ちと感謝の気持ちがあります。

さくらとfang-01

ふと、時間があると自然に足が霊園に向かいます。

行ったからといって、ファングやみーゆに会えるというわけではありません。

けれども、祭壇の前で目を閉じて手を合わせると私の足元でファングとみーゆがクルクル

と走りまわっているような気がします。

 

ここにはいつでも、多くの人たちがやってきて自分たちの愛するものに手を合わせる姿

を見かけます。

みんな、共に暮らした家族を供養し、自分自身のこころに開いた穴を埋めに来ているのかも

しれません。

 

皆、こころの中で愛する家族が生き続けています。

私の心の中にもファングとみーゆはずっと生き続けていきます。

 

先日、用事を済ませた帰りにJR渋谷と京王線とをつなぐ連絡口を歩いていました。

左手に「芸術は爆発だ!」の岡本太郎先生の<明日の神話(1969年製作)>の巨大壁画

を横目に進みつつ右手に目を向けます。

ここを通過する時はなぜか、大きなガラス張りになっている窓に吸い寄せられるかのように右側に寄っていってしまいます。

見たからって何の意味もないのですが、ただ なんとなく見てしまいます。

「人は多いのかな?」「面白いものとか見えないかな?」

私が目を向ける対象は < 渋谷スクランブル交差点 > です。

この通路からはスクランブル交差点がよく見えます。

歩行者の数が多いときは1回の青信号で行き交う人の数は約3000人だそうです。

「す・凄い!」 しかも1日 50万人が使っているということです。

「世の中にこんな交差点があったんだ」

しかも、歩いている人々の進む方向は直進・斜めとマチマチです。

(スクランブルなのであたりまえですよね)

「なんで ぶつからないんでしょう?」みなスイスイ スムーズに自分の行きたい方向へ

進んでいきます。

確かに私もこのスクランブル交差点や新宿の西口地下広場など人の多い場所を歩きますが

人とぶつかったことはありません。

瞬時に自分の前方の歩行者を認識して、進むべきラインを決定しているということなので

しょうか。

これは人類?日本人?の一種の才能でしょうか。

本能的なものなのでしょうかね。

 

そんなことを思いつつ、見ていました。

横を見ると、私と同じようにぼんやりとスクランブル交差点に目を向ける人を見かけます。

きっと、なんとなく見ているのでしょうが ちょっと不思議ですね。

 

なぜ、人はこの場所に目を向けるのでしょうか。

私なりの答えを持っています。

それは「人が多く集まる場所だからです!」(笑) 

「そのまんまかい!?」 おもわず自分に突っ込みを入れてしまいました。

もう少し、違った言い方をするとこうなります。

人が多く集まる場所にはエネルギーが生まれるのです。

一人ひとりの持っているエネルギーが集まると、その場所にさらに大きなエネルギー

を生み出します。

善のエネルギー、悪のエネルギー、すべてを含めてこの交差点にはエネルギーの渦が形成されているのです。

目に見えない巨大なエネルギーは強い経済や文化、芸術を生み出す起因をつくります。

これだけの人々が持つ頭脳や才能が集まる場所なのです。

スクランブル交差点の人の多さは、渋谷が特別な場所であることを示すひとつの証明です。 

 

この交差点に目を向けてしまうのは、巨大なエネルギーに引き寄せられるからなのだと

思います。 違うかなぁ。 まぁ、いいです。

 

で、私は引き寄せられるかのように交差点の方へ向かい、久しぶりに公園通りを歩いてみる

ことにしました。

この道はあまり歩くことがありません。

歩道も広いので歩きやすくていいです。

たまにファッション雑誌から抜け出てきたようなきれいな女性や格好の良い男女を見かけ

ます。

ファッションの街でしたね。

おしゃれな人にとってこの街はステージであり、舞台なのかもしれません。

 

あっ、この公衆電話 懐かしい。

健在ですね。

これだけ携帯電話が普及した現在では、あまり使用する人はいないかもしれませんが

この通りを代表するアイテムのひとつですよね。

 

今まで気がつかなかったのですが、こんな可愛いものが壁についていました。

ネコでしょうか?

