にぃにが2年生、8歳の夏に小室尚子先生
出会い、
ほっぺちゃんが生まれる直前から母勉の
グループコンサルに通い始めました。


そもそも、母勉を始めた根本理由は、にぃにが1歳の頃に
さかのぼります。


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にぃにの小さい頃の話(1)にぃにの小さい頃の話(2)
にぃにの小さい頃の話(3)にぃにの小さい頃の話(4)
にぃにの小さい頃の話(5)にぃにの小さい頃の話(6)
にぃにの小さい頃の話(7)にぃにの小さい頃の話(8)




難病ではなく一過性の脳症とわかったと同時に、


自分の体のせいで、にぃには脳症になったという


事実がわかり、わたしは息子に対しても、


息子の父親である夫にも、


申し訳ない気持ちになりました。




でも、夫は


「事故みたいなものだよ。


病院の先生だって、こういうことになり得るって


わからなかったんだよ?」


だから、そんなことは気にしなくて良い。


というようなことを言ってくれていました。





確かに、胃癌で胃を全摘し、


胆嚢と脾臓を取ってから5年。




よく、産めたなあって思います。


たぶん、わたしの身体はすごく頑張った。




頑張ったから、足りなくなったんだよね。


栄養がね。。。





わたしは夫の言葉を素直に受け止めました。




だって、自分のせいだと言って落ち込むのは簡単。


それよりもこれからのこの子のために、


できることを見つけよう!




遅れた発達発育を少しでも促そう!




それにこの子だって、


落ち込んで暗い顔をしてるわたしじゃなくて


いつも笑ってるお母さんがいいだろうしね。
 




専門外来へ行った時。母と。

 


専門外来で書いてもらった結果を持って、


元の病院で


「これは難病ではなく、一過性の脳症である。」


と、主治医先生に伝えました。





それでも、主治医先生は、


いわゆる誤診を認めたくないのか?




「いや、でも、○○大学の先生も病名は

難病でいいでしょう
と言っていたし・・・。」



と食い下がりました。

よくない。



「でも、この難病で、ここまで回復した例は、

世界に一例もない
専門外来の先生は、おっしゃっていました。」

加えて、


わたしもビタミンB1欠乏の脚気になったこと。


すでに当時のにぃにの血液がないので


調べようはないが、状況からすると一過性と


考えられる。と繰り返し伝えました。




すると、先生は納得せざるをえなかったようで、

後日、主治医先生は文献を調べたと、


手書きのビタミン欠乏で起こる脳症のレポートを


わたしたちにくれました。

 


にぃにの小さい頃の話(10) へつづく