長男が学校に行かなくなった直後、
私は自分の人生で
「想定外過ぎる」出来事に
どうしたらいいのか
わからずにいました。
「中学受験をさせる」ことが
私の中で「当たり前」だったため、
「学校に行かない」
ということよりも
「中学受験をしない」
と言った長男の気持ちをなんとか
変えたくて
「学校には行かなくてもいいから
中学受験はして欲しい」
と本末転倒なことを考えていました...
今、振り返ると
「視野が狭く」
「自己中心的」
な考えですが、
ただ、あの当時は
「それが長男のため」
と本気で思っていました...
本当に、執着とは怖い...
と今なら思えます。
ただ、あの当時は
本気でそう思っていて
それが当然だ、とさえ
思っていました...
長男も、
そんな母のキモチを察して、
苦しかったと思います...
でも...
結局、長男は意思を変えず
中学受験はせずに
2月は過ぎていきました...
中学受験ができずに終わり、
でもその時には学校に戻っていた
長男を見て
「中学受験はできなかったけれど、
高校受験でリベンジしたい」
という気持ちを持っていました...
中学受験ほどの執着は
持っていなかったものの、
「高校はできるだけ
いい学校に行って欲しい」
という期待を
捨てきれずにいました...
その時の私はまだ
高校進学⇒大学進学⇒就職
以外の選択肢はない
と思っていました。
そして、中学入学後、
再び学校に行けなくなった際に
「このままだと、ちゃんとした
高校に行けなくなるのでは...」
と思って、
再び絶望のどん底に
突き落とされた気持ち
になっていました...
目の前に続いていた道が
突然、崩れ落ちて
前に進めない...
そんな気持ちでした...
今となっては
不登校の不安は
「先が見えない」
「将来が見通せない」
という思いから
湧き出ていたんだな...
と思えます...
でも、あの当時は
「何が不安なのか」
を考える余裕もなく、
友人に思い切って
相談した際に言われた
「携帯やゲームを禁止したら
いいのでは?」
「朝起きないのは
甘えなのでは?」
という言葉に、
「あなたはダメな母親だ」
と言われている
ように感じてしまい、
それからは誰にも
相談できなくなりました...
不登校の長男のことだけでなく
家事や仕事も一人で
抱え込むしかなく、
毎日とにかく
不安で不安で
毎日とにかく
疲れていて
疲れがたまることで
さらに考えること全てが
ネガティブな方向に向いてしまう...
そんな状態でした。
あの時、
自分や長男の状態を
意見されず
批判されず
ただ、ただ
聴いてもらえていたら...
もっと早く
自分の状態を客観視できて
もっと早く
長男の気持ちに寄り添って
自分の気持ちにも寄り添う
ことができたのでは...
と思います...
でも、その当時の私は
そんな対応をしてくれる人に
巡り合えていなかったのでした..