タイルで壁に張られていました。

なかなかのセンスのある作品ですね。

あれ、渋谷公会堂がない! 消えている。

昨年 2015年の10月4日を以って閉館になっていました。

2018年には新しい公会堂が誕生するようです。

NHKの横を通り代々木公園へ向かいます

ここの公園は広々としていい公園ですね。

都内の都市公園の中でも広さでは5本の指に入ります。

緑が多いと、歩いていてこころが安らぎます。

以前はカラスが目立ちましたが、今はそうでもないです。

多くのカップルや家族が自然に集まる場所です。

若者はこの街で夢を語り、実現へ向けてがんばろうと意思を固めたりするのでしょう。

家族は今日とかわらず明日も平和で暮らしやすい世の中を願いながら可愛い我が子を

見守っているのかもしれません。

大都市の象徴である渋谷の街にこうした空間があるということで、さらにこの街の魅力を

引き上げていると思います。

1945年5月25日 渋谷は空襲を受けて焼け野原になりました。

そこから、立ち上がったのです。

1950年代に大規模な復興が進み渋谷駅周辺の現在の原形が出来上がったそうです。

1957年には道玄坂に並んでいた露店が集まりスクランブル交差点の地下街が生まれ、

1958年にはセンター街が誕生します。

 

人々が集まる都市に育ち、この街は世界に向けて情報を発信し続ける文化の最前線の街に

なりました。

この街を歩けることは幸せなことだと思います。

いろんな人の夢や希望を形に変えてきた街です。

先輩方の努力と知恵の結晶です。

 

今この街を歩いている人が、よりいっそう この街を魅力的にしていくと思うと

また、ついつい スクランブル交差点に目を向けてしまいます。

 

ずっと、健全で魅力のある街であることを願います。

ひょっとして、この街のまた違った魅力を引き出し、新しい文化を生み出すのは

「あなた」ではないですか?

 

なーんてね。

 

2016年10月6日 関東は快晴でした。

話では、今日が最後の夏日になるということでした。

うーん、これで今年の夏ともお別れか。

(実際には秋分も通り過ぎているので暦の上ではとっくに夏は終わっていますけどね)

今年の夏はいい夏でした。

たくさん、いいことがありました。

 

実家に行って、墓参りも出来たしタナゴもドジョウも採集できたし、畑に植えた

ミニトマトやキュウリも収穫出来ました。

 

友人、知人 皆 元気だし、離れた場所に住む 知人と会うことも出来ました。

とてもよかったです。

 

これから秋が本格的に深まり、いずれ凍える冬がやってきます。

地域によっては雪が降ったりするわけで、この現象を感性豊かな人は

ロマンチックと歓迎するかもしれないし、豪雪地方に暮らす人にとっては ただ単に

迷惑と思えるのかもしれません。

私は両方の場所を行き来するので、雪に対する考えも両面持ち合わせています。

でも、どちらかと言えば7割以上は迷惑かなと思います。

 

関東でも一時的に大雪などが降ると都市機能はすぐに麻痺します。

交通機関は乱れ、あっという間に通常の生活が出来なくなります。

豪雪地帯の冬はもっと悲惨です。

道や家の屋根に積もった雪をどけても、どけても次から次へと雪は舞い降りてすぐに

積もっていきます。

放っておいたら、場合によっては家がつぶれることもあります。

毎年、屋根に積もった雪を落とそうとする作業の中で残念な事故も起きます。

雪だけでなく、気温が下がると路面は凍結して車両の事故も起きやすくなります。

歩いている人でも雪や氷で足をとられて、転んで骨を折ったりするという事故は

毎年起きます。

こう考えると、豪雪地方で雪のいいところをみつけるのは難しいですよね。

でも、考えてみれば 豪雪地方の場所では雪のおかげで澄んだ水が豊富だったり、

湿度があるからこそ美肌を作ったり、 長い歴史の中で今まで培ってきた文化や伝統もある

わけで一概には<良い・悪い などと言えない> ということになるのでしょうね。

人間は順応性の高い生物なので、その生きる場所に応じて受け止め方を変えることが出来

ます。

結果的には< 住めば都 >ということになるのでしょうね。 

 

ところで、なぜ季節は変化するのでしょうね。

誰でも想像できると思いますが、これは太陽と地球の位置関係に由来しています。

地球が太陽の周りを公転していて、なおかつ地球が自転しているわけですが、この時に

地球に地軸(地球の南極と北極とを結ぶ自転軸)の傾きがあるということが

大きな原因です。

太陽の高度との関係で地球の昼夜の長さが変化します。

それに伴って気象条件が変化するということが季節の変化を生み出しています。

 

もし、地球の自転軸が公転軌道面に対して垂直の90度であれば季節の変化は起こりません。

私たちの地球には23,4度の傾きがあります。

想像してみてください、串団子の最後の一個の状態で串を手にして23度ほど傾かせて

反時計周りに回転(自転)させながら太陽の周りを一周(公転)させるのです。

すると、あら不思議 場所によっては太陽から受ける光が届きにくい場所になるポイント

が生まれます。

そして、そのまま公転を続けると今度はより多くの太陽の光を受けるような場所を通過し

ます。

公転中の4つの場所で地球(日本)と太陽の関係が変わります。

この変化が季節の変化になるわけです。

すばらしく、うまく出来ているものだと思います。

 

地球に地軸の傾きが生まれた原因は地球が誕生しようとしている最中に決まったのだそう

です。

いずれ地球になる天体に小惑星などが衝突してその衝撃で傾きが決定したと考えられてい

ます。

一度だけの衝突ではなく、5回 衝突したのだそうです。

東京工業大学の玄田英典さんが研究されています。

(5回目の衝突は「ジャイアントインパクト」と言われているものです。

地球の衛星である月が生まれたのがこの衝突とされています。)

合計5回の衝突の度に地球の傾きが少しずつ変わり、最終的に今の傾きに落ち着いたとい

うわけです。

この地軸の23,4度は地球上で生物が活動するためには奇跡的に有利な角度です。

その場所 場所に豊かな生態系を築きます。

もし、公転面に対し90度の横倒しの傾きであったとするならば、地球がいくら自転をして

も太陽に向けている場所はいつも同じ場所(南極か北極)になります。

太陽を向いている側は光があたりますが、反対側には光はいつも届かない状態になります。

地球は半分が夜の世界に閉ざされるということになります。

暮らしにくい地球になることは安易に想像できますよね。

いや、<暮らし・生活>など出来ないかもしれません。

 

 

偶然というのか奇跡的に、今の自転軸の角度に地球はなりました。

そのおかげで、今の私たちの生活があります。

変化する季節の中で、人間を含む多くの生き物が命をつないでいます。

地球が誕生して、生命が芽吹き 多様化し、進化を遂げて今があります。

 

2016年の夏は今日で完全に終わるかもしれません。

これから秋を経て冬を越え、春がくれば、いつものように また夏がきます。

 

この季節の変化は地球が私たちにもたらした、最大の贈り物ではないでしょうか。

繰り返される季節の中で有意義に自分たちの人生をおもいっきり生きていきたいです。

 

「夏」今年もありがとう! また、1年後に会いましょう!  なーんてね。 

 

誰にでも好きな映画はあると思います。

もちろん私にもあるわけで、特別に好きな映画はDVDを買い揃えています。

仕事で疲れ果てた時や、なにか今を忘れて現実から離れて疑似体験したいという

気持ちがわくと家で映画を見ます。

 

今回は私を支えてくれる< 私にとっての名作映画 >を紹介したいと思います。

 

つい先日、見た映画があります。

周 星馳(チャウ・シンチー)さん 監督・主演の名作「少林サッカー」です。

2002年 日本で公開されました。

当時香港映画として歴代最高の興行収入を記録した大ヒット映画です。

日本でも興行収入30億円を達成して2002年の歴代8位という記録を打ち立てています。

馬鹿げているとか子供向けの映画じゃないかと思う方がいるかもしれません。

私は年齢的には十分くらいな< いいオッサン >です。

でも、この映画の根底にあるメッセージにとても共感できるのです。

 

少林拳を学んだ6人の兄弟弟子がいます。

学んでいた師匠が他界するその時の言葉は「少林拳を世に広めよ」と言い残しました。

6人は師匠の言いつけを実行したいと思いながら日々の生活に流されていきます。

彼らはみな 辛い修行に耐えて武術を修めた強者なのですが、それは実生活の中で仕事

に結び付けられなかったのです。 

貧しい暮らしを余儀なくされています。

かつて輝いた サッカーのスター選手(ファン)がいました。

類まれな実力を持っています。

確実に相手チームのゴールを奪う右足を持っていて、黄金の右脚と言われていたほどです。

しかし、お金に目がくらみ、八百長試合をしてしまいます。

その結果に怒り狂った観客たちに彼の足は再起不能になるまで痛めつけられます。

そして選手生命を失います。

 

通りの一角にある小さなお店でまんじゅうを作る少女(ムイ)がいます。

けっして美人とは言えないのですが、こころは澄んだ気持ちのやさしい子です。

太極拳をたしなみ、その技のひとつでもあるかのようにまんじゅうをみごとに作ります。

小麦粉に水を足して生地を練っていく手さばきは、これぞ太極拳という感じで目をくぎづけにします。

 

メインの登場人物はこれらの人たちです。

けれども、この映画は主人公がひとりだけ引き立っているというものではありません。

 

映画に出てくる人たちすべてが主人公のように思えます。

悪者役のチームの人たちは純粋に悪者かもしれませんが・・。

いや、いつしか善のこころが宿るかもしれませんから一概には言えませんね。

 

映画の冒頭近くに大きな百貨店の前を歩くセクシーな女性もそうだし、まんじゅう屋の

まえにいる通りすがりの人たちも皆主人公ばりの作品のテーマを背負っています。

 

この映画のテーマは< 自分自身に誇りを持って、夢をかなえよう > です。

誰もが皆 夢を持っています。(持っていたはずです)

でも、時間が経過すると同時に、抱いていた夢もいつしか儚いものになっていくのが常で

す。

当然ですよね。

夢を抱いていても、それを食べる事は出来ません。

夢があるだけでは、生きていけないのです。

食べ物を得るにも、服を着るにも、靴を履くにもすべてお金が必要です。

 

多くの人が自分の夢に埋もれていく中、ひたすら自分の夢を追いかけている青年がいます。

シンです。

着ている服はおそまつで、靴も穴が開きボロボロです。

しかし、少林拳で鍛えぬいた肉体と生まれ持った異常ともいえる強靭な足を

持っています。

どんな貧しい暮らしを続けていても、師匠の夢を実現しようと懸命に「少林拳」を世の中に広めようと懸命にアピールし続けています。

 

ある日、この登場人物たちが出会うのです。

そして、予期しない新しいエネルギーを生み出し昇華させるわけです。

 

まんじゅう屋の前で皆がダンスに興じるシーンは圧巻です。

一人の情熱がそれを見る者を感化し、いつしか通りにいた人たちが皆、自分の夢を思い出

し熱く踊ります。

 

人の持つエネルギーが他の人と接することで、さらに大きなエネルギーを生み出すという

ことの具現化です。

演出としては見る人の瞳に炎が浮かぶという愚直なほどわかりやすいものですが、これは

どんな小さな子供が見てもわかりやすいように考えた結果ではないかと思っています。

 

一生懸命に生きている人を目にすると、心が熱く揺さぶられます。

その感覚は自分の忘れかけていた熱い魂に炎を呼び起こし目覚めさせるのです。

文字で書くとこんなことなのでしょうが、これをそのまま映像化した感じです。

 

コミカルに描いているので、ややもすると笑って通り過ぎてしまうシーンですが

私はこのシーンが一番好きです。

この映画の根底が描かれていると思います。

今まで気が付かなかったのですが、このシーンの冒頭で急に大声で歌いだすシンの歌声に

驚いて気をとられる男性の通行人がいます。

よくみていると、よそ見をしていたせいで道路の段差につまづいて街路樹に頭をぶつけて

いました。

この映画で初めて笑ったのがこの瞬間でした。

きめの細かい演出をしていますよね。

ひょっとして、こういうちょっとした演出は撮影現場で突然生まれたということも考えら

れます。

きっと、和気あいあいとした にぎやかな撮影現場だったのではないかと想像するのですが

実際はどうだったのでしょうね。

映画の内容にこれ以上の事は触れません。

ここまでに登場したキャストたちは、生まれ変わったかのように、または かつての自分を

取り戻したかのように自信にあふれて生き生きとしていきます。

ちょっとした刺激が人を大きく変えたのです。

このことは世の中全般に言えることだと思います。

誰にでもあてはまると思います。

ちょっとしたきっかけがあれば人は変わります。

大きく羽ばたきはじめます。

それは、子供でも、大人でも男性でも女性でも年をとっていても みな一緒です。

本来、人間が持ち合わせている可能性です。

いつまでも夢を持って生きていきたい。

よし、また やってみよう。

ちょっとがんばってみるかな?

自分の得意分野だものな。

そう思ったらきっと現実になりますよね。

それを可能にするのは自分以外の何者でもありません。

夢の実現はずっと先になってもいいじゃないですか。

少しずつ近づけられればいいじゃないですか。

万が一、結果として果たせなくてもいいじゃないですか。

自分が懸命にがんばったんだからいいじゃないですか。

 

見る人をそんな気持ちにさせてくれる素晴らしい映画です。

チャウ・シンチーさんは監督としてのコメントでこんなことを言っています。

「作品のテーマを選ぶ時にそれが斬新かどうか考える 前人未到なものが面白いと思う」

「それでカンフーとサッカーを組み合わせた」

確かに意表をつく 面白い組み合わせです。

武術とサッカーのコンビネーションは目新しさがあります。

そして、作品のストーリーの根底にはベーシックな映画に共通する見る人を惹きつける

普遍的な要素がちりばめられています。

人間の精神的な成長や努力の先にある栄光、自分自身の誇りなどです。

多くの方が見たことのある映画だと思います。

もし、見る機会があったら、また見直してみてはいかがでしょうか。

きっと、胸の片隅で眠っている、熱いものが鼓動を始めますよ! 

 

2016年9月27日(日本時間)センセーショナルなニュースが報道されました。

National Aeronautics and Space Administration

NASA(アメリカ航空宇宙局)の発表です。

木星の衛星 エウロパから水蒸気の噴出を3回確認したというものでした。

 

エウロパは木星の第2衛星です。 (画像:NASA)

1610年ガリレオ・ガリレイ(イタリアの物理学者 天文学者1564-1642)

が発見した4個の衛星のうちの1つです。

最大光度6等なので比較的みつけやすい衛星です。

半径は1,565kmです。

(ちなみに地球は赤道半径約6,378km  極半径約6,357kmです。

地球とくらべるとだいぶこじんまりとしていますね。 )

エウロパは全体が氷で覆われた衛星で表面には多くのひび割れのような模様が見えます。

今までの観測から氷でおおわれた地表の下には温かい水があるのではないかと考えられて

いました。

 

今回の蒸気の噴出を捉えたのはハッブル宇宙望遠鏡です。

ハッブル宇宙望遠鏡は2013年12月から2015年3月まで継続的に衛星 エウロパの画像を

撮影していました。  (画像:NASA)

そのうちの3枚に蒸気が噴出している画像を捉える事ができたわけです。

蒸気の高さはおよそ200キロメートルだそうです。(画像:NASA)

蒸気を噴出するメカニズムはエウロパと木星との重力の関係で起こります。

                                                                (画像:NASA)

エウロパが木星の周りを公転する際、その位置によって、受ける力は変わります。

このような力は潮汐力(ちょうせきりょく)といいます。

地球と月を見ても同じ現象が起きています。

地球の満ち潮や引き潮の現象が起こるのと同じ原理です。

エウロパは木星の重力に引き寄せられながら、木星の周りを公転します。

その中で伸びたり縮んだりする運動を繰り返しているわけです。

その内部のエネルギーがエウロパに水蒸気の噴出を起こすのです。

 

<なぜ、蒸気の噴出がこれほどまでに大きなニュースになるのでしょうか?>

それは、エウロパの氷の下には間違いなく「水」が存在したという決定的な証拠を捉える

ことが出来たからなのです。

水があれば、何かいいことあるの? そう思われる方もいるかもしれません。

 

地球上で考えれば水道の蛇口をひねれば水は出てきますからね。

大きな海もあります。 

地域によっては水が手に入りにくい場所もありますが、普通に生活を続けていける場所で

あれば水はあって当たり前のものですよね。

 

しかし、生物学的・科学的に考えるとこの水があったからこそ私たちを含む、この地球上

で生きているものたちが出現したと考えられているのです。

水がなければ、生命は誕生できないのです。

生命の誕生と存続には<水とエネルギーそれに有機物>の3つが必要です。

 

エウロパには、そのうちの重要項目の1つである水が確認されたわけで、

ひょっとしたらそこに生命が存在しているかもしれない!ということなのです。

どんな生物なのでしょうか?

人間っぽい生き物でしょうか?魚っぽい?それとも想像を絶する形をしているのでしょう

か? コミュニケーションはとれるのでしょうか?

文明は持っているのでしょうか?

妄想はふくらむばかりです。  細菌とか微生物に近いものかもしれませんね。

 

2つめの重要な項目 エネルギーとしては地球と同じように太陽光が考えられます。

他にも可能性のあるものがあります。

エウロパの内部には核があり、マントル・地殻で構成されています。

地殻の上にまんべんなく水が満たされてあり、その上に氷が張られている状態です。

マントルは地球と同じように長い時間をかけて循環しているはずです。

そのエネルギーによって引き起こされる現象(火山活動など)により水があたためられて

いると考えられているのかもしれません。(未確認情報です)

熱があるということは様々な化学変化が起こりやすくなります。

太陽のエネルギーを使わなくても水を温めているエネルギー源を使うことも可能です。

あとは、3つめの重要項目 有機物があれば、間違いなく生命が存在していてもおかしく

ありません。

なんとか見つけだすことが出来ると面白いですね。

 

<地球以外に生命は存在しているのかどうか?>

この大きな問題は人類史上 一番大きな問題かもしれません。

宇宙科学が進歩して人類が月へ行き、多くの探査機が恒星そして惑星や衛星を観察してきました。

太陽系だけではなく、他の銀河 宇宙全体の研究を進めてきました。

地球との正確な位置関係、恒星・惑星・衛星などの組成、現在では多くの情報を人類は持

っています。

人類が古くから空を見上げるたびに考えることは「この宇宙に私たち以外の生命はいるの

か・・」ということです。

 

私に言わせれば答えは簡単明瞭です。

「いないはずはない!」です。

根拠として 私たちがいる天の川銀河には恒星の数が2000億個以上あると推定

されています。

(恒星とは私たちの太陽系でいえば太陽です)

宇宙全体で考えると天の川銀河規模の銀河は1000億個と考えられています。

恒星があれば惑星もあるでしょうし、その惑星の衛星もあるわけです。

これだけの数があれば、その中に私たちの地球に似た環境の惑星があっても少しも不思議

なことではありません。

 

現に私たちは、この宇宙の地球という惑星で存続してきました。

他の惑星や衛星などで暮らす生命体から見れば、私たちこそが宇宙人になるわけです。

 

姿・形は違うかもしれません。

進化の度合いも違うかもしれません。

でも、同じこの宇宙に暮らす生命体なのです。

 

科学は日々 進歩しています。

あと数年もすれば、必ずや地球以外の天体から生命の痕跡か生命体そのものを見つけ出す

時がくるはずです。

 

今、いちばん その可能性の高い天体がエウロパということなのです。

 

今後の展開としてNASAは、2020年代にエウロパへ探査機を派遣する計画があるそうです。「エウロパ・クリッパー」計画です。

探査機を使って水蒸気の噴出を直接観測し、エウロパの表面下に広がる「海」の成分をサンプリングできれば、地球以外の生命を見つけ出す探査が急激に進む可能性があります。

 

   < もうひとつの蒸気噴出衛星 > 

今回、エウロパでの蒸気の噴出が確認できましたが、太陽系の中でもうひとつ

蒸気の噴出を確認している衛星があります。

それは、土星の衛星 エンケラドスです。

この衛星も氷で覆われていますが、天体の南部分の氷の割れ目からジェットが噴き出しています。

氷で覆われている表面温度は摂氏マイナス200度ですが、氷の割れ目はマイナス80度

までに上がっています。

ジェットの噴出はエウロパが噴出する原理と同じでエンケラドスの 場合は土星との潮汐力ということになります。

この噴出物は主に氷と水蒸気であることが分かっています。

ジェットの高さはおよそ100キロメートルにもおよぶと考えられています。

 

水は生命の源です。

古来地球上の生命の起原については<神の創造>によるという説や<自然発生>した

という説あとは<他の天体からの細菌胞子の飛来>によるとするものなどが提唱されてき

ました。

他の天体から飛来したという説のひとつに火星からやってきたという説があります。

この説はアメリカ・カリフォルニア工科大学 教授 ジョセフ・カーシュビンクさんとい

う方が提唱しています。

火星で発生した命の種が小天体が火星に落下した衝撃で隕石に乗って地球に飛来して

地球で成長、進化したというものです。

うーん、細菌が宇宙空間を移動する間に、宇宙線を浴びるはずなので、生命の存続が

可能かどうかという問題もあると思いますが、あり得ない話ではないです。

 

一般的に考えられている説はオパーリン(旧ソ連の生化学者1894-1980)によるものです。

生命の起源は原始の地球上に生じた簡単な炭素化合物が窒素を得て有機化合物になり

それがコアセルベート(コロイド溶液の中で小さな粒子が集合して比較的大きな集団とな

ったもの)を形成して周囲の物質から区別される自己増殖的な個体となって成長と増殖に

よりついに始原生物に進化したと考えられています。

簡単に言うと、自分の身体と外の世界との壁を作り、ひとつの袋の中に生命活動に必要な

ものを入れた ということでしょうか? 違うかな? 

地球上での最古の生物の痕跡はグリーンランドで38億年以上前の堆積(たいせき)岩から生物の痕跡が発見されています。

 

生命の起源は地球上でもまだ完全に解明されていません。

もし、地球以外の他の天体で生命がみつかったり、生命の起源が解明されれば、地球上で

の抱えている問題はからまった糸がスルスルとほぐれるように解明されるかもしれません。

 

謎を解明出来るのは科学の力です。

世界中の科学者たちは、今後も宇宙の謎をはじめとする不思議で興味深いお話を提示して

くれると思います。

 

しばらくはエウロパの今後の研究に注目してみましょう。

きっと、驚く結果が出るはずです。     (画像:NASA)

小田急線 豪徳寺駅で降りて目の前の道を渡り、世田谷線の山下駅の乗り場へ向かう途中

に私の目指す場所があります。

そこは、せまい路地で両側に小さな商店が並んでいます。

八百屋さん、電気屋さんなどが軒を連ねています。

それぞれの店構えがとても趣があり、いかにも歴史がありそうな一角です。

その中に、私にとってちょっと思い入れのある1軒のラーメン屋さんがあります。

店の名前は「満来」(まんらい)というお店です。

もう、25年も前のことですが、こんな事がありました。

家の子供がまだ小さいころに義理のお母さんが遠方から遊びにきました。

当時の情報で世田谷線の「山下駅」の近くにものすごく安いラーメン屋さんがある

ということを知っていました。

それで、行ってみよう!ということになりました。

私も行くのは初めてで、期待に胸がふくらみます。

 

世田谷線沿いに散歩しながら山下駅の近くまで歩きました。

場所はわかるかな?と思いながら行ったのですが、なにせ商店がならぶ路地は

20メートルくらいのものです。

すぐにわかりました。

 

丸みを帯びた丈の長いのれんをくぐり、ガラスの入った引き戸を開けて店内に入ります。

6畳くらいのスペースにカウンターとちょっとした4人掛けのテーブル席が3つか4つ

あったと思います。

ラーメン屋さんというよりは中華食堂です。

厨房にはご主人らしき方が白い調理服を着て炒め物を作っていました。

店内にはおばさんがいました。

おそらくご夫婦の2人で切り盛りしていたのだと思います。

2人とも高齢に見えました。

 

私たちは、噂の値段の安いラーメンとチャーハン、ギョーザをお願いしました。

ラーメン屋さんの味が確実に把握出来る3品です。

店の味を知るには、この3品が基本だと思います。

 

料理がくるまでの間、きょろきょろと店内を見渡すと、店の中の棚の上に豪徳寺内の販売所

で買うことの出来る招き猫が置かれていた記憶があります。

(豪徳寺はこの場所からちょっと歩きます。 招き猫も有名ですが、桜の季節になると

境内は美しい色に染まります。 世田谷の名所です。)

元々は白い地肌の招き猫のはずですが、ちょっと黄ばみも入り年季が入っていることを

うかがわせました。

やっぱり、豪徳寺です。 商売に招き猫は欠かせません。

店内に真新しいものは目に付きません。

置かれてあるもの、店内の壁そして天井、足が折りたためるテーブル、パイプイス

すべてがこの場所で長い時間を経てきたものばかりです。

この時点でもこの店は相当な歴史を持っていそうでした。

 

私たちが頼んだラーメンの値段は、なんと200円でした。

当時、一般的なラーメンの値段の半分以下でした。

ギョーザは150円くらいだったような気がします。

(記憶が定かでなくてすみません)

 

「おまちどうさま!」

目の前にラーメンが現れました。

実にシンプルです。

ラーメンの器の8分目まで入れられたスープの中にわずかにくねっとした麺がきれいに

収まっています。

鶏ガラと野菜から抽出された脂がスープの表面に丸いいくつもの模様を浮かばせています。

麺の上には小さめの<チャーシュー>と<メンマ>、あとは<のり><ナルト>がこじんまりと載っています。

ゴテゴテせずに質素な感じですが、その中にこの店のこだわりが見え隠れします。

 

まず、スープを口にします。

だしは<しょうゆベース>です。

薄味っぽいです。 

透明度が高く、器の中の様子がすべて透けて見えます。

テーブルの上にあった<コショー>をかけてみます。

ラーメンからの湯気にのり、コショーの香りが嗅覚を刺激します。

あぁ、これだ! これこそ コショーだ。

シンプルなラーメンだからこそ、コショーの持っている魅力を最大限に引き上げています。

あっ、逆ですね。

コショーの力で、シンプルなラーメンは今、極限レベルまで到達しようとしているのです。

 

いよいよ、麺です。

割りばしの先にかかった数本の麺をくちに運びます。

するっと口に入ってくるこの感触、薄味のスープが控えめに麺にからんでいます。

噛んでみると、柔らかくもありますが、コシもあります。

「うまい!」シンプルだけど「ものすごく うまいっ!」

「値段は200円だ!!!」 

チャーハンの味付けもシンプルでしたが、おかわりをしたくなるほどおいしかったです。

ギョーザは皮の底に焦げ目もついてはカリッとしているし、具材も充分で申し分ありませ

んでした。

家の奥さんも子供もお母さんもみんな、「おいしいね」って喜んで食べました。

今となっては、とても懐かしい思い出です。

 

 < 25年 経過 >

平日の水曜日。

近くを通ったので、またあのラーメンを味わいたくて寄ってみました。

「んっ?」シャッターが閉まっているぞ!

「休みの日だったか・・」

「タイミングが悪かったなぁ 出直そう」

 

一度、食べると心に決めるともう、引き返すことは出来ません。

後日、またのぞいてみることにしました。

 

そして、今度は土曜日のお昼過ぎに行ってみました。

「時間的にマズイかな 子供を連れた家族が3組も入っていたら店の中には入れないかも

しれない」 マイナスの思考が働き出します。

「外で待つことになるかもしれないなぁ」

でも、あの懐かしい味をまた楽しめるのです!

自転車を豪徳寺駅の近くの駐輪場に留めながら、私は浮足立っていました。

 

豪徳寺駅の前の道を通り、あの路地に入って行きます。

「いよいよです!」

「あれっ?」またシャッターが閉まっています。

今日は水曜日ではありません。

どうしたんだろう。

 

この店のシャッターはもう、開かないのでしょうか。

しばらく、その場に立ち尽くしました。

ラーメン屋さんの前の八百屋さんに聞いてみようかなとも思いましたが、それはやめまし

た。

なにかしら、事情があってシャッターは閉まっているのですから。

その理由を知っても知らなくても、私はラーメンを食べられないことに変わりは

ありません。

 

店の前に立っている時、張り紙に気がつきました。

「しばらく休みます」と書かれています。

休業中だったのです。

 

店の前に立てられている大きなメニューにはラーメンの値段が300円とあります。

値上げをしたのですね。

でも、値上げをしても300円という値段はみごとしか言えません。

500円であっても700円だとしても私はあの味のラーメンを食べますよ。

それ以上の価値があるラーメンでした。

 

この数日間 私の頭の中は、この店のラーメンを食べることで満たされていました。

けれども、食べられません。

私に残された道はひとつしかありません。

家に帰ることだけです。

 

「はぁ、しょうがない。 あきらめよう。」

 

駐輪場に戻り、自転車の施錠を解除している時に、あることに気が付きました。

うわぁ、目の前に大きいラーメン屋さんがある!

「日高屋」さんでした。 広域に店舗を持つチェーン店です。

前はなかったはずだぞ! 

この場所には「モスバーガー」があったと思うけど・・。

ここのラーメンは赤坂と渋谷で食べたことがあります。

昭和の雰囲気を持つ店内で食べるラーメンは何かノスタルジックな気分を誘い

遠い昔の記憶を呼び覚ましそうな感じがしました。

値段も手ごろだし、味もしっかりとしていて とてもおいしいです。

 

一瞬、食べて帰ろうかな?とも思いましたが、この日はそのまま空腹状態で自転車を

走らせました。

 

「少なくても今日は 他のラーメンを食べてはいけない!」という気持ちが湧いたからで

す。

それが、あのラーメン屋さんに対する < 礼儀 > のように思えました。

 

あの、ラーメンはもう食べることが出来ないかもしれません。

 

記憶を失わないようにしっかりと頭の中にしまっておこうと思います